第21話・束の間の帰宅
ルーリアが次に目を覚ましたのは、それから二日後のことだった。
…………これ……は……?
水と風の複合魔法に包まれ、目の前が淡い水色と緑の光に揺らめいている。こんな癒しの魔法を使える知り合いは一人しかいなかった。
「…………お母様……」
ぼんやりと映る人影に目を向けると、そこには白金色の長い髪を尖った耳にかけ、優しく微笑む深い蒼の瞳のエルフの姿があった。
「大丈夫、ルーリア? ガインから急に連絡がきて、慌てて戻ってきたのですけれど……」
夢ではない。おっとりと頬に手をついて話す姿は間違いなくエルシア本人だ。
「……わたしは……どれくらい眠っていたのですか?」
「そうですね、丸二日くらいでしょうか。ずっと眠っていたのですから、こちらを飲んでおきなさい」
エルシアは慣れた手つきで蜂蜜を使った飲み物を作り、ルーリアに差し出した。
「……ありがとうございます」
ほんのりと温かいカップを受け取り、ルーリアは言葉を探す。
「……あの、すみません。わたしの不注意でお母様を呼び戻してしまったみたいで……」
俯いたルーリアを目にしたエルシアは、その頬を両手でぐにっと摘まんで微笑んだ。
「ルーリア。こういう時は謝罪ではなく感謝だと、いつも教えているでしょう?」
「おはあはま、いらいれふ。ありあほおほらいまふっ」
クスクスと笑いながら手を離し、エルシアはルーリアの頭を撫でた。それだけで、すぐに心がほぐされていく。ルーリアが蜂蜜を飲み終えるまで、エルシアはずっと頭を撫でていた。
「では、話しにくいかも知れませんが、何があったのか教えてもらえますか? それとも、覗いた方がいいでしょうか?」
エルシアは神官特有のスキル『神の眼』を持っている。心の中と記憶を読むことが出来るスキルだ。
ルーリアは首を振り、心を落ち着かせてから自分の口で話し始めた。ところどころ言葉に詰まっても、エルシアは見守るように耳を傾けてくれている。
「『闇』を見たのですね?」
「はい。わたしの目には『闇』そのものに見えました。……あの場所には何があるのですか? それとも、何かあったのですか?」
エルシアは少しだけ考えてから、ルーリアを安心させるように柔らかな口調で話した。
「ルーリアは邪竜を知っていますか?」
「邪竜?……いいえ」
「勇者には聖竜、魔王には邪竜。それぞれに力を貸し与える竜が存在します」
「……竜」
「その邪竜ですが、ルーリアがまだ幼かった頃に、この地に舞い降りたことがありました」
「……初めて聞くお話です」
では、あの場所にいた幼い自分は、その時の残像か何かなのだろうか?
「先代の魔王が亡くなり、制御の利かなくなった邪竜を、同じく先代の勇者様がこの地で討伐しました。その討ち取った場所が、ルーリアがいつも行っている森のさらに奥の方にあるのです」
「この森でそんなことが? わたしはそれを自分の目で見たことがあるのでしょうか?」
あれは……わたしの記憶?
「いいえ。その場にルーリアはいませんでした。恐らくですが、邪竜の思念か何かがわずかに残っていたのでしょう。たぶんルーリアは、それを敏感に感じ取ってしまったのだと思います。でも、もう邪竜はいないのですから、安心していいのですよ。念のために後で現場を見ておきますから」
「……はい。……お願いします」
もういない、と聞き、ルーリアは心の底からホッとした。思念だけでも、あれほどの存在となる邪竜だ。その邪竜を討ち取ることの出来る勇者パーティにいるエルシアの言葉は、無条件で信じられるものだった。
「ああ、そうです。ルーリア」
「はい」
「ガインにも、ちゃんとお礼を伝えるのですよ。とても心配していましたから」
「はい、お母様」
エルシアは優しくルーリアの頬を撫でる。
その細められた瞳は、綺麗な深い蒼色で。その目に見つめられるだけで、ルーリアは心が安らぐのを感じた。
絶対的な信頼からくる安心感に、残っていた不安も溶ける。その女神のような美しい容姿にも、自分の母親なのについ見とれてしまった。
……わたしも早く大人になりたいな。
エルシアが転移の魔術具を手にしているのを見て、ルーリアは部屋の荷物置き場に目をやる。
「……あの、お母様」
「なぁに?」
「前に送られてきた魔術具の魔力補充と修復は終わっています」
「まぁ、ありがとう」
「ちょっと……増え過ぎではないですか?」
「そうですか?」
現状を見て欲しくてルーリアはチラリと荷物置き場に視線を向けたが、エルシアに笑顔で流される。
「……せめて、使用回数を増やして魔術具の数を減らした方がいいと思いますけど」
「では、それをルーリアにお願いしますね」
「……はい」
「出来ればで良いのですが、この辺りを一つにまとめられたら、もっと数を減らせると思うのですけれど」
「…………はい」
エルシアは気楽に言っているが、魔術具の改造はとても難しい。組み込む魔法陣を安定させるためには、緻密な計算とそれに見合うだけの知識がいる。
「ああ、あと。こちらの威力をこのくらいにしてですね、こうすれば……」
「……お母様。これ、巻き込まれたら死人が出ますけど」
「全体に癒しを掛けながら使用すれば大丈夫だと思いますけれど?」
「…………それは、もはや拷問です」
あぁっ、アーシェンさん。
お母様は今日も絶好調です!
ルーリアは心の中で叫んだ。
体力が回復したルーリアは、エルシアと一緒に一階に下りた。店のテーブルにはガインたちがいて、話をしている姿が見える。
「……! エルシア、ルーリアはもう大丈夫なのか?」
下りてくる足音に気付いたガインは、すぐに立ち上がって駆け寄ってきた。
「そんなに心配そうにしなくても大丈夫ですよ、ガイン。相変わらず娘馬鹿ですね。原因が分かったので、今から確認に行こうと思います」
「今からか? 明日でもいいんじゃないか?」
「すぐに戻らなければいけないのですよ。今回の討伐は補助なしですと、今頃一人くらいは死にかけているかと思いますし」
物騒なことを口にして、ニコッと微笑むエルシア。
「……そ、そうか。……何か済まん」
「そもそもガインが『今すぐ帰ってこないとルーリアが大変だ! 勇者なんぞ放っておけ!』と言ったのではないですか」
「…………まぁ、言ったな」
ガインはバツが悪そうに目を逸らす。
「討伐の出発前でしたら良かったのですけれど、ちょうど戦闘直前でしたから。『ちょっと抜けますねー』と伝えたら、みんな顔色が最悪でしたよ?」
「…………そうか」
ユヒムとアーシェンは遠い地にいる勇者パーティに激しく同情した。
「そのような理由ですので、確認が終わりましたら、そのまま転移しようと思います。ユヒム、アーシェン、いつもありがとうございます。娘をよろしくお願いしますね」
「はい。お任せください」
「エルシア様、次はいつ頃お戻りになられますか?」
「ごめんなさい、かなり予定が詰まっているのです。詳しく分かり次第、また連絡しますね」
「かしこまりました」
「お気をつけて」
二人に挨拶を終えると、エルシアはルーリアを抱きしめ、髪を撫でながら優しく声をかける。
「ルーリアもいつかきっと、ここを出る日が訪れます。それまでに学べることは、きちんと学ぶように。自分を大切にするのですよ」
「……はい、お母様」
その時、ガインはハッとしたように顔を上げ、エルシアを見つめた。その金色の視線に、蒼い瞳が無言で細められる。
ユヒムとアーシェンの二人も、顔を見合わせて小さく頷き合った。