第23話・邪竜との因縁
「この辺りだ。どう思う?」
「……特に、何も感じませんね」
ルーリアが倒れた森へ連れて来ると、エルシアは納得がいくまで辺りを見て回った。
「ガイン、やはり何も感じられません」
「……そうか」
エルシアが帰宅し、ルーリアが目を覚ましたその足で、ガインたちは邪竜の気配がした森の奥に原因を調べるために来ていた。
獣人のガインはエルシアよりも鼻が利く。
しかし、エルシアが何も感じないように、ガインもあの時ほど邪竜の匂いを感じることが出来ずにいた。
◇◇◇◇
ルーリアが倒れた、あの日。
ガインはいつも通り、目についた魔物を掃討してから森で蜂の巣箱の補修作業をしていた。
ユヒムたちは朝から最寄りの町まで出かけている。
ルーリアはそろそろ起きた頃だろうか。
その内、この辺りにも来るかも知れない。
そう思っていた時、それは起こった。
「ッ!! この気配は!?」
たった今、北の森の奥から忌々しい気配がした。忘れもしない、この匂い。邪竜だ!
ガインは一番速く動ける白虎の姿となり、森の奥へと向かった。人型でいるより鼻も利く。
……なぜ邪竜が!? あいつは昔、勇者に討ち取られて死んだはずだ! まさか、今頃になって復活したとでも言うのか!?
邪竜はガインたち……特にルーリアがこの地に縛りつけられることになった原因でもあった。
もし本当に邪竜がいるのなら、とっくにその巨体が見えていてもいいはずだ。
しかし、あるのは匂いだけで、その姿はどこにも見当たらなかった。
『こう匂いがきついと余計に分からん』
そう言い捨てて人型に戻ったガインは、手当り次第に辺りを見て回った。けれど、目に映るのはいつもと同じ景色ばかり。
……あれは?
何かが動く気配を感じて向かった先には、なぜか生気を失った顔のルーリアがいた。
「ルーリア!?」
名前を呼んで走り寄ると、ガインの姿を目にしたルーリアは、操られていた糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。
「おい! ルーリア! 大丈夫か!?」
……くそっ! 邪竜は後だ!
ガインはすぐにルーリアを家に運んだ。
裏口から家に入ると、先に戻っていたユヒムとアーシェンがいた。ルーリアを抱きかかえて入ってきたガインを見るなり、二人は顔色を変えて駆け寄る。
「ガイン様! 姫様はどうされたのですか!?」
普段あまり表情を崩すことのないユヒムが、ルーリアの青白い顔を見て慌てた声を上げる。突然のことで言葉遣いも素になってしまっていた。
「森の奥で邪竜の気配がした。ルーリアも俺とは別にそこへ来ていて、発見した時に倒れた」
「えっ!!」
「邪竜、ですか!?」
「気配だけで姿を見てはいないがな」
『邪竜』と聞いた二人は表情を一変させる。
狼狽えてもいるが、その反応は当然と言えた。
この二人も、邪竜とは深い因縁があるのだ。
「俺はもう一度、森に入って気配のあった辺りを確認してこようと思う。二人にはルーリアを任せたい。頼めるか?」
ユヒムたちはまだ若いが、今までに踏んできた場数が違う。そこら辺りの大人より冷静な判断が出来る。
「かしこまりました」
「お任せください」
責任感の強い二人の力強い返事を聞き、ガインはルーリアを託した。
ルーリアの小さな身体はぐったりとしていて顔色も悪い。その手を取り、脈を診た。一応、問題はなさそうだ。
いったい、ルーリアに何があったのか。
これではまるであの時のようではないか。
「もしルーリアが目を覚ましたら、念のために蜂蜜を飲ませておいてくれ」
「分かりました」
ルーリアのことは心配だが、この二人になら安心して任せられる。
ガインは再び、森の奥へと向かった。
◆◆◆◆
確か……この辺りだったはずだ。
忌々しい匂いが、まだかすかに漂う。
しかし、薄暗い森の周辺を徹底して探しても、ガインには何の手掛かりも掴めなかった。
一応、エルシアによって幾重にも張り巡らされた結界も見て回る。各所にある結界の魔術具にも、破損や綻びは見られなかった。
結界──ルーリアにとっては透明な壁。
この結界はルーリアを閉じ込めるためのものではない。外から見られないように守っているものだ。だが、ここから出られないようにしていることに変わりはない。結果だけ見れば、閉じ込めているのと同じ意味だった。
ルーリアには、きっと狭い鳥籠のように見えていることだろう。
この『蜂蜜屋』というルーリアを守る環境を整えるまでには、とても長い道のりがあった。
その道のりは、決してまっすぐなものではなく、不器用なほど手探りで。そしてその進んだ先も、決して正解と呼べるものではなかった。
全てのことの始まりは、エルシアの反抗と暴走にあった。
◇◇◇◇
今から30数年前──神殿務め時代。
当時エルシアは神官で、次期神官長と目され、一方でガインは主に神殿の警護に当たる騎士団の団長を務めていた。
神殿内で顔を合わせることがあるとは言っても、ガインたち騎士は神官が通り過ぎるのを跪いて待つだけだったから、互いの顔を見ることもほとんどなかった。
神殿の中で神官の立場は絶対的なもので、騎士は神殿騎士とは言っても替えの利く、ただの駒に過ぎなかった。
エルシアのことは強いて挙げるなら、名前を知っている程度だったと言えるだろう。
だが、そんな接点の欠片もなかった、ある日。
突然、エルシアはガインを酒に誘った。
通路でいつものように跪き、通り過ぎるのを待っていた時に、だ。
「ガイン。良かったら今度、一緒にお酒を飲みませんか?」
「……は!?」
当然、断った。怖すぎる。意味が分からない。
まず『騎士を酒に誘う神官』という存在が、その場では有り得なかった。
神官は『ミンシェッド』というエルフの一族が代々務めており、エルシアもその一族の一員であった。
ミンシェッド家は血統を重んじる規律に厳しい一族で、その血族の中でさえ序列や身分がはっきりと分かれている、そんな厳格な家柄だ。
しかもエルシアはその中でも派生などではなく正血統で、ほとんど寿命のない精霊と呼んでもおかしくない存在だったのだ。
あえて順位を付けるなら、エルシアは神官長に次ぐ血統第3位だ。正統なエルフ一族の姫だ。
そんなヤツが、いったいなぜ俺を!?
こう言っては悪いが、ミンシェッド家の一部には自分より下の者をいたぶる趣味を持つ者がいる。ガインは初め、それを疑った。
幸い、その時はすんなりと断ることが出来たため、エルシアの一時的な気まぐれだったのだと思い、ガインは忘れることにした。
……したのだが、エルシアは諦めてはいなかった。後日、ガインはエルシアの屋敷に呼び出され、人払いをされてしまったのだ。
殺される。正直そう思った。
◇◇◇◇
「ガインは好きな人はいるのですか?」
それが、エルシアの第一声だった。
「…………は?」
全く予期していなかった質問に、思わず間抜けな声が出る。
「好きな人はいるのか、と聞いているのです」
聞き直してきたエルシアは感情がないような顔をしていた。神殿にいる神官はみんなこんな顔だ。綺麗な顔はしていても、どこか陰気くさい。
……何だ? 俺は知らない内に何か気に障ることでもしたのか? 仮にいたらどうなるんだ? それごと葬り去るって意味か? それとも単にいたら気に入らないってだけの話か?……ヤツの意図が分からん。
質問にどう答えたものかとガインが迷っていると、エルシアは目の前に立ち、見上げるように目線を上げ、金色の瞳の奥を覗くようにじっと見つめてきた。
──なッ、こんな近ッ!?
そして、エルシアの瞳が虹を宿したように見えた、その瞬間。
「──ッ!!」
ゾクッと、背筋の凍りつく思いがした。
人の記憶も心も覗くという神官特有のスキル『神の眼』だ。
ガインはすぐに、自分の記憶と心の中を読まれているのが分かった。逆らい難い強制力に膝を屈しそうになる。
「……く……っ」
記憶にも心にも形はない。
間違いなく自分の身体の一部であるのに、自身の手では触れない。けれど、そこを人に触れられるという感覚は、とても言葉で言い表せるものではなかった。
無理やり言葉に当てはめるとすれば、全てを支配された感覚に近い。身体の隅々まで見られ、触れられているような。けれど、指一本動かせない。人によっては、これを史上の快楽と誤認してしまうこともあるだろう。
縛りつけられた視線を逸らせず、エルシアの気が済むまでと諦めたガインは抵抗せずにそのまま好きにさせていた。
しばらくすると満足したのか、エルシアの瞳は深い蒼色に戻っていた。
「ガインは猫だったのですね。私、猫が大好きなのですよ」
エルシアは柔らかく目を細める。
不覚にも、ガインはその微笑みに見とれそうになった。
「……猫じゃねぇよ」
ボソッと小声で呟き、その場にドカッと座り込む。一気に力が抜け、深いため息が漏れた。
ふてぶてしい態度かも知れないが、全てをさらけ出したのだ。これくらい許されるだろう。
「……それで、何か疑いは晴れたんですか?」
「え?」
ガインの問いかけにエルシアは小首を傾げた。
「え? って。何か疑いがあったから、わざわざ神の眼を使ったんですよね?」
「いいえ。何も疑ってはいませんよ?」
「は?」
何も疑っていない……だと?
「確認したいことがあったので使ったのです。大切なことでしたので」
「確認したいこと? 何ですか?」
「好きな人です」
「…………は?」
どうやら最初の質問は冗談でも何でもなかったらしい。けれど、いったい何のために?
「心の中を読んで、ガインの考えていることが分かりました」
「はぁ」
ガインの気のない返事を無視し、エルシアは姿勢を正して真剣な目を向けてきた。
「分かりましたから、単刀直入に言います。私はガインのことが好きです。ガイン、私を貴方の妻にしてください」
「………………はあぁあ!?」
気付けば自分でも驚くくらい、ガインはここ最近で一番でかい声を上げていた。