《世界の姿》2
「よし、出掛けようか!」
メグが提案したのは、慣れない部屋にうろうろ歩き回ってばかりいたイナリがやっと一ヶ所に落ち着き始めた頃のことだった。
「ほら、えっと、キザキくんも居心地悪そうだし?」
「……」
イナリは瞬きを数回繰り返し、手持ちぶさたに抜いていたナイフを鞘に戻した。先程までの深刻な話題もそこそこに、突拍子もないといえばまさにその通りな提案だ。
だが彼が鈴村恵に異論を呈することはない。彼女が一度口にしたのなら、ひたすらそれに従うままである。
建前はともかくとし、きっとそれなりの理由があるに違いないのだから。
その点に至っては平常通り、イナリは理由も目的も聞かずただ黙って腰を上げた。
部屋から出れば、そこは相変わらず制服姿の絶えない廊下である。しかし今回はメグが凄むまでもなく道が開いた。
『……』
『……』
『……』
道行く異様な組み合わせに、周囲の視線は釘付けだ。
まるで見えないリードで繋がれているように、イナリはメグの左隣やや後ろをぴったりと離れない。その姿はさながら神経質な飼い犬である。
「なんかごめん、外からのお客が特別珍しい訳じゃないんだけどさ……」
如何せん、彼女は絵に描いたような人気者である。
そんな彼女が、猫背に目だけをぎらつかせた亡霊のようなモノを連れ回していれば、どれだけ配慮しても目を惹くことになるだろ。
一応彼自身も理解しているらしくわざわざ不平を漏らすことも無かったが、警備が四人もついた立派な表門を潜る頃には親指の爪をぎちぎちとかじり始めていた。
「うん、そうそう、団長……レッドさんに、私からってお願い……あと、このことはくれぐれも……」
メグが何やら辺りを気にしながら警備と話をしていたが、わざわざこちらに隠している以上聞き耳を立てても仕方ないだろう。
一段落着いたのを見計らい、彼女の後ろに続き町へと繰り出した。
埃と錆色の夕暮れの町に、突き立つように聳える巨大な銀の塔『セントラルタワー』。失われたオーバーテクノロジーの名残であるこの塔は荒廃した世界最後の砦であり、その周辺には自然と人の営みが形成される。つまりこの《セントラルタワー周辺地区》とはそういう町だ。
その賑わいは日が暮れ始めても衰えることを知らない。街路脇には夜闇を打ち払うように次々明かりが灯り、フィールドから帰還したプレイヤーたちが酒と肴に腹を満たすべく屋台や店を渡り歩く。
もうしばらくもすれば、昼間とはまた違った喧騒が町中を包むだろう。
この町に静寂はあり得ない。
「『白翼の円卓』って言うんだよ、さっきの。通称『円卓』。」
やかましい雑踏に目を細めるイナリに気を遣ったのか、メグは歩きながらそれとなく説明を始めた。
「他のタイトルから言葉を借りたら、"ギルド"って言えばいいのかな。SOGOにはまだそういうシステム実装されてないから、あくまでプレイヤー同士勝手にやってるに過ぎないんだけど……。」
「……」
理解しているのかいないのか、イナリははっきりしないまま首だけで頷いている。
SOGOでは、フィールド上でプレイヤー同士の連携性を高めるためのアシスト機能として、2から10人対応の『分隊』システムが存在する。
しかし、戦場の外に置いてプレイヤー同士の交流を補助するようなシステムは存在せず、大人数同時参加型のゲームとしては致命的な欠陥となっていた。
「本体機能のフレンドとアドレスは生きてるみたいだから、この世界の中でなら最低限の情報交換はできるんだけど。」
メニュー画面を呼び出し、イナリのそれよりもずっと長いフレンドリストをスクロールしてみせる。
「スズムラさんは、そこでもリーダーなんですか」
「リーダー……ではないんだけどね?設立にちょっと関わってただけっていうか……」
「ちょっと、ですか」
「……えっと、まぁね、あはは」
誤魔化す彼女に、イナリもそれ以上追求することはなかった。
彼女の性分ならよく理解している。様子を見るに、ここでもそれは健在なのだろう。
「リーダーじゃないのは本当だよ、団長をやってるのはアルフレッドさんだから。」
「レッドさん?」
『アルフレッド』通称『レッドさん』
知っている名前である。
目敏く反応したイナリに、メグは話題を振り替える。
「そうそう。言ってなかったけど、いつものみんなも何人かこっち来てるんだよね。」
"いつもの"というのは、恐らくこうなる前にもよくスクワッドを組んでいたフレンドたちのことだろう。
それに続き、メグは名前をつらつらと連ねる。
「とろろ先生と、ミラさんと、ルツと……」
いずれも先日のナイトフロッグで組んだメンバーである。
基本別行動なので顔こそ合わせていないが、誰と組んだかくらい覚えている。
「なんていうか、これで全員集合になっちゃったね……」
複雑な笑みを浮かべるメグ。
そこでふと、イナリが疑問を投げ掛ける。
「そのエンタクって実際何やってるんですか」
それに対し、メグは待ってましたとばかりに振り向く。
「そりゃまぁ、モチロンいろいろやってるけどね。あえて言うとしたら」
この世界に来る以前は巻いていなかった筈の白いマフラーを裁き、メグは胸を張って見せた。
「正義の味方だよ」
不意に吹き抜けた風が長いマフラーを靡かせる。
沈みかけた夕陽を背後にしたその姿は、まるで後光が差すようだった。
『あれ……メグじゃないか』
『メグだ、円卓のメグだ』
ふと、ざわつきの気配にイナリが視線を巡らせる。
夕暮れ時に賑わう大通り。道行く人々が次々立ち止まり、いつの間にかちょっとした人垣がひとつ出来てしまった。
どうやらその顔の広さは身内にとどまらないものらしい。
わずか4ヶ月。彼女はここで何をしてきたのだろうか。
彼女が気がついたときには遅く、二人は逃げ場を失っていた。
「あ……あぁっと……やっちった……かな?」
おどけて見せたところで人が散るわけもない。
「……」
イナリがこれまでにないほど機嫌を悪くしたのは言うまでもなく、その手が上着の懐に向かっている。
「え、ちょっと、キザキくん……!」
「……」
セーフティーのかかるエリアとは言え、彼に暴れられると何が起こるか知れない。
物騒なモノを抜かれる前にその腕を引くと、後ろ手に愛想を振り撒きながら狭い路地へと逃げ込んだ。
ところは変わって、二人はやっとのこと落ち着いた屋台の席へと腰を下ろしていた。
「もっと美味しいところに連れてくつもりだったんだけど、なんか調子乗ると予定狂っちゃうなぁ……ごめん。」
人目につく場所では自由が効かないというのも、人気者故の宿命である。何とか逃げ延びたが、結果寂れた屋台の一角で収まる羽目になった。
バツの悪そうな笑みで手を合わせるメグに対し、イナリは相変わらずの無表情で紙皿の焼きそばをつついている。
「おいしいです。」
「それなら良かったけど……」
ふと、他所へと向いた彼の視線を追ってみる。
先程から頻りに何かを見ていた様子だったが、彼が気にしていたのは屋台の店主だった。
「……"入って"ますよね、あの人」
ぼそりと溢した一言に、メグは合点がいったように頷く。
本来この手の屋台はNPCが営業しているものである。
それが、現在そこに立っているのは明らかにプレイヤーだ。
「こういうのも世界がこうなってからだよ。戦闘意外にもお金稼ぐ方法が必要だから。」
「……。」
料理に目を落とし、何やら考え込むような素振りを見せるイナリ。
「大変ですね」
「大変……。」
メグはイナリの言葉を繰り返し、吟味するように唸る。
「大変、大変か……まぁ、大変だけども、とっ!」
焼きそばの皿をわっしと掴むと、そのまま勢いよく掻き込んだ。
「日本酒、ボトルでください!あと氷も!」
立て続けに追加オーダーのグラスを受け取ると、そのまま豪快に煽り切る。
空のグラスを音を立てて置くと、残りの方をイナリの方へとつき出す。
「くぅっ!さぁ、キザキくんも!」
「……。」
彼女からの指示である。彼は彼女がそうしたようにグラスを一息で空けた。
「ごちそう……さま」
口元を拭うまでの姿を見届けると、僅かに頬を赤らめたメグはにっと笑った。
「あれもこれも全部、全部、まだ諦めてない証なんだよ」
「……。」
イナリは慣れない酒が効いたのか、眉根を寄せて深い瞬きを繰り返している。
「ちょっとちょっと、まだ一杯目だよ!」
「っ!」
まだ冷たいグラスを頬に押し付けられ、イナリはびくりと背筋を震わす。
そこで改めて、彼はメグとの距離に気がついたようだった。
額の着くような距離で、メグがにっこりと笑っている。
「確かにこの世界は大変だよ。でもね、大変で大変で大変なのに、みんな生きようとしてる。負けないように、必死で頑張ってる。」
「……。」
「だから私は、戦うって決めたんだ。やれることは、なんでもやる。やって見せる。みんなが笑っていられる世界になるまで。」
アルコールが効いてきたせいか、それとも別の理由か、その姿が酷く眩しく見えた。
この姿を、イナリは、木崎翔真は知っている。
これが、鈴村恵だ。
「スズムラさん」
細い目をしつつも、イナリは差し出されるままに二杯目を受けとる。
「俺も……」
「……」
無意識にでも足だけが動いていたのが、我ながら驚きだったようだ。イナリは暫し状況を把握し直そうと沈黙し、その肩を担いでいる隣の彼女に気が付いた。
「あ、気がついた?」
千鳥足のイナリに肩を貸したメグが、ばつの悪い顔をしている。
「……。」
ここしばらくの記憶に穴が開いている。
屋台でメグの飲むペースに付き合っていた辺りからだ。
「いやぁ、無理させちゃったかな……ごめんごめん、気分よくてつい……」
どうやら、というより案の定、酒にやられていたらしい。
勢い付いていたとはいえまさかここまでやられるとは、もとい仮想現実の中で酔いつぶれるとは予想もしない。
「次はもっと付き合えるようにします」
「い、いいよ、変な気つかわなくて……。それよりびっくりしたよ。よく飲むなって感心してたら、いきなりひっくり返っちゃうし。」
「……」
そう言われれば、後頭部に鈍い痛みかある。
この「ひっくり返った」は単なる比喩ではないらしい。
「今、本部まで向かってるところだよ。今日は疲れたし、もう休もう。」
確かに、見覚えのある道である。
「……」
部外者の彼が宿屋感覚で出入りのできる場所とは思えないのだが、彼女があの様子なので問題はないのだろう。
仮にあったとしても、イナリにとってはメグの、鈴村恵の意見こそが真理である。故に"彼にとっては"問題ないのである。
「あ、ついたらちょっとだけほしいこともあるから、起きててね」
「……」
軽く頬を叩かれていると、やっと見覚えのある立派な門が見えてきた。
「ついたよキザキくん、自分で歩ける?」
「はい」
酔いもいくらかましになってきた。
自分の足できちんと立つと、メグに続き再び件の威圧感溢れる門を潜る。
それにしても、今日は何から何まで忙しい一日だった。
正直、この日起きた出来事の半分も理解しきれていないが、それでも大して問題ない気がしている。
隣には、鈴村恵がいる。
あの人はいつも、常に正しい。あの人についていく限り、きっとどんな道であろうと歩いて行けるだろう。
根拠はない。だが必要もない。確信している。
彼女と出会ったその日からずっと、否、おそらくこれからもずっとそうである。
何やら警備の人間と話し始めたメグの背中を見つめながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
そんなときだった
「貴様か、噂になってるのは」
さして気にしてもいなかった、自分が再びここに連れ戻された理由を、彼はここで知ることになる。