第30話・魔虫の蜂蜜
ギーゼはすぐさま自分の部屋に戻り、何点かのアイテムを手にして戻ってきた。
カップに琥珀色の液体のような物を入れ、水と混ぜ合わせてシャズールにそれを飲ませる。
初めはむせていたシャズールも少しずつ楽になったのか、自力で壁に寄りかかると荒く息を吐いた。
「……ガイン様、ギーゼ。どうして……」
なぜ自分の異変に気付いたのか、その目はそう問いかけていた。シャズールの症状が少しは落ち着いたと見て、ガインはそれに答える。
「さっきルーリアも倒れた。原因は分からないが、身体から魔力が流れ出て枯渇しかけた」
「魔力が!?」
魔法も使っていないのに、理由もなく身体から魔力が流れ出ることはない。原因が思い当たらないシャズールは目を見開いて驚いた。
「オレが今お前に飲ませたのは、万能回復薬を水で薄めた物だ。魔力を回復させるっていう、ガイン様の的確な指示があったから対処出来たと言っていい。ほら、もう少し飲んどけ」
ギーゼは先ほどと同じ物を作り、シャズールに手渡す。
「ギーゼ、万能回復薬とは何だ?」
ガインは薬の、その正体を尋ねた。
「魔虫の蜂の巣から採れる蜂蜜です。ヤツらは凶暴な上に集団で攻撃してきますから、滅多に市場に出ない高級品なんですよ。体力と魔力の回復だけじゃなく、品質が良ければ病気やケガ、毒にも効く薬なんです」
ギーゼは説明をしながら、部屋から持ってきた小瓶をくるりと指先で撫でる。同じ魔虫の蜂蜜でも品質によって多少呼び方が変わるらしく、最高品質の物を『万能回復薬』と呼ぶらしい。
「冬以外なら年中採れるらしいですけど、魔虫の蜂自体が珍しくもあるんです。ミツバチみたいに養蜂とか出来たら楽なんですけどね。まぁ、一匹でも厄介な強い魔物ですから、無理な話なんですけど」
「……魔虫の蜂蜜、か」
ガインはこの時初めて、魔虫の蜂蜜の存在を知った。
「……ところで、どうしてギーゼは平気な顔をしているんだ?」
「どうしてって、オレは元々魔力ないし。ないもんは流れようがないだろ」
真剣に尋ねるシャズールに、ギーゼは肩を竦めて返す。そこからガインに視線を移すと、シャズールは沈んだ声を出した。
「ガイン様。これって病気か何かですか? それとも、これの影響とか……」
そう言って変色した左足に視線を落とす。
「それだとルーリアに症状が現れた理由に説明がつかない。何か、二人に共通点があるはずだ」
「共通点、ですか」
魔力が流出したこと以外の共通点。
それが何なのか、ガインには分からなかった。
「これが今だけならいいが、エルシアは魔力の流出が止まらないと言っていた」
「……これがずっとだと思うとゾッとしますね」
生まれつき魔力を持つ者は、魔力が尽きれば生命を落とす。理由が分からないからと言って、放っておく訳にはいかなかった。
早く原因を突き止め、対策を練る必要がある。
ガインたち三人は、思いつく限り様々な考えを口にした。しかし、具体的な原因もその対策も憶測の域を出ないまま、その日は解散となる。
シャズールはギーゼから魔力を回復させるアイテムを譲ってもらっていたが、いつまで続くか分からない魔力流出に不安を隠せないでいた。
二階に戻ったガインは、ベッドに座るエルシアの髪を撫で、隣に腰を下ろす。
「遅くなって済まない。ルーリアの様子はどうだ?」
「……変わりありません。流出は続いています」
ルーリアへ魔力供給を続けながら、呟くようにエルシアは声を落とした。
「……そうか。下の二人だが、シャズールだけ同じように魔力流出の症状が出ていた」
「シャズールが?」
ガインは下で起こったことをエルシアに話して聞かせた。その途中、一瞬だけエルシアの身体が揺れたのを、ガインは見逃さなかった。
「エルシア、顔色が……」
「私は大丈夫です」
明らかに無理をしていた。
ただでさえ体力がないのに、邪竜との戦いでは、かなりの魔力を消費している。そして立て続けに結界の張り直しとルーリアの魔力供給だ。
本当はすぐにでも休ませてやりたい。
そうは思っても、ガインには魔力がない。
疲れを見せるエルシアを前にして、それを代わってやれない。
…………くそっ。
あまりにも無力な自分が悔しくて、ガインは身も心も裂かれるような苦さに奥歯を強く噛みしめた。
「……シャズールとルーリアの共通点、ですか」
遠くを見るようにエルシアが目を細める。
かつてあった実話としてエルシアが口にしたのは、邪竜を育てるために魔力を奪われ続けたエルフの話だった。
昔、ある魔族に魅入られ、魔力を搾り取られ続けた者がミンシェッド家の中にいたらしい。
その者は飼われるように魔力を捧げ続け、最終的には魔族に身を落としてしまったという。
俗に『魔族落ち』と呼ばれる話の一つで、エルフがダークエルフとなり、邪竜を育てる協力をしていたという話らしい。
邪竜は魔力を糧にして育つ。
そのことから、エルシアは何か繋がりがあるのでは、と考えたようだった。
だが、邪竜は今日、勇者に討伐された。
仮に生き残っていて魔力が必要だったとしても、それなら一番に狙われるのは魔力量が豊富なエルシアのはずだ。
ルーリアとシャズールの魔力流出の理由と原因が分からない。邪竜ではないとしても、何者かに魔力を奪われている可能性がないとは言いきれなかった。
しかし、二人にそれをするなら、本体が結界内にいなければ難しいはずだ。結界が壊れた時にでも、そんな魔物がまぎれ込んだのだろうか。
ガインがまとまらない考えを持て余していると、エルシアは自分の工房の扉に目を留め、不思議そうに首を傾げた。
「……なぜ、工房に鍵が掛かっているのでしょう?」
ガインはエルシアの工房について、あまりよく知らない。中に足を踏み入れたこともなかったから、何気なく思ったことを口にした。
「ルーリアが入らないように、自分で鍵を掛けたんじゃないのか?」
エルシアは「よく覚えていませんが、きっとそうですね」と答えた。
◇◆◇◆
長かった夜が明け、陽の光が地上に届いた頃、やっとルーリアの魔力流出は止まった。
それまで寝ずに付きっきりだったエルシアは、今は疲れて休んでいる。
ガインたち三人はその間、今後のことについて店のテーブルで話し合っていた。差し当たっての問題は、魔力の流出にどう対処するかだ。
もしこれがしばらく続くようなら、魔虫の蜂蜜を手に入れて対処しようとガインは考えていた。
そのための入手方法と、他に取れそうな手段について話をする。
ガインとしてはルーリアはもちろんだが、エルシアの身体への負担も心配だった。エルシアに頼る以外にも、魔力を供給する手段が必要だ。
数日様子を見て、夕方から朝までの時間帯で魔力が流出すると分かったところで、ガインたちは動いた。
◇◆◇◆
訪れたのは、妖精の国・サンキシュ。
商人である二人に案内され、ガインは街中にある薬屋まで来ていた。
今回は時間がないため、転移の魔術具を使っての移動となっている。
これは地上界でのみ使用が可能な魔術具で、自分が一度でも訪れたことのある土地ならば、結界などがない限り、どこへでも移動が出来る便利なアイテムだ。
ただし、消費魔力はかなり必要となる。
これもまた、そのままエルシアの負担となるため、ガインにはとても歯痒いものであった。
「何かお探しでございますか?」
薬草や香の独特な匂いが漂う、薄暗い店内。
その奥の店台に佇む小人族の店主が三人に声をかけてきた。白髪を肩で綺麗に切りそろえた片眼鏡の老婆だ。
「魔虫の蜂蜜はあるか?」
何のひねりもなくガインが尋ねると、店主は片眼鏡に手をかけ、値踏みするような目を向けてくる。
「ええ、ございますとも。いかほどご入り用で?」
「あるだけ全部。と言いたいが、可能か?」
「ぜ、全部ですと!?」
店主は片眼鏡を跳ね除け、小さな目を見開いた。
魔虫の蜂蜜は売っていても時価となる高級品だとギーゼから聞いている。値段も聞かずに『全部くれ』なんて言う客は少ないのだろう。こっちとしてはルーリアの生命が懸かっている。金に糸目をつけるつもりはない。
店主はギーゼたちとは顔馴染みらしく、説明を求めるような視線を二人に向けた。
シャズールは今回起こったことを邪竜の存在抜きで説明して、魔力を回復させる薬が必要な理由を店主に伝えた。
「……なるほど。それでしたら、この店でお渡し出来る分では、お嬢さんにはせいぜい春までの量でございましょう」
店主は首を振りながら残念そうに話す。
「やはり……数が少ないのか?」
「偶然でしか入荷がございませんし、大抵は冒険者の間で消費されて終わってしまうのでございます」
「他に入手方法はないのか?」
「全くない訳ではございませんが、かなり難しいかと……」
他の手段を匂わせ、店主は言い淀んだ。
「どんな方法だ?」
店主はガインのまっすぐな眼差しを確認するように見やり、それからおもむろに口を開く。
「……女王蜂を育てるのでございます」
「女王蜂? つまり養蜂か?」
確かギーゼもそんなことを言っていた。
「左様で。春の一時期にだけ、若い女王蜂が新しい巣を作るために飛び立つのですが、それを捕らえて育てるのでございます」
どこにいるか分からない魔虫を捕まえる、か。
それに魔物の虫を飼育するなんて、普通は考えもしないだろう。下手をすれば自分が殺られる。
「……確かに難しいな。だが、やるしかあるまい」
ガインが決意を口にすると、店主はギラリと目の奥を光らせた。
「本気でお考えでしたら、ぜひ当店にもお手伝いをさせていただきたく存じます」
「……手伝い?」
「女王蜂がそこを巣と決めるためには、少々細工が必要となるのでございます。それを、こちらで準備させていただきましょう」
店主からの思いがけない言葉にガインは驚いた。協力してもらえるのは有り難いが……。
「なぜ、そこまでしてもらえるのか、理由を尋ねてもいいだろうか?」
「ええ、もちろん。これは取引でございます。先ほど申し上げましたように、魔虫の蜂蜜は希少でございます。養蜂に成功した暁には、それを当店に卸していただきたいのでございます」
「なるほど。そういう話か」
納得した様子のガインの前に、店主は契約書らしき紙を一枚差し出した。そこに慣れた手つきでスラスラと書き込み、こちらに向きを直す。
それには、ガインが冬の間に巣箱とその設置場所を整えることが出来たら、養蜂に必要な細工を譲り渡すことと、蜂蜜を卸す際の値段や量の取り決めなどが詳しく書いてあった。
「これなら相場を考えても妥当ですね。この契約書自体が魔術具なので、互いに約束を破ることは出来ません」
ギーゼたちにも見てもらい、特に問題もなかったため、ガインはその場でサインした。
青い炎を上げ、契約書が灰と消える。
「では、こちらが当店にある魔虫の蜂蜜の全てでございます」
「ああ。支払いは現金でいいか?」
「ひゃひゃ、何やら恐ろしいお方のようで」
今回、薬屋に譲ってもらった蜂蜜は、小さなタル一つ分だった。
重さは約7キロ。
金額にして、1000万エンだ。
ガインがあっさり支払いを済ませると、調子のいい店主はオマケだと言い、枯れない花で出来た細工品をくれた。『奥様に』だそうだ。
どうやら、この店とは長い付き合いになりそうだ。何となく、そんな予感がした。
こうして春の女王蜂の捕獲に向け、ガインは胸の内に揺るぎない決意を固めたのだった。