第22話・夢の中で手を伸ばしても
別れの挨拶もそこそこに、エルシアはもう一度ルーリアを抱きしめた後、ガインを連れて家を出た。
毎度のことだが、エルシアがいなくなった途端、家の中は寂しいくらい静かになる。
「ルーリアちゃん、本当に具合は大丈夫? 無理してない? 起きてても平気?」
アーシェンがルーリアの顔を覗き込むように確認してくる。かなり心配させてしまったようだ。
「もう大丈夫です。アーシェンさん、ユヒムさん、ご心配おかけしました」
「いったい何があったんだい? 突然、倒れたって聞いた時は本当に驚いたよ」
「わたしにも何が起こったのか、よく分からないんです。お母様は『邪竜のせいではないか』と言っていましたけど」
邪竜という言葉を耳にした瞬間、一瞬だけだが二人の表情が険しいものに変わった。ルーリアが知らなかっただけで、その存在はきっと有名なのだろう。
「……エルシア様は相変わらず嵐のような方だね。ついさっき来られたと思ったら、もう行ってしまわれて。ルーリアちゃん、少しは甘えられたかい?」
少し間があった後、ユヒムは話題を変えてルーリアに話を振った。
「はい。次に会えるのは、もっと先だと思っていましたから。少しの時間でも会えて嬉しかったです」
そう言って微笑むルーリアが無理をして笑っていることを、ユヒムたちは知っていた。長い付き合いだから、笑顔が本物か作り物かくらいすぐに分かる。本当はもっとエルシアに甘えていたかっただろうに。
そんなルーリアのいじらしさに、ユヒムは胸の奥に込み上げるものを感じていた。きっとアーシェンも同じ思いを抱いただろう。
「それは良かったわね。……でも、残念ね。時間があれば、エルシア様にルーリアちゃんの料理自慢が出来たのに」
おどけて言うアーシェンに、ルーリアは目を瞬く。
「自慢、ですか? わたし、まだそんなに料理は作れませんけど?」
「実はね、エルシア様。料理だけは苦手なのよ」
「ええっ!?」
……あのお母様に苦手なものがあったなんて!
ルーリアは常々、何か一つでもいいからエルシアに勝ちたいと思っていた。もしかしてこれは、頑張れば料理では勝てないと認めてもらえるチャンスなのでは!? と、期待が膨らむ。
「ルーリアちゃん、顔に出てるよ」
「あ……」
透かさずユヒムから突っ込みが入る。
どうにも顔に出てしまうようだ。
それを隠すように両手で頬を揉んでいると、アーシェンが呆れたように笑う。
「ちょっと自慢するくらいにして、あんまり張り切らない方が良いと思うわよ?」
「どうしてですか?」
「では料理は得意な人にお任せしますねーって、丸投げされる未来しか見えないもの」
「あ……」
さっき部屋で魔術具の管理を丸投げされたばかりだというのに、さらに追加されるところだった。危ない、危ない。
「十分ありそうですね」
「でしょ? ルーリアちゃんは自分の出来る範囲で頑張るくらいでいいのよ」
「はい。そうします」
新しく淹れたお茶をカップに注ぎ、アーシェンはルーリアに渡した。スッキリするけれど、ほんのり甘い香りと味のするお茶だ。
「……あれ? こんな茶葉、家にありましたか?」
家には何種類かあるけれど、これは初めての味と香りだった。
「これはエルシア様が持ってきてくださったのよ。ルーリアちゃんが起きたら淹れてあげて欲しいって」
「…………お母様が……」
ここから見える訳ではないけれど、ルーリアは思わず森の奥の方へ目を向けた。
……優しい味。
離れていても母の温もりが伝わってくるような、そんなほんわりとした気持ちにさせてくれる味だった。
その後、大事を取って休むように言われたルーリアは、自分の部屋に大人しく戻っていた。
けれど、起きたばかりでまだ眠くはない。
日が沈むまでには、まだ時間もある。
ルーリアはフェルドラルを手にしてベッドに座った。エルシアに会ったら、いろいろ聞こうと思っていたのに、すっかり忘れていた。
……今ならお母様の魔力も通ると思うけど。
そう思いながら、前回と同じように魔力を流し、12の魔法陣を出現させた。魔法陣は歯車のようにゆっくりと回り、美しい軌跡を描いている。
……やっぱり何度見てもすごい。
通常であれば、魔法陣からの魔力供給は、そのほとんどが一回で終わる魔力量に設定されている。
だけど、これだけ大きい魔法陣となると、一つを埋めるだけでも数回に分ける必要があるかも知れなかった。無理をすれば魔力が枯渇してしまう。
それに今回のような場合は完全に自分の感覚任せとなる。自分で魔力の残量を確認しながら、出来る範囲で流していかなければならない。が、これが簡単なようでちょっと難しい。
少しでも無理だと感じたら、強制的に手を離さなければならないからだ。つい無理をしてしまうルーリアには、わずかな油断が命取りとなる。
……今なら大丈夫、かな?
ついさっきまで眠っていて蜂蜜も飲んだから魔力は十分にある。ルーリアは覚悟を決めると、一つの魔法陣に左手を乗せ、呼吸を整えた。
慎重に魔力を流していく。
……一気に流さないように、ちょっとずつ。
魔力を流し始めて、少し経った頃。
ルーリアは今まで感じたことのない不思議な感覚に戸惑っていた。
魔力を流しているのに疲れる様子はなく、むしろ癒しに似た、魔力が増えていくような感覚まであるのだ。こんな経験は初めてだった。
身体に負担はないけれど、不安は残る。
このまま流していても大丈夫なのだろうか?
結局、魔法陣一つ分の供給が終わるまで、そのままの状態だった。
手を置いていた魔法陣が明るく光り、すぅっと魔石に吸い込まれるように消えていく。
これは魔力供給が終わったことを意味していた。
……これで……終わり?
手の平を開いたり閉じたりしてみたけれど、やっぱり疲れは感じない。これなら、もう何個か出来そうだ。
ルーリアは同じように魔力を流していき、さらに二つの魔法陣の魔力供給を終えた。
もうじき日が暮れる時間だ。
特に疲れを感じることはなかったけど、この日の魔力供給はここまでにした。
身体に負担はなくても、時間だけはしっかりと経っていたようだ。
本当ならガインが森から戻ってくるのを待ち、エルシアと何を話したのか、どんな話があったのか、詳しく聞きたいと思っていた。
けれど、眠りに落ちる時間ばかりは自分でもどうしようもない。
フェルドラルを机の上に戻したルーリアはベッドに潜り、そのまま大人しく眠りに就いた。
◇◆◇◆
夢の中で、ルーリアは『あの森』に立っていた。
白いモヤのかかった『あの場所』に。
目の前には、自分ではない『もう一人の自分』がいた。幼い姿ではなく、今の自分と同じくらいの姿だ。
もう一人の自分が何かに向かって手を伸ばす。
その手の先には濃いモヤがかかっており、ルーリアには何も見えない。けれど、あの時のような嫌な気配も、『闇』のような怖いものも、そこにはなかった。
もう一人の自分が伸ばした手の先で『何か』に触れる。そして『それ』に頬ずりするような仕草をして、そっと目を閉じた。
そのまま『それ』を抱えるように、もう一人の自分が眠りに就く。
……あれは何でしょう? とても大切そうな?
自分で自分をじっと見つめる。
とても不思議な光景だけど、なぜかルーリアはそれを知っているような気がした。
知っているのに思い出せない。
でも、とても懐かしいような穏やかな気持ちだ。
……わたしは、何を忘れているのでしょう?
答えを返してくれる者は誰もいない。
何かを抱えて眠る自分をただ見ているだけだ。
そしてそれから長い長い時がゆっくりと、緩やかに流れたように感じた。
やがて音もなく、何度かまつ毛を震わせると、もう一人の自分が静かに目を開ける。
眠っていた自分が目を開けていくと、現実の自分も同調するように目を開けていることに気がついた。
「…………!」
ハッと、ルーリアはベッドの上で目を覚ました。
…………あ、れ……?
気付けば、次の日の朝だった。
夢の中で大事なことに触れたような感覚だけが残っている。……とても、大切なものの夢を見たような。
何を見たのかは思い出せない。なのに、その懐かしいような感覚だけが、ルーリアの心に強く残されていた。