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第18話・一緒の食卓


 台所は裏口から入ると、すぐ右手にある。

 だから台所の入り口近くにいたルーリアは、外から帰ってきたガインと自然と目が合った。


「お帰りなさい」

「ただいま」


 ルーリアのエプロン姿に、ガインは思わず目を留める。


「さっそくルーリアもやっているのか?」

「わたしはほとんど見てるだけです」


 そこにヒョイッとユヒムが顔を出す。


「いい匂いだね、何作ってるの?」

「もうすぐ出来るから、ガイン様と手を洗って席に座ってて」


 四人いれば、家の中は一気に賑やかになった。

 エルシア以外の誰かと食事をするのは久しぶりだ。それを考えただけで、ルーリアは今から緊張してしまう。……それに。


 ……お父さんと一緒って、何だか嬉しい。


 ルーリアは自然と口元が緩むのを感じていた。


「ルーリアちゃん、このスープ……この鍋の中身ね。この器に同じくらいの量ずつ入れてもらえる?」

「はい。これが、スープ」

「一つはルーリアちゃんの分だから、もし多かったら食べられそうな量だけ入れてね」

「分かりました」


 言われたように器にスープを分けていく。 

 自分の分はちょっと少なめにして。

 そこへアーシェンが、ルーリア以外の器に細かく刻んだ何かをパラパラと入れていく。パッと見ただけでは分からないくらい細かいが、たぶん肉だろう。


 アーシェンは大きめのカゴを流しに置き、そこに茹でていた大鍋の中身を流し入れた。真っ白に立ち上る湯気で、あっという間に手元が見えなくなる。

 そこへ油をかけ、軽く混ぜてから皿へと分けていく。とにかく手早い。その皿に小鍋の中身を載せ、さらに上から石鹸のような塊を削ってかけていく。そして仕上げに数種類の調味料をかけた。


「ルーリアちゃんはどれくらい食べられそう? ちなみにこれが一人分なんだけど」

「……えっと、半分くらいでお願いします」

「分かったわ。これをテーブルに運んでくれる?」

「はい」


 テーブルに着いている二人の所へ、出来上がった料理を運んでいく。


「今日はパスタかぁ。いいねぇ、家庭料理って感じで」

「パスタ、ですか? この細長い……」

「そう、それ。その細長い麺がパスタ。元々は神様のレシピでね。パスタっていう名前のいろんな料理があるんだよ」

「神様のレシピ……ですか? 何かすごそうですね」


 そんな会話をしつつ、台所とテーブルを往復して料理を運び終わると、アーシェンがエプロンを外しながら台所から出てきた。


「任せてしまって済まない」


 普段は見せない父親の顔をするガインに、アーシェンは苦笑いを返す。


「いいえ、私が言い出したことですから。冷めない内にいただきましょう」


 全員が席に着いたのを見て、ガインが両手を組んで祈りの言葉を口にする。


「我らが世界の神にして創造主、テイルアーク様に祈りと感謝を捧げ、今日この糧をいただきます」


 みんなで復唱した後、ルーリアは初めてお菓子ではない料理を口にした。食べ方はユヒムやアーシェンの真似をしている。意外とこれが難しい。

 驚いたことに、ガインの食事の所作はとても綺麗で、ユヒムたちと比べても見劣りしないものだった。比べて自分はフォークを持つのも慣れていないことがよく分かる。


 ……わたしはお父さんのこと、何も知らないのかも。


 父親と自分が同じ物を食べている。

 そのことは、ルーリアをとても不思議な気持ちにさせた。妙にドキドキして、くすぐったいような気持ちになる。


 パスタとスープ。甘くない料理。

 自分でも作ることが出来る、ガインと一緒に食べられる料理。


「~~~ッ!」


 浮かれた気持ちで熱々のスープを口に入れたルーリアは、軽くヤケドをし、自分が猫舌であることを身を持って思い出したのだった。




 初めて料理を習った、その日の午後。

 店のテーブルでは、アーシェンを先生とした二人だけの勉強会が開かれていた。

 内容はさっき作って食べた料理の復習と、知っておいた方がいいことについてだ。


「じゃあ、おさらいしましょ」

「はい」


 アーシェンはテーブルの上に、いくつかの食材を並べていった。


「さっき使った野菜がこっちで、調味料がこれ。あと他の材料がこっちね」


 目の前に並べられた食材にルーリアは目を輝かせた。


「パスタって名前はユヒムさんから教えてもらいました。他にも種類があるって」

「あー……料理名も材料名も同じパスタだから、初めて聞いたなら、ちょっとややこしいかも知れないわね」


 少し悩む顔でアーシェンは頬に手を当てる。


「パスタはライル麦っていう穀物を粉にして作られる料理なんだけど、その粉はいろんな料理にも使われているの。だから、その粉で作られるもの全部がパスタ、という訳ではないのよ」

「……え、えっと……?」


 さっそく混乱した。


「実物を見ながらの方がいいかしら?」


 アーシェンは食材の見本を並べた。

 袋に入った真っ白い粉と、いろんな形の硬い物。


「ここにあるのはパスタと呼ばれる物の一部なんだけど、全部ライル麦の粉……このライル粉で作られてるの」


 ルーリアは興味津々でパスタを手に取る。


「その細長い物だけは、パスタ麺て呼ぶわね」

「パスタ麺……」

「その内、一緒に作ることになるけど、ライル粉を水と塩でこねて作るのが生パスタ。それを乾燥させた物が、今日使った乾燥パスタよ。乾燥パスタの方が日持ちするから、料理には重宝する感じね」

「粉に水と塩……」


 それだけ? 意外と材料が少ない。


「パスタを乾かす時は、魔法や魔術具を使うことが多いかしら」

「料理にも魔法を使ったりするんですね」

「その辺りは調合と一緒よ。便利な方が主流になりやすいの」

「それは何となく分かる気がします。わたしには、アーシェンさんのような剣さばきは難しそうですから」

「……包丁さばき、ね。この刃物は包丁って言うの。まぁ、中には剣で斬る人もいるかも知れないけど」


 刃物を使うのは得意、不得意が強く出るという。魔法は便利だけど、食材を切るために使う人は少ないらしい。刃物でも魔法でも、切れればどちらでも構わないそうだ。


「ちなみにライル粉は万能粉とも呼ばれてて、昨日食べたお菓子にも使われているわ」

「あ、もしかしてクッキーとかですか?」

「そう。クッキーとパイの皮とタルトの下地がそうよ」

「……ライル粉、侮れないですね」


 魔王タルトの材料にもなっているなんて。

 ライル粉は呼び名の通り万能らしい。

 それならライル麦を育ててみたいかも。


「あ、でも。ライル麦を育てようなんて考えない方がいいわよ」

「ぅぐ……っ。どうして考えていることが分かったんですか?」

「ふふっ、だって顔に書いてあるもの。ライル麦自体が、この森での栽培には適していないのよ。育たないのに栽培しても時間の無駄になるわ。買う方が賢い選択よ」

「……そうなんですか。残念です」


 この辺りは高地で、夏も涼しい。

 暖かい地域でなければ育たないのかも知れない。


「話を戻すけど、パスタの料理名は『キユリのパスタ』とか『トゥーラのパスタ』って感じに、メインに使った食材名を入れると、誰かに伝える時は分かりやすいかもね。ちなみに今日使った野菜のこっちがキユリで、こっちがトゥーラね」


 真っ赤でちょっと酸味があるのがキユリで、目を攻撃してくるのがトゥーラ、と。


「そういえば、ユヒムさんが『パスタは神様のレシピ』って言っていたんですけど。レシピって、作り方のことですよね?『神様の』って?」

「レシピの意味はそれで合ってるわ。神様のレシピ、ね。それは文字通り『テイルアーク様のレシピ』って意味よ」

「……本当にそのままなんですね」


 ということは、神々も自分たちと同じように料理を作って食べている、ということだろうか? それともレシピだけ与えてくれている、とか?……うーん、謎だ。


「この国の隣にダイアランっていう大きな国があるんだけど、そこの首都にある学園の中に、神様のレシピを教える学科があると聞いたことがあるわ。世界中から生徒希望者が集まるから、そうそう入れるものではないらしいけど」


 初めて聞く外の世界の話に、ルーリアは目を輝かせて飛びつく。


「えっと、街の中に料理を学ぶ場所があって、そこに入るために何か条件があるんですか?」

「確か……試験があるって言ってたわね。でもわざわざ入らなくても、パスタのようにすでに広く知られているレシピも多いから、昔よりは希望者が減ったんじゃないかしら。お菓子も公開されたレシピはたくさんあるし。昨日食べたお菓子はピッコナ以外、神様のレシピだったはずよ」

「けっこう、いっぱいあるんですね」


 ……神様のレシピ。すごく気になります。


 

 それからアーシェンは、使った物の名前や特徴などをルーリアに丁寧に教えていった。


 味見をした食材の中では、チーズというものが美味しかった。あれは何で作られているのだろう? 削る前は石鹸だと思っていたから、アーシェンが料理にかけ始めた時は本気で驚いた。


「ここまでで分からないことはあるかしら?」

「いいえ、大丈夫です」


 アーシェンの説明はとても分かりやすい。

 かなり前になるが、エルシアから調合を習った時は、意味の分からない擬音が多くてルーリアは苦労した。


 料理を習って改めて感じたのは、やっぱりその自由さと種類の多さだろうか。

 アーシェンは同じ名前の料理でも、それを作る家庭の数だけレシピは存在する、と恐ろしい事実を教えてくれた。


 …………料理、かぁ……。


 奥が深いどころか、底のない泥沼だった。

 このままハマってしまっても大丈夫なのだろうか?

 ルーリアは少し、手遅れ感を覚えていた。



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