第3話・翼の正体
パチン……と、焚き火の出す音が聞こえ、ルーリアは目を覚ました。
乾いた木の焼ける匂いが鼻先をかすめる。
「……ん……」
あれ……わたし……?
「起きたか?」
上から降ってきた声に驚き、ルーリアはぐりんと目を向けた。見上げた空には、覗き込む少年の顔で陰が出来ている。
「!?」
手探りで状況を確認すると、自分の身体の下に服のような物が敷いてあった。そして頭の下にある温かい感触は、声の主の足。
つまり今の状態は、少年の膝枕ということだろうか!?
「わ、わゎっ!?」
慌てて起き上がろうとしたルーリアは倒れそうになり、少年の腕にしっかりと抱きかかえられてしまう。
────!!
急に詰められた距離の近さに、顔が一気に熱くなる。それを隠そうと、急いで少年から顔を逸らした。細く見えていても少年の腕は意外とたくましい。
……こ、こんな歳の離れた男の子にドキドキするなんて。わたし、どうかしてる!
「大丈夫か? 急に立つと危ないぞ。自分が倒れたことは覚えているか?」
え? 倒れた……?
やや混乱する頭をどうにか動かし、ルーリアは周囲を確認した。
見覚えのある木が目に映り、ここが養蜂場の近くの森であると分かる。けれど、ここにいるのは自分と少年だけだ。
パチッと、火の粉が弾けた。
「……そう、わたしは採取の途中で倒れて……! 他の二人は!?」
自分が何をしていたか思い出したルーリアは、ハッとして顔を上げた。姿の見えない二人を目で探す。ガインから見張りを頼まれていたのに、もし二人が養蜂場の方にでも向かっていたら大問題だ。
そんなルーリアの焦った顔を、少年は不思議そうに見ていた。
「あの二人なら先に山小屋に戻ったぞ。荷物を置いたら一人はまた戻ってくると言っていた。もう一人は残って保存食を作る準備をしているはずだ」
「……そ、そうですか」
商人たちが家に戻ったと知り、ルーリアはホッと息をついた。それから聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「保存、食……?」
なに、それ?
食べ物を保存すると聞いても、ルーリアが思いつくのは茶葉のように水分を抜くことくらいだった。
旅で持ち運びをするなら乾燥させれば軽くて便利にはなるのだろうけど、そんな物を食べて美味しいのだろうか?
ルーリアが「むむ……」と首をひねっていると、少年は腰に付けていたカバンから小さな革袋を取り出した。
「ずっと採取に付き合ってて腹が減っただろ? この辺りに川はないか? 少しだけ水が欲しいんだが……」
「水、ですか?」
残念ながら、この森に川はない。
ルーリアは魔法の呪文を口ずさんだ。
『出現せよ、水塊』
淡い水色の光の中、ふよりと漂う水の塊が空中に現れる。
「このくらいで足りますか?」
ルーリアが指でつついて水球を移動させると、少年は驚いた声を上げた。
「お前、いったい何者だ? 回復魔法といい、オレより年下の人族がどうしてそんなに魔法を使える? もしかして、魔女か!?」
「……魔女?」
確か前に店に来た冒険者からも、そんな単語を聞いたことがあるような……?
思い出そうと首をひねるルーリアに、少年は緊張したような目を向ける。
「ミリクイードの西の秘境には、魔女の森があると聞いている。ここは東の端だから違うと思うが、お前は魔女の弟子か何かか?」
ミリクイードとはルーリアが住んでいるこの国の名前だ。
森林国家・ミリクイード。
人族の王が治め、領地の大部分に木々が生い茂る、自然豊かな国だ。地上界にある12の国の内、3番目に広い国土を有する。
「わたしはその、魔女とか言うものを知りません。わたしはただの──」
ただの、何だろう?
ハーフエルフであることは言えない。
蜂蜜屋のことも秘密だ。
「……も、森に暮らす普通の女の子です」
ちょっと苦しかった。
「その間は何だ?」
疑うような目を向けてくる少年に、ルーリアは苦笑いを返す。ここは笑って誤魔化そう。
「……まぁ、いい。お前が本当に魔女だったら、こんな簡単に人前で魔法を使ったりしないだろうからな。オレだって、あれこれ聞かれたら困る。余計な詮索はしない。これもお互い様だな」
自分で言っていて納得したのか、少年は表情を緩めた。照れ隠しのように飾らない笑みを浮かべていることから、少なくとも魔女というのは子供の姿ではないのだろう。
やっと肩の力を抜いた少年の年相応な様子に、ルーリアも釣られて微笑んだ。
「……あの、一つだけ聞いてもいいですか?」
「ん? 何だ?」
本当は黙っていようと思ったけど、ルーリアにはどうしても気になることがあった。
「……あなたは天使なんですか?」
問いかけて、少年の瞳をじっと見つめる。
ルーリアの表情は真剣そのものだった。
けれど、少年からは蜂蜜色の瞬きを返され、
「っはははは。なんだ、それ。天使は空想上の生き物だろ。オレはただの獣人だよ。どこにでもよくいる、鳥の獣人だ」
と、呆れた声で吹き出されてしまう。
笑みを含んだ声で「真剣な顔で何かと思えば」と、少年は目の前に浮かぶ水球から手にしていた革袋の中に少しだけ水を入れた。
「……鳥の獣人」
これだけ笑われたということは、普通は聞くまでもないことなのだろう。もしかして変な質問をしてしまったのだろうか。
遠回しに世間知らずと言われたようで、ルーリアは思わず赤くなった。
「せっかく木の実がたくさん採れる森の中にいるんだ。ダルフかクッカムがあればいいんだが……」
そう言って周りの木々に視線を移す少年に、ルーリアはキラリと目を輝かせる。
「木の実があればいいんですか? ある場所なら知っています。ちょっと行って採ってきますね」
少年が返事をするのも待たず、ルーリアは森の中に消えた。笑われたのが恥ずかしくて、早く逃げ出したかったのも少しある。
……あ。
どのくらい必要なのか聞いてくるのを忘れてしまった。あの革袋に入るくらいあればいいのだろうか?
少年が木の実で何をしようとしているのか、ルーリアには分からなかった。
けれど、誰かの役に立てることを、この時のルーリアは心の底から喜んでいた。
森の中に隠れ住んでいては、人のために何かをするなんてしたくても出来ない。
──誰かに必要とされたい。
例えほんの少しでも自分がここにいる意味を持てるだけで、ルーリアはとても嬉しい気持ちになっていた。