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第17話・台所に立ってみる


 はあぁぁ~~~……。


 思わず出た長い吐息が、自分のものではないように聞こえる。言葉が出ないとは、まさにこのことだ。

 どれほどの時間が過ぎたのか分からないくらい、魔法陣を見つめてルーリアは固まっていた。


 こんな魔法陣に回復なしで魔力供給をしたら、間違いなく枯渇する。やっとの思いで頭に浮かんだのは、そんな当たり前の感想だった。


 エルシアが今までこれを日常的に使いこなしていたと言うのであれば、その膨大な魔力量が推し量れるというものだ。

 自分の実の親だけど、化け物ですか! と、ルーリアは突っ込みたくなった。

 とは言っても、勇者パーティに参加しているくらいなのだから、エルシアが規格外なのはルーリアも何となく想像していたが。


 でも、まさか、これほどとは。

 まざまざと見せつけられた実力差には、もはやため息しか出ない。だけど、そこでルーリアはふと気がついた。


 ……あれ?


 そういえば今、普通に魔力が通ったような?

 別に弾かれたりもしていない。

 何の抵抗もなく、すんなりと魔力供給が出来ていた。


 これは、もう少し魔力を流して試してみた方がいいかも知れない。魔法陣一つ分くらいなら、自分でも大丈夫だと思う。

 そう考えて、フェルドラルの魔法陣に手を伸ばそうとした、その時。


 ──チリリン


 玄関の扉に付いているベルが鳴った。

 ユヒムたちが戻ってきたようだ。

 ルーリアはフェルドラルを机の上に戻し、急いで一階へと下りて行った。



「ユヒムさん、アーシェンさん、お帰りなさい」

「ただいま、ルーリアちゃん」

「ただいま。荷物はテーブルの上でいいかい?」

「ありがとう。そこに置いといてー」


 買い物でもしてきたのだろうか。

 昨日とは違い、今日のアーシェンは大きな紙袋を一つかかえていた。ユヒムはいつも通り、両手いっぱいの荷物だ。


「ふふっ。今日もいっぱいですね」


 またアーシェンの荷物持ちかと思い、ルーリアはからかうように声をかける。すると、ユヒムは呆れたような顔を返してきた。


「なに他人事みたいに言ってるのさ。これ、全部ルーリアちゃんのだよ?」

「……えっ」

「初めて料理を習うんだから、必要な物を用意しないと。今までやったことがないならって、アーシェンが張りきっていろいろ選んでたよ」


 テーブルの上に荷物を下ろすと、ユヒムはポンポンとルーリアの頭に手を乗せた。


 …………わたし、の……?


 その言葉の意味が頭に届いた瞬間、ルーリアはサァッと全身の血の気が引いたような感覚に襲われた。

 家で何かを習うなんて初めてのことだったから、準備をするという当たり前のことが頭からすっぽり抜けてしまっていたのだ。


「ごご、ごめんなさいっ! わたし、そのっ」

「あはは。大丈夫だから、落ち着いて」


 ユヒムは爽やかに笑うと、アーシェンに「あとはよろしく」と言い残し、裏口から外へ出て行ってしまった。


「……あ……っ」


 ちゃんとお礼も伝えていないのにユヒムが出て行ってしまい、どうすればいいのか分からなくなる。


「……わたし、ユヒムさんを怒らせてしまったんでしょうか?」

「え? ルーリアちゃんには、あれが怒ってるように見えたの? どうして?」

「……分かりません。でも、せっかくいろいろ用意してくれたのに、呆れさせるようなことを言ってしまったから……」

「んーもうっ。ルーリアちゃんは変なとこで気を遣い過ぎっ!」


 アーシェンはルーリアの頬を両手でむにっと摘まんだ。


「もしユヒムがあれくらいで怒るような男なら、私がとっくに見切りつけてるわよ」


 明るく笑い飛ばしながら、アーシェンは紙袋に手を伸ばす。


「そんなことより、さっそく料理を始めちゃいましょ。ユヒムはたぶん、ガイン様を呼びに行っただけだと思うから。二人が帰ってくるまでに、お昼ご飯を作ってあげた方が喜ぶと思わない?」

「……思います」


 ルーリアの返事を聞いてニコッと微笑むと、アーシェンは布を何枚か取り出した。


「こっちがエプロンで、こっちが三角巾。着け方を教えるから、髪を(くく)っちゃって」

「は、はい」


 有無を言わせない雰囲気で自分もエプロンを着けると、アーシェンはテキパキと準備を始めた。

 見たことのない物が次々と並べられていく。


 ……わぁっ。本物の野菜だぁっ。


 本で読んだから少しは知っているが、実物を見るのは初めてだ。びっくりするくらい真っ赤な物もある。あっという間に材料がそろえられた台所に、ルーリアはアーシェンと横並びに立った。


「今は見てるだけでいいから、全体的な流れを覚えておいてね。出来そうなことがあったら頼むと思うけど、ケガだけはしないように気をつけて」

「はい」


 この家の台所にあるのは、流しと熱を伝える板状の台だけだ。ルーリアは今まで、この魔術具を使ったことがなかった。エルシアが使っているところを見たことはあるが、料理ではなく調合に使っていた気がする。


「じゃあ、まずは野菜を洗っていきましょ」

「はい」


 心の準備が整う間もなく、料理が始まる。


水の恵みを我が手にフィース・ティル・ナ・ミューラ


 アーシェンは水球を出すと、その中で野菜を洗っていった。ルーリアも真似をして野菜を洗う。


「次は皮を剥いて、切る」

「はい」


 慣れた手つきで野菜の皮を剥いていくアーシェンの隣で、初めて料理用の刃物を持ったルーリアは野菜を不器用に刻んでいく。

 切り口もガタガタで思ったように切れない。


 ……む、難しいっ!


「~~ッ!? 何ですか、この野菜! 目が、目が痛いっ!?」


 球根みたいな野菜を切ったら、涙がボロボロ溢れてきた。鼻の奥がツンとして涙が止まらない。


「ふふふ、トゥーラは切るとそうなるのよ」


 アーシェンは慣れているのか、涼しい顔だ。

 もしかして気付かない内に補助魔法を掛けていたのだろうか。油断していた。まさか、野菜が反撃してくるなんて。


 料理中に野菜から攻撃されると思っていなかったルーリアは、念のために回復魔法を掛け、風魔法で防御した。


 ……狭い空間で目に見えない状態異常攻撃をしてくるなんて。この野菜、蜂より強い!


「お、終わりました」


 形はふぞろいだけど、とにかく刻んで鍋に入れ、そこに井戸から汲んできた水を足して魔術具の台の上に載せた。


「食材を切るのは刃物でも魔法でも、得意な方でいいと思うわ。これから熱を加えるけど、それも物理的な火でも魔法の火でも、使うのはどちらでもいいと思う。今回は魔術具を使うけどね」


 そう言ってアーシェンは台にある赤い魔石に魔力を流した。現れた小さな魔法陣に手を添えると、板状の台が熱を上げていく。

 料理で魔法や魔術具を使うことに、アーシェンは慣れているようだった。


 人族には生まれつき魔力を持つ者と持たない者がいる。アーシェンは持っているが、ユヒムは持っていない。だから、もしユヒムがこの魔術具を使うなら、他の誰かに魔力を込めてもらう必要があった。


「あっ」


 と口元を押さえ、何かに気付いた顔でアーシェンはルーリアに紫水晶(アメジスト)の瞳を向ける。


「ルーリアちゃんは……その、お肉って、まだ苦手だったりするのかしら?」

「……あ、えっ、と……」


 返事に戸惑っていると、アーシェンは『その反応だけで十分』といった顔をした。


「そんなに気にしなくてもいいわよ。誰だって苦手だったり、食べたくない物の一つや二つはあるんだから。私だってあるし、ユヒムにだってあるわ」

「えっ、そうなんですか?」

「そうよ。それを食べなきゃ絶対に死んじゃう!ってくらい必要じゃなかったら、無理して食べる必要なんてどこにもないじゃない」


 …………あ……。


 ルーリアはその言葉で、驚くくらい肩の力が抜けたのを感じた。


「人が食べてるところを見るのはどう? 材料にお肉があっても料理できそう?」

「お肉、だと分からなければ、たぶん人が食べていても大丈夫だと思います。材料は……ごめんなさい。難しいです」

「じゃあ、今回は肉抜きでいきましょ」


 アーシェンは大きい鍋を台の上に載せ、中に水をたっぷり入れて熱を加える。

 すぐに他の鍋に数種類の調味料を入れ、小皿に取って味見をした。さっきから材料を量ってもいないのに、迷いのない動きだ。

 これが調合だったら熟練の技と言えるだろう。


「んー……こんなものかな?」


 アーシェンは小皿を洗って同じようにすくい入れ、それをルーリアに突き出した。


「味見してみる?」

「は、はい」

「熱いから気をつけてね」


 フーフーと、息を吹きかけ熱を冷ます。


 ……あ、甘くない。これも料理?


 せっかく料理をしているのに甘くない物を口にするのは、とても不思議な感じがした。


 ルーリアが味見をしている間も、アーシェンは手を休めない。大鍋に塩を入れた後、束になっていた細長い棒のような物を器用に広げて入れていた。今は三つの鍋で同時進行となっている。


 っえ、どれに何を入れて……??


 アーシェンの動きが早すぎて、ルーリアは見ているだけで軽く混乱した。



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