第27話・邪竜の襲来
それは、あまりにも突然の出来事だった。
季節は冷たい風が吹き、散った落ち葉が足元を彷徨う初冬。
雪が降りそうな暗雲の広がる空を切り裂き、風を追い抜いた『闇』が飛来する。
黒い稲妻、激しい咆哮と共に、一体の黒い巨竜・邪竜が、この地に舞い降りた。
「!!」
家全体を軋ませるような衝撃と、異様に早く流れる風と雲に、ガインとエルシアは窓から森の方へと視線を走らせた。
一斉に飛び立つ鳥の影が無数に見える。
北の森の奥に、空を穿つほどの黒い雷柱が何本も立ち昇る。
──何か、いる!!
「エルシア! ルーリアを地下倉庫に入れて保護魔法を掛けてくれ!」
ガインは瞬時にルーリアの身の安全を考えた。
ほぼ同時に、エルシアの手もルーリアへと伸びている。
「分かりま──! ガイン、結界が壊されたようです!」
「何!? くそっ! 何だ、あれは!?」
エルシアは眠っているルーリアをそっと抱いて地下倉庫へ運び、柔らかな毛布を重ねて入れた木箱に寝かせ、鍵を掛けるように保護魔法を重ねた。
ガインはその間、武器と回復薬を手早く準備していく。
「ギーゼから先日、魔王が亡くなったと聞きました。あれは制御から外れた邪竜ではないでしょうか」
地下から戻ったエルシアが思い出すように口にする。
「邪竜……だと!? 何でよりによってここに!?」
魔王の制御から外れた邪竜は自然災害のようなものだ。どこに現れるかなんて誰にも分からない。被害を受けたとしても『運が悪かった』のひと言で片付けられてしまう、そんな存在だ。
「ルーリアは大丈夫だと思います。ガイン、急ぎましょう」
「おう!」
ガインは外へ出るなり白虎の姿に変わり、エルシアを背に乗せ、迷うことなく邪竜に向かって駆け出した。
移動中、エルシアは呪文を口ずさみ、ガインと自分に補助魔法を掛けていく。
『速度強化、即死無効、攻撃力強化
防御力強化、魔法攻撃無効、癒しの加護
クリティカル率上昇、物理被害軽減
状態変化無効、 状態異常無効
火属性耐性強化、火属性の加護
風属性耐性──……』
地上界で使用可能な六属性の耐性強化と加護を掛け終わったところで、エルシアは息をつく。
『…………エルシア?』
「はい、何ですか?」
『やり過ぎだ』
いくら魔力があると言っても、こう湯水のように使われると不安になる。
「まだ足りないくらいです。私、ガインには猫の毛一本ほどの傷もつけて欲しくありません」
『邪竜相手に無茶ぶりするな。だが、助かる』
「はい」
少し離れた所でエルシアを降ろし、人型に戻ったガインはまっすぐに邪竜の元へ向かう。
辺りには、今までに嗅いだことのない嫌な匂いが漂っていた。
すぐさまエルシアは魔法で防御を張り、ガインに掛けたものとは逆の、力を削ぐための補助魔法を邪竜に掛けていく。さすがに即死魔法は効かなかったが、他はバッチリ効いている。
そんな風に戦闘準備を進めていると、数人の冒険者がこっちに向かってくるのが見えた。
結界が壊れているため、今は誰でも容易くこの森に足を踏み入れることが出来る。
ガインはエルシアに魔法で姿を消し、隠れるように伝えた。
……何者だ?
このタイミングでミンシェッド家の者が動くとは思えない。ガインは注意深く冒険者たちを観察した。とりあえず見知った顔はいないようだ。
見たところ、全員人族のようだ。男が四人。
剣士が三人で魔法使いが一人、といったところだろうか。
剣士の一人はすでに深い傷を負っている。
どこかで死闘をしてきたような致命傷のかなり深い傷だ。あれだけの傷をなぜ治さないのか。
「おい! 回復持ちはいないのか?」
そう声をかけると、四人の内二人がガインの所にやって来た。鋭い爪で裂かれたような深い傷のある剣士を支えるように、魔法使いが付き添っている。見た目の疲労具合からすると、魔法使いも魔力切れを起こしているようだ。
魔法が使えないガインでも、回復魔法の文言くらいは知っている。すぐに視線を送り、エルシアに陰から回復魔法を掛けさせることにした。
少し照れながら手をかざし、ガインは傷を負った剣士に魔法を掛けるふりをする。その動きにエルシアが魔法を合わせた。
『彼の者に癒しの光を』
ひどい裂傷だったが、すぐに跡形もなく傷は治った。これは後で笑い話にされるな、と思いつつ、さすがエルシアだ、と惚れ直す。自分には出来ないことだ。
だが、傷は治っても失った血液や体力までは戻らない。しばらくは安静にさせる必要があるだろう。
付き添っていた魔法使いによると、四人は初め、ここよりもずっと北にある山で邪竜と戦っていたそうだ。どうにか追い詰めたところで急に飛んで逃げられ、慌てて追いかけてきたらしい。
一人いた回復役は、そこで戦っていた時にやられてしまったそうだ。
……元は五人パーティだったのか。
手負いの邪竜が怒り狂って麓の町を襲えば、甚大な被害が出るのは目に見えている。
仲間の犠牲を無駄にしないためにも絶対にここで食い止めたい、と魔法使いは力強く言った。
「……話は分かった。だが、お前も傷を負っている。せめて回復させてから参戦しろ」
ガインは回復薬の小瓶をいくつか魔法使いに渡すと、先に邪竜へと向かって行った剣士二人に合流した。
話に聞いたことはあるが、こうして実物を見ると、やはり竜はでかい。
邪竜は尻尾まで入れると、体長が15メートルくらいあった。高さも立った大人の三人分くらいと、それなりにある。
その眼は紅い攻撃色に染まり、鈍い閃光を残してガインたちを見下ろしていた。
闇色の竜鱗を逆立て、この世界への激しい憎しみだけを集めたような禍々しい殺気を放っている。
邪竜は巨体にも関わらず、疾風に乗って素早く動き、鋭利な爪、牙、トゲのある尻尾と、隙間なく攻撃を繰り出してきた。
その獰猛な攻撃には理性なんて存在しない。
あるのは破壊とありったけの暴力だけだ。
「悪いな、俺も交ぜてくれ」
「! 済まない、助かる」
邪竜の前面に立つ二人を補助するように、ガインは横から攻撃した。
間近で見ると、邪竜の体躯のあちこちに深い傷がある。魔法使いが言っていた通り、一度は追い詰めるところまでいったのだろう。
エルシアの補助魔法も効いているようで、邪竜は徐々に勢いを落としているように感じられた。
それでも油断はしないように、攻撃を繰り出しては距離を取る。地味な戦い方だが、それを根気強く繰り返した。
しばらく同じことを繰り返していると、苛立った邪竜が均衡を崩す。大きく咆哮した後、空へ向かって勢いよく頭を振り上げ、ピタッと静止した。
「黒い雷撃が来るぞ!!」
剣士の一人が叫んだ。
邪竜が大きく口を開き、鼓膜を破らんばかりの衝撃波と雷鳴が辺りを覆う。
「!!」
「オズヴァルト!」
見渡す一面に黒い雷柱が無数に立ち昇り、バリバリと大樹を裂くような音を立て、地面を舐め削って不規則に走っていった。
家にいた時に見たのはこれだろう。
ガインは生まれつき雷耐性を持っている。
この攻撃は効かなかった。
だが、二人の剣士は無傷とはいかなかったようだ。雷撃の直撃は避けたものの、一人は完全に痺れて動けなくなっていた。痺れている剣士が、もう一人を庇ったようだ。
「ッ!!」
すぐに邪竜が二人に向かい、黒い霧状のブレスを吹きつける。何の攻撃かいまいち分からないが、ブレスのかかった部分が黒く変色していた。……毒、だろうか。
そこでガインは、もしかして何の補助もないのか? と気付いた。
もし、やられた回復役が補助魔法を担当していたのであれば、今のこの二人には状態異常などに対する耐性が何も掛けられていないことになる。
そう考えると、邪竜がどんな攻撃を仕掛けてくるか分からない以上、剣士たちを前面に立たせる訳にはいかなくなった。
それに、麻痺した者を庇って戦うには場所が悪すぎる。
ガインは二人から遠ざけるように邪竜を自分に引きつけ、広く動けそうな場所へと下がって行った。
……そうだ。そのままこっちに来い。
しばらく行った所で、遠目に冒険者四人が合流する姿が見えた。向こうには回復薬を余分に渡してある。これで少しは持ち直すだろう。
ここまで来れば、誰かを巻き込む心配もない。
そう思い攻撃に移ろうとした、その時だった。
ガインは背後に、いないはずの人の気配を感じた。
────ッな!?
「ガイン様!」
「これは! まさか邪竜!?」
そこに立っていたのは、剣を構えたギーゼとシャズールだった。
──ッ!! なぜ二人がここにいる!?
「すぐに離れろ!!」
とっさにガインが叫ぶのと、ギーゼたちに向かって邪竜が黒いブレスを吹きつけるのは、ほぼ同時だった。
あの位置では二人に当たる! 防ぎきれない!
ガインは全力で黒いブレスをなぎ払った。
「お前たち、無事かッ!?」
直撃はしなかったが、それでもギーゼとシャズールは身体の一部を黒く染めてしまっていた。
「……ッ!」
ガインの身体に変色はない。
単にブレスが当たらなかったのか、それともエルシアの補助魔法が効いたのか。
「くそっ!」
黒く変色した二人の身体を見て、ガインは焦った声を吐き捨てた。