第14話・頼りになる姉
ルーリアたちの住む山小屋は丸太を組んだ質素な造りだが、蜂蜜屋をするためだけ、と考えると建物としてはかなり大きい。
幼い頃は『三人しかいないのに、どうしてこんなに大きいの?』と疑問に思ったものだが、それも『地下の倉庫に合わせたらこうなった』と聞けば、納得の大きさだった。
地下には蜂蜜のタルを入れておくための倉庫があり、有事に備えて常に大量の魔虫の蜂蜜が保管されている。
もしどこかで大きな争いや流行り病が起こったとしても、いつでも対応が出来るようにしてある、とガインは言っていた。
その話を初めて聞いた時、ルーリアは蜂蜜を作る仕事をとても誇らしく思い、幸せな気持ちでいっぱいになった。
その時のことは今でもはっきりと覚えている。
倉庫は家の地下以外にもあった。
家の裏口から外に出て左手にある、二棟の小屋がそうだ。こっちはタルを10個も入れれば、いっぱいになるくらいの広さだ。ルーリア用や普段使いの蜂蜜は、この小屋に置いてある。
ちなみに井戸は裏口を出て右手側だ。
店にはカウンターの後ろに蜂蜜の瓶が並ぶ棚があり、そこは来客がある時以外は魔法で目隠しされている。
カウンターには丸い椅子が二つだけ。
その前の広い空間には、木製の四角いテーブルに椅子四脚のセットが二組あった。
「ユヒムさんたちは、これからまた出かけるんですよね?」
「ああ。サンキシュまで使いを頼んでいる」
ルーリアはお茶のセットをガインがいる窓側のテーブルに運んだ。ティーポットを温め、茶葉を入れて熱湯で蒸らす。
ユヒムたちは着替えるため、荷物を持って案内された部屋に入っていた。
二人がこの家に泊まるのは、これが初めてではない。それなのに今までルーリアが料理を知らずにいたのは、『たまたまだった』としか言えなかった。
ユヒムたちが外で食事を取ることが多かったからでもあるが、一番の原因はやはり、ルーリアの人とは違う生活リズムにあるだろう。
ルーリアが起きる時間には家に誰も残っておらず、帰ってくるのは眠った後だ。
ルーリアの活動時間が短すぎるため、タイミング的にも顔を合わせようがないのだ。
確実に会うとしたら、ルーリアが店番をしている時くらいだろうか。
ルーリアは客室の方へ目を向けた。
この山小屋に泊まる時は、宿泊用の客室が狭いからユヒムとアーシェンは別々の部屋になるけど、宿屋に泊まる時もそうなのだろうか?
恋人同士じゃないのに一緒の部屋に泊まるのは変なのだろうか? こういう時、他の冒険者はどうしているのだろう?
二人が恋人ではないと言っている理由を考える。他に相手がいるとは考えていない。もしいるのなら、二人だけで行商をするはずがないからだ。もしかして誰かに反対されているとか? 何か特別な理由があるのかも。
二人の父親は、ガインがどこかの騎士団長をしていた時の部下だったと聞いている。ユヒムたちがガインを様付けで呼んでいるのは、その親に倣ったからだ。
父親同士は仲が良かったはずだから、二人が付き合うとしても反対する理由が見つからない。
ルーリアはアーシェンのことを大切な姉のように思っている。だから、幸せになって欲しいと願わずにはいられない。ユヒムだってそうだ。
今日アーシェンからもらったお菓子は、自分が人からもらった初めてのお土産だった。
本当に嬉しかった。
だからその反動で、一人だけ置いて行かれる切なさに、つい泣いてしまったのだけれど。
他にも、アーシェンは知らないことを教えてくれたり、いつだって自分に優しくしてくれている。
店に来る他の人から聞くのは自慢話や愚痴がほとんどだけど、アーシェンの話はルーリアのためのものが多かった。
覚えておいた方が良いこと、あとで役に立つこと、普通なら当たり前に知っていること。
自分が知りたいことを教えてくれる。
だからこんなにも二人の関係が気になってしまうのだと思う。ユヒムとアーシェンには幸せになってもらいたい。
ガチャリと扉が開き、二人がそれぞれ部屋から出てきた。
……わぁっ。可愛い。
アーシェンが着替えたのは、襟元や袖に細やかな刺繍が入った可憐な服だった。
見慣れた硬いイメージの行商服ではなく、艶やかな紅い髪の色に合った、今の季節にピッタリの温かみのある服だ。
それを見て、ルーリアは何となく心がそわそわしてしまった。比べる物ではないと分かっていても、全くと言っていいほど飾りっ気のない自分の服を見てへこむ。
ルーリアの着ている服は布地の品質は最上級な物なのだが、生成り一色で模様もなく、着心地の良さしかない農作業用の物なのだ。
布の使い方が残念すぎる……っ!
身体の成長もほとんどないため、この服が傷んで着られなくなるまでは、ずっとこのままだ。
というか、すでに10年くらいこの服でいる。
品質が良いだけに防寒防暑もバッチリで、滅多に傷むこともないから、まだまだこのままが続くだろう。
「アーシェンさんの服は可愛いですねっ!」
ちょっとだけイライラした口調で、不機嫌にプイッと顔を逸らす。
「えっ? えっと……あり、がと?」
かけた言葉とは違い、むくれて不満そうな顔をしているルーリアを見て、アーシェンは戸惑った。
かなり大人げないのは自分でも分かる。
でも、なぜか止められない。
「どうしたんだ、ルーリア。アーシェンが困ってるだろう。お前、さっき土産をもらって喜んでいたのに、その態度はなんだ?」
その様子を見ていたガインは眉を寄せ、ルーリアを軽く睨んだ。
「……何でもないです」
この流れはまずい。
もう説教される未来しか見えない。
「何でもないって、お前──」
「はーい、そこまで!」
立ち上がりかけたガインとルーリアの間に、アーシェンが割って入った。
その顔には、薄い笑みが貼りつけられている。
くるっとガインに身体を向き直し、アーシェンはそのまま言葉を続けた。
「ガイン様。私、ガイン様にどーしてもお尋ねしたいことがあるんですけど?」
「お、おう……?」
アーシェンは笑顔なのに、なぜかガインは気圧されている。
「ガイン様。ルーリアちゃん、料理を知らないそうなんですが? 料理という言葉そのものを、知らないそうなんですが!?」
言葉そのもの、という部分を強調し、アーシェンは凄んだ顔をずいっとガインに寄せる。
何を言われるか身構えていたガインは、予想もしていなかった言葉に目を瞬いた。
「………………は?」
目を見開き、ガインの動きと思考が止まる。
「……え? ちょっと待て。料理を『知らない』? 知らないって何だ? どういう……? は?」
料理を知らない。
ガインは二回言われたその言葉をどうにか理解しようと、小声で何度も繰り返した。
そして、ルーリアが普段口にしている物を想像したのだろう。と言っても、魔虫の蜂蜜を食べている姿くらいしか思い浮かばないはずだ。
やがて、その顔色は見る見る内にサァッと青ざめていった。
「…………………………」
しばらくの沈黙。
それからガインは、ものすごく焦った顔でルーリアに勢いよく振り返った。
「お前、今までどうやって生きてきたんだ!?」
そこから先は、ずっとアーシェンのターンだった。