第13話・甘い猛毒
「美味しいって思ってもらえたのなら、私はそれで満足よ。そんなに落ち込まないで」
のんびりとお茶とお菓子を楽しむアーシェンの向かいで、右の頬からテーブルの上に崩れ落ちたルーリアは、そのまま鬱々とした気持ちをこぼしていた。
「……さすがに落ち込みますよ。もう少し早く料理を知っていたら、ここを訪れてくれた人たちにも、もっといろいろしてあげられたでしょうし。お母様やお父さんにだって、食事を作ってあげられたかも知れません」
はぁ……っ。出てくるのは、ため息ばかりだ。
目の前の皿に残ったピンクと水色のコンフェイトを見つめ、ルーリアは今までの自分を振り返った。
森で見つけた木の実や果実を摘まんで食べる、野生動物と大して変わらない食生活。
だからあの少年は、そんなルーリアを見ていられなくて、親切に木の実の焼き方を教えてくれたのだろう。あの時、自分は少年にどんな風に見られていたのか。考えるだけで恥ずかしくなる。
この辺りの植物を調べ尽くしたくらいで満足していたあの頃の自分に、このコンフェイトを放り込んでしまいたい。
そう思っていると、奥から扉の開く音が聞こえてきた。ちょうど良いタイミングだ。
商談部屋から出てきたガインたちを目端に捉える。ルーリアは皿からコンフェイトを二つ掴み、とびきりの笑顔で二人の口の中に放り込むと、そのまま外へ逃げて行った。
ふふっ、巻き込み成功っ。
裏口から外に出たルーリアは、家の中からは見えないようにエリオンの樹の陰に隠れた。
大きく息を吐き、高い空を見上げる。
……もう、こんなに雲が遠い。
今年もまた季節が巡り、自分だけが取り残されていくような、そんな焦燥感が胸に込み上げてくる。
色鮮やかに染まる木々や山を目に映し、自分だけ色が抜け落ちていくような、そんな感覚に押し潰されていく。
……不安で不安で堪らない。
どうして自分は短い時間しか起きていられないのだろう。どうして起きている時間の分しか身体が成長しないのだろう。
同じ時間を生きているはずなのに、どんどん追い抜かれていって。ユヒムやアーシェンだって、少し前までは子供だったのに。
「…………」
自分の小さな手の平に視線を落とす。
何をしたい、とか。何が欲しい、とか。
ずっと考えないようにしてきた。
……けど。心が苦しい。消えてしまいたい。
ルーリアは強く胸を押さえた。
今日初めて知った料理やお菓子は、外の世界に出られないルーリアにとって、それはそれは甘美で。
そして──猛毒だった。
ここから出たい。知識が欲しい。
心に爪を立てる毒に侵されたように、感情が一気に溢れてくる。
外の世界からもたらされた甘い魔王に心を奪われても、それを欲しいと思っても、自分ではどうすることも出来ない。物欲しそうな顔をする勇気も持てない自分には、誰にも言わずに心の奥底に隠すことしか出来ない。
……あの時の、サクサクの粉のように。
アーシェンは本当に悪気はなく、見た目が子供の自分を喜ばせようと、美味しいお菓子を買ってきてくれただけだ。知らなければ欲しいと思うこともなかったかも知れない。けど、人の好意から目を逸らしてまで生きていくのは……とても辛い。
でも。それでも。
…………知らなければ良かった。
「…………──……っ……」
堪えきれない感情と一緒に涙が頬を伝う。
止めどなく溢れてくる涙を止められない。
ここから出られないのは自分のせいだ。
誰のせいでもない。それは分かっている。
そう自分に言い聞かせ、力任せに涙を拭う。
「………………っ」
大空を舞う鳥の鳴き声に顔を上げると、眩しい光が目に差し込んだ。
この想いが誰にも届かなくても、自分は確かにここにいる。自分を目に映してくれる人が、ここにはまだいる。
いま自分がいる場所を確かめるように、ルーリアは一歩ずつ踏みしめて歩き出した。
自分が歩けば、カサカサと落ち葉の音がする。
大丈夫。まだ、ここには居場所がある。
だから……きっと大丈夫。
家の裏口にある井戸に着き、水を汲んで顔を洗うと少しだけスッキリした。魔法でも顔は洗えるけど、井戸水の方がルーリアは好きだった。
「ルーリアちゃん、ガイン様が呼んでるよ」
家の方からユヒムの呼ぶ声がする。
「……分かりました。今、行きます」
軽く頬を叩いて笑顔を作り、ルーリアは家に戻った。
家の中に入ると、ガインだけがテーブルに着いていて、ユヒムたちの姿は見えない。
きっと奥の商談部屋にいるのだろう。
「ルーリア、エルシアから伝言がある」
ガインはルーリアに、さっきまで座っていた席に着くように言った。その手にはエルシアからの手紙がある。
椅子に座ると、まだかすかに甘い香りが残っていて、胸の奥が締めつけられるような気持ちになった。
「エルシアからの話だと、お前にこれを管理して欲しいそうだ」
コトリ……と音を立て、目の前に置かれたのは、神殿に住むエルフ一族の家宝の白い弓だった。
間近で見ると、遠目でも豪奢だと思っていた装飾がより一層迫力を増す。
「名前は『フェルドラル』と言う。見ての通り、ミンシェッドの物だ」
ミンシェッド、と口にしたガインは、隠すこともなく露骨に嫌そうな顔をした。
エルシアの実家でもあるミンシェッド家のことは話に聞くだけで、ルーリアは今まで一度もその血筋の者を見たことはない。
話を聞いた感じでは、規律正しく生きることを重んじる厳しくて潔癖な一族、という印象だった。大雑把な性格のガインとは、どう考えても相性が悪そうだ。
「管理って、具体的に何をすればいいのですか?」
そう質問すると、エルシアからの手紙が渡された。その内容を要約すると、
『なぜか突然、エルシアの魔力を受けつけなくなった。使い物にならなくて邪魔だから、適当にその辺に置いといて欲しい。ルーリアの遊び道具にしても良い』
などと書いてあった。
「………………」
仮にも由緒正しい一族の家宝を、子供の遊び道具にって……。
きっとエルシアも実家の者たちとは相性が悪いのだろう。誰に向けたものかは分からないが、手紙の最後の方には『ハンガーの方がまだ役に立つ』とか、意味不明な悪口(?)も書かれていた。珍しい。
……うーん、どうしましょう。
ガインの方をチラッと見ると、好きにしろ。俺は知らん、と顔に書いてあるようだった。
ルーリアは小さくため息をつき、ひとまず弓のことは置いといて、一緒に送られてきた他の物から見ることにした。
こちらは使い終えた魔術具がいくつか。
魔力の補充と修復が必要な物だ。
魔法や魔術具に関しては、エルシアから簡単なことだけ教えてもらっていた。
材料も一緒に送られてきているはずだから、これくらいなら一人でもどうにか出来る。
少なくとも家宝級の弓よりは、こっちの方が気が楽だった。
「任せても大丈夫そうか?」
「弓……は、ちょっと気が引けますけど、魔術具の方は問題ないです。材料はユヒムさんから受け取ればいいですか?」
「ああ、それでいい。無理だけはするなよ」
魔力を持たないガインは魔法や魔術具のことはさっぱりだ。ルーリアは任された荷物を持ち、自分の部屋へと運んだ。
二階にあるルーリアの部屋は割と広く、一部はエルシアの荷物置き場となっている。その大半は、今は使っていない魔術具だ。
エルシアの工房も同じ部屋の中にあるのだが、扉に鍵が掛けられているため、今は閉鎖されている。エルシアの魔力がなければ扉が開くこともないから、ルーリアは一度も中を見たことがない。
預かった物を机の上に置いて一階に下りると、ちょうどユヒムたちが奥の部屋から出てきたところだった。
「ユヒムさん、お母様からの材料を受け取りたいのですが」
「ああ、それならすぐに渡せるから、ちょっと待ってて」
ごそごそっと、ユヒムは持ってきた荷物の中から両手いっぱいの素材を出していった。
それらを受け取って部屋に運び、もう一度一階に戻ってお茶の準備をする。
「ユヒムさん、今回は一番手前の部屋を使ってください。アーシェンさんはその隣の部屋でお願いします」
茶葉を量りながら、今日からしばらく泊まることになる二人に使用する部屋の案内をする。
ユヒムとアーシェンは普段、転移の魔術具を使って移動しているので、帰ろうと思えば一瞬で帰宅できる。しかし、自宅にいれば別の用事で束縛されてしまうため、しばらくはここに滞在したいそうだ。
転移の魔術具を使うためには、最低でも一度はその場所を自分の足で訪れなければいけない。
初めて行く場所の時は、場合によっては野宿をすることもある、とユヒムは話していた。
転移の魔術具は魔力を大量に消費するため、一介の商人が気軽に使えるアイテムではない。が、そんな常識をルーリアが知るはずもなく。
……野宿って、二人きりの時はどうしているんでしょう? やっぱりユヒムさんが見張りをするのかな? アーシェンさんの寝顔をじっと見つめて、そして…………とか? にゃぁぁっ!
などと妄想しては頬を赤くさせ、それを隠すように顔を両手で覆っていた。