第19話・存在理由
料理の勉強はここまでで、次は常識についての話になった。
……ふふっ。
ルーリアから黒い笑みがこぼれる。
アーシェンから「ルーリアちゃんはたくさん覚えることがあるわね」と、遠回しに『常識がない』と言われたことについて、近い内に両親(特にガイン)を、何らかの手段で問い詰めたいと思っている顔だ。
「んー、何から話しましょうか?」
「……お手柔らかにお願いします」
特にこれといった題材がある訳ではなく、適当にいろんな話をするそうだ。
「じゃあ、この世界の成り立ちからにしましょうか。ルーリアちゃんは何を知っているかしら?」
いきなり漠然とした質問がきた。
「……何……えっ、と……勇者様と魔王がいる、とかですか?」
ルーリアの答えも大概だ。
「……そうね。ごめんなさい。漠然とし過ぎたわ。神様とかはどう? 女神様のお名前とか」
えーと……。
「創造神テイルアーク様、時の女神ノア様。光の女神ライテ様、闇の女神シルヴァ様。火の女神フィア様、風の女神レイス様。水の女神ミューラ様、地の女神ハナン様。それから……」
この世界の創造神であるテイルアークだけが男神で、他は全員女神だ。今、名前を挙げたのは七大女神で、その下に眷属である女神が多数いる。
続けて眷属神の名前を挙げようとすると、「そこまででいいわ」と止められた。
……え、まさかこんなことも知らないと思われていたんですか? アーシェンさんの中のわたしって……?
「じゃあ、魔法と魔術具については?」
「……えっと、地上界で使用可能な魔法は、火・水・風・地・光・闇の六属性まで。詠唱魔法と無詠唱魔法の二種類あります。魔術具はそれに『時』を足した七属性まで。物にもよりますけど、魔術具は魔力が込められていれば誰にでも使えます」
これもただの基礎だ。
「まるで模範解答のようね。エルシア様から……じゃないわよね?」
アーシェンは目を瞬いて驚いた。
魔法は少しだけ教えたが、基本的なことは何も教えていないとエルシアから聞いていたからだ。
魔法に関する知識は誰かに習わなければ伝わらないとされている。この店の来客で、ルーリアにそれを教えようとする者などいなかったはずだ。
「これは独学です。お母様が残していった本がありましたので。そこから自分なりに……」
「魔法は使えるのよね? どのくらい使えるの?」
「どのくらい、ですか?……ここから出られないくらいですけど」
ちょっと嫌な返しをしてしまった。
「ルーリアちゃんは、ここから出たいの?」
アーシェンが切ない声で尋ねる。
……わたしが、ここから。
「出たいか出たくないかで言えば、出てみたいとは思っています。……でも、現実的ではないことも分かっています。わたしは短い時間しか起きていられないのですから。……無防備になる時間が長すぎます」
ここを訪れた人たちから何度も尋ねられた質問だ。この質問には、いつも心の優しい人ばかりを巻き込む。だからルーリアはこの質問が嫌いだった。
また同じことを聞かれないように、ついトゲのある返しになってしまう。
自分で話題に出しておいて、最低だ。
ルーリアはグッと手の平を握りしめた。
「……そう、よね」
アーシェンはひと言だけ口にすると暗い顔になってしまった。もう誰にもそんな切なそうな顔をさせたくないのに。
ルーリアは無理やり話題を変えることにした。
「あの、魔法はそれなりですけど、魔術具でしたらお母様に習ったので、少しくらいなら作製や修復が出来ますよ」
「えっ! エルシア様から!? エルシア様はー……ほら、規格外?というか、いろいろと、ね。アレだから」
アーシェンの目が完全に泳いだ。
きっと過去にいろいろあったのだろう。
その気持ちなら、ルーリアにも痛いほどよく分かる。
魔法や魔術具に関しては、エルシアは『天才』であり『天災』なのだ。今でも心の底からそう思っている。
「あの、一応、危険な物も作ろうと思えば作れはしますけど、作りたいとは思わないですよ。自重心はありますし。何よりお母様と一緒にされたくありませんから」
「…………え。作れちゃうんだ」
アーシェンの顔が引きつった。失敗した。
作れないことにしておけば良かった。
アーシェンの視線が痛い……ような気がする。
また話題を変えることにした。
「じ、実は日付とか、手紙を読んでいても、よく分からないことがあったりします。本には赤の月と緑の月のことは書いてあるんですけど、分けるにしても長すぎて。四季の他に何かありますか?」
「……赤の月と緑の月?」
「えっと、この世界には月が二つありますよね? その月の話です」
「……月が、二つ?」
あれ? 不思議そうな顔をされている?
「1年、という年単位はありますよね?」
「ええ」
「その前半が緑の月で、後半が赤の月だと本にはあったんですけど。夜の月がその色なんですか?」
ああ……と、アーシェンは声を漏らした。
日付の月と夜の月は別物らしい。
ルーリアが言ったそれはとても古い呼び方で、今は1年を12の月に分け、さらに365日に分けているという。それぞれの月に日を最低28、最高で31に分け、4年に一度366日に分けてズレを調整をしている、と説明された。
……うん、さっぱり分からない。
365って、随分と中途半端な数字だと思う。
何か意味があるのだろうか?
そもそも、ズレって……?
「……えっ、と。例えば、今日なら何と言えば他の人に伝わりますか?」
「今日は10の月の23日ね」
「10の月の23日。毎日に数字が割り当てられているなんて、初めて知りました」
「それを今から覚えて使うなら、カレンダーがいるでしょうね」
「かれんだー?」
「日付がひと目で分かる紙の印刷物よ。木工が得意なら簡単なカレンダーも作れるはずだから、ガイン様に聞いてみるわね。……もしガイン様が日付を知らなかったら、ユヒムに頼むけど」
アーシェンはルーリアが日付を知らなかったことと、それに今まで気付けなかった自分にショックを受けていた。
「ルーリアちゃん、曜日は知ってる?」
「……ようび?」
首を傾げると、アーシェンは『やっぱり』といった顔になった。
曜日は日付とは別に、毎日に振り分けられている呼び方だそうだ。七日間ごとに区切って繰り返されるものらしい。
順番に、光の日、闇の日、火の日、水の日、風の日、地の日、時の日となる。
「魔法の属性と一緒なんですね。これは覚えやすそうです」
「それは良かったわ。今日は水の日だから、明日は風の日よ」
「これは……魔法や魔術に関係してくるのでしょうか? 例えば、同属性の魔法をその日に使うと何かがある、とか?」
「さぁ、それは聞いたことがないわね」
「……そうですか」
曜日が何のためにあるのか、ルーリアにはいまいち分からなかった。
またアーシェンが難しい顔をして考え込む。
自分が悪いことをしてしまったようで、ルーリアにはこの沈黙が辛かった。そんなに深刻そうな顔をしなくても、今まで何の不都合もなかったのだから大丈夫なのに。
「……あの、さっき少しだけ話に出た月ですけど、本当は何個あるんですか? 本には夜の明るい星だと書いてあったんですけど」
「月は一つよ。例えるなら……そうね。星に似た明るさで太陽のような大きさのもの、と言えば分かるかしら?」
「……ごめんなさい。星の明るさが、わたしには分かりません。……見たことがないので」
目にしたことがないものを知るということは、空想の物語を読むのと同じことだ。
物語と違うのは、自分以外の人はそれを見て体験して、当たり前に知っているということ。
…………わたしだけ、知らない。
ルーリアはまた独り、世界に取り残されたような気持ちになった。
その日の勉強会は、何となく暗い雰囲気で終わった。
ルーリアは部屋に戻り、髪をほどいて服ごと身体を水魔法で包んだ。大きな水球の中で、自分の息を奪うように流れを強く加速させる。
意識するだけで発動する無詠唱魔法は、呪文を必要とする詠唱魔法とは違う。自分の感情を映し出し、激しく流れる水が容赦なく魔力を奪い去る。
詠唱魔法だと、消費した魔力の分だけ役目を果たし、何事もなかったように消えるだけだ。自分を責めてはくれない。
だからルーリアは、今日は呪文を口にする気にはなれなかった。
「…………」
露に濡れたまま水を抜け、ベッドに倒れ込んで枕に顔をうずめる。
人に本音を話すのが怖い。
誰かを傷つけるのが怖い。
──けど、人と言葉を交わしたい。
自分のことばっかりで、ずるい臆病者だ。
目を閉じ、何も考えないように呼吸だけを繰り返す。部屋にあるのは、その音だけだった。
重く感じる身体を起こして机に向かう。
今日教えてもらったことを忘れないように、出来るだけ細かく書き留めた。
何かを考えたり、新しいことに挑戦することは好きなのに。どうして自分のことになると、こんなにも苦しいのだろう。人から与えられるものに対して、自分から返せるものがないからだろうか。
何か、人のために出来ることを見つけられたなら。そうすれば、少しは自分を認めることが出来るのだろうか。
自分は、何のためにいるのだろう?
机の上の魔術具を手に取り、分解する。
掃除をして材料から部品を作り出し、元あったように組み立てていき、終わったら魔石に魔力を流す。魔法陣を出し、魔力を込めた。
「一つ、完了……」
修復が終わった魔術具を荷物置き場に片付ける。ここには、ざっと見ただけでも百種類くらいの魔術具が置いてあった。
よくもこれだけ集めたものだと思う。
魔術具の持ち主、母は自由な人だ。
魔法も魔術具の作製も、自分よりエルシアの方が上。人に頼られ、必要とされ、自由で。
ルーリアにはないものを全部持っている。
妬んだり、羨んだり。
そんな気持ちを持ったことは一度もない。
──ただ、強い憧れだけ。
いつか自分も同じように、人から必要とされたい。誰かのために生きてみたい。
気付いたら、そう切望している自分がいた。
例え今は見ることが出来なくても、いつか自分のこの目で月や星が輝く夜空を見上げられるように。そんな日が来ると信じられるように。
──強くなりたい。
ルーリアは心から、そう思った。