ライバル心
ぼくたちがノーチェたちの塒に居候させてもらいはじめて数日。前途多難に見えた生活は何とか軌道に乗り始めていた。
最初こそ役割分担で少し揉めたものの、話がついたあとはある意味スムーズ。
まずスフィが採集に出ている間はフィリアがぼくにつく。お守りは不要だ……というぼくの意見は説得力が無いということで即時却下された。
あの日、食事のあとすぐに熱出して丸一日寝込んだので仕方ないかもしれない。小さな頃から健康なスフィを羨んでた記憶がある程度には虚弱だったけど、改めてあの逃避行をよく生き残れたなと自分自身に感心した。
……流石に死んでからぼくが憑依したとかいう類じゃない……とは思う。前世を思い出してからのぼくにスフィが特にツッコミを入れてこないし、記憶にある前のぼくと今のぼくを比べても大して言動が変わってない。
……いや、うん。
前世を思い出す前から、ぼくは女の子扱いされることに納得してなかった。
今でこそ慣れたけどスカートも嫌だった。一人称も『わたし、わたくし』を使うのが嫌で、かといって村の男連中みたいに『オレ、オラ』と呼ぶのもしっくりこなくて、結果的に『ぼく』に落ち着いていた。
おじいちゃんもかなり頑張って矯正しようとしてたけど、ぼくの方が断固として譲らないから最終的には諦めていたっけ。
そういった諸々をひっくるめて考えると、具体的な変化は前世の知識が増えただけだったりするのだ。
男の子として10年以上生きた経験の影響はあるし、ちょっとだけ男の子っぽい側に思考が寄ってる感じはする。それらの影響が小さいとは思わない。
だけど、びっくりするくらい思い出せる自分の言動に違和感がないのだ。
演技したり騙したりする罪悪感がなくて助かるからいいんだけど、人生と世界を1個隔ててなお変わらない自分にちょっと遠い目になったのだった。
■
ところで、スフィの野山での活動能力は群を抜いている。
フィリアやノーチェが低い訳じゃなくて、スフィの能力が高すぎるのだ。身体能力に大きな差がないのなら、あとは経験値と知識量が物を言う。
何しろ優秀な錬金術師に何年もかけて錬金術の基礎知識と技術。更には旅歩きの方法を教えられてきた。普通の人間が大金を積んで頭を垂れることでようやく得られるものを、天性の才能を持つ少女が惜しげもなく与えられてきたのだ。
少なくとも森や山で食べ物に困ることはない。逃避行中に困窮したのは、あくまでもぼくを守らないといけなかったからだ。優しいスフィは病弱で動けない妹を森の中に放置して何時間も採取には出られない。
ぼくという足手まといが居なければひとりでも余裕で生きていけるだろう。村を脱出する少し前にこれを言ったら、頬を膨らませて泣き出したスフィに絞め落とされそうになったのでもう言わないけど。
そんな訳で、信用できるフィリアという子守を手に入れたスフィはものすごく働いていた。やりすぎて、食料が食べきれなくて余るほどに働いていた。
……というか、危うく周囲の山菜を取り尽くしそうになってた。ぼくが注意しなきゃ危なかったかもしれない。
「ほら、追加にゃ!」
「の、ノーチェちゃん、これ以上持ってきても」
「あたしの面子がかかってるにゃ!!」
一方で余所者&年下&気に入らない奴&超有能のクアドラプルコンボに触発されたのが家主さんであるノーチェ。
ノーチェの身体能力は方向性が違うだけでスフィに迫るものがあった。痩せてみえるのに子供とは思えない力強さと猫科のしなやかさを併せ持っていて、中でも反応速度に関してはスフィ以上かもしれない。
彼女は森に出て野鼠や栗鼠を取ったり、壁内部にある遺跡地帯を流れる川で魚を取ったり。主に狩り方面で全力を出してしまっていた。
競い合って力を高め合うのも、食料が増えるのも大変結構なんだけど。現実的には手放しで喜べない問題がひとつ立ちふさがることになる。
「アリスちゃん、だいじょうぶ?」
「じゃない」
フィリアの言うことを聞かずに川の方向へ走り去ったノーチェを見送り、床でびちびち跳ねる川魚……鱗が緑色だけど、味も形もマスに似てる魚を見てため息を吐く。
背後には廃墟で見つけてきた壺に詰め込まれた森の幸と川の幸。蔓を結んで作った干し竿にも肉や山菜を干したものがずらりと並んでいる。
スフィも初対面の敵意を引きずってライバル心を剥き出し、ノーチェもプライドを傷つけられたのかムキになって際限がない。ノーチェ側もすぐに植物じゃ勝ち目がないと判断して、動物性タンパク質に専念したのは冷静かつ良い判断だったと思うんだけどさ。
結果としてはこれだ。どう考えても後衛の処理能力が足りない。
「うぅ……わ、私がやっておくから、休んでて?」
「ごめんフィリア、あとでスフィにちゃんと言うから……」
何せ解体と後処理の担当がほぼ素人であるぼくとフィリアのふたりなのだ。魚はまだしも肉に関しては獲物が小さいとはいえ力が必要なのでフィリアに頼りっぱなしになる。処理のために川まで運ばないといけないのも辛い。
「食べ物がこんなにたくさんあるのに、苦しいの……じんせーって大変なんだね……」
最大の問題が、ぼくは言うまでもないけどフィリアも体力に自信がある側じゃないってことだ。へとへとになるまで解体して、それからごはんを作ってばたっと倒れる。起きたらまた食材の山と格闘だ。
生きてきて、過ぎたるは及ばざるが如しなんて言葉を実感する日が来るとは思わなかった。
これが日本のネット界隈で噂になっていたブラック労働ってやつなんだろうか。
「フィリア……それ毒キノコ、とりこぼしてたみたい、ごめん」
「うぇ!?」
フィリアが手に持っていたアカダケモドキを慌てて放り捨てた。ぼくはそれを蹴って貯蔵庫の隅にある毒物エリアへと追いやる。あっちも廃棄が追いついてなくて溜まってきている。
森の幸の方も納入数が多くてチェックが追いつかない。うっかり毒を見逃すことだけは避けなきゃいけない。
■
「食べ物採集、控えめにするほうこうで」
「えー……」
午後になって山ほど森の野菜を抱えてきたスフィをねぎらった後、ぼくは切り出した。加減しろと言ったらまさか探索範囲を広げるとは。人里近くに集まる習性を持つ魔物はもちろん、魔獣が出る可能性だってあるのに危ないことはしないでほしい。
「処理でいっぱいいっぱいです、毒物のチェックもおいつきません」
「むぅ……わかった」
スフィは妹であるぼくのお願いなら聞いてくれる。理由をちゃんと説明すればわかってくれるのだ。
「しばらくは解体処理をてつだってください」
「はーい……ってなに、そのことばづかい?」
伝達事項を通達したところでふぅっと息を吐く。真面目モードの何かが琴線に触れたのか、くすくす笑うスフィにほっぺたをふにふにと抓まれた。
「でも、そんなにたくさんあつまった?」
「うん、たくさん過ぎた」
「あの子よりたくさん?」
「……たぶん?」
「そっかぁ!」
動物性タンパク質と植物じゃ比較できない。濁すような曖昧な答えでも満足してくれたみたいだった。
「じゃ、スフィもかいたい手伝うね」
「うん、すごくたすかる」
機嫌のよくなったスフィを連れて、処理に使ってる貯蔵庫へ向かう。今ある分を加工すれば暫くは食べ物に困らないはずだ。その間に拠点をもうちょっと何とかしたい。
ぼくたちに割り当てられた小部屋から出ると、ちょうどフィリアとノーチェも出てくるところだった。ノーチェは……自慢気に口元を緩めて、しっぽをゆったりと揺らしている。機嫌は良いみたいだ。
フィリアを見ると、ホッとした様子で頷いていた。どうやらノーチェ側の説得もうまくいったらしい。
そのまますれ違う……ことはなく、ふたりは正面からお互いを見やって……ノーチェはぼくへ、スフィはフィリアへと視線をずらした。
……おおっと、なんか嫌な予感がするぞー。
「おう、あたしったらちょぉぉぉっと頑張りすぎたみたいにゃ。これからは加減してやるにゃ」
「スフィ、ちょっとがんばりすぎちゃった、フィリアごめんね」
これも異口同音なのだろうか。自分の発言と同時に出た言葉を聞き止めたふたりは、再び睨み合って火花を散らす。
「スフィががんばりすぎたから」
「あたしが頑張りすぎたにゃ」
眼からハイライトの消えたフィリア兎耳が、ぴんと立っていたのに見る影もなく垂れてしまう。ぼくも耳を後ろに寝かせて、深い溜め息を吐く。
「スフィのほうががんばったもん!」
「あたしの方が頑張ったにゃ!」
どうしてふたりとも頑張ったじゃダメなんですか……。
幸いにも、ふたりとも状況は理解してくれていたから食材の供給は一旦ストップした。だけどライバル同士のぶつかり合いはもうちょっと続きそうだった。
仲良くできれば、それが一番いいんだけどなぁ……。
■
……昔から、ぼくは雨がキライだった。
「最悪にゃ……」
競い合うふたりを加えて恐ろしい速度で解体が終わり、干す準備を整えて迎えた翌日。外はざーざーぶりの雨だった。別に雨季ってわけじゃないはずなんだけど、最近はどうにも天候が崩れがちだ。湿気で汚れたしっぽの毛がうねる。気分も滅入る。
「干せないのは辛いね」
「食べきるしかにゃいかー……」
採集も狩猟も中断なのはいいけど、食べ物の保存が利かなくなりそうなのが痛かった。
「日持ちするもの以外は食べるか焼いちゃおう」
何とか干しが終わってるものを除いて、加工中のものも含めて火を通そう。そうすれば常温でも1日くらいは持つはずだ。
手分けして入り口付近で火を熾す。昨日のうちに乾いた枝を集めてもらっていてよかった。
小枝に野菜とキノコと肉を刺して串焼きにしていく。よく火を通して、焼けたものから葉っぱで包む。肉食系の獣人は肉の生食も一応平気だけど、この状況じゃ万一お腹を壊した場合にリカバリーが利かないので安全策で行く。
野菜とキノコだけの串はフィリア用だ。
前におじいちゃんの親類の男がわざわざやってきた時に、身体を拭いてやるとニヤニヤしながら言われて断ったことがある。その時、作っていたスープにそいつが玉ねぎに似た野菜を混ぜたのだ。
30代妻子持ち、叔父からせびった金で贅沢を覚えて畑を放置するようになった男の所業だ。今考えると色々酷い。
スフィは匂いで気付いて不審がって食べなかったけど、鼻の利かないぼくはうっかり食べてえらい目にあったのだ。
夜中にトイレに起きたらやたらふらつくし、お腹も痛いし。乏しい明かりの中で出したおしっこが真っ赤で腰が抜けそうになった。付き添ってくれていたスフィが凄い悲鳴をあげて大変だった。
おじいちゃんが医療にも通じてなければやばかった。流石に怒ったおじいちゃんが援助を差し止めたら……息子までけしかけて散々嫌がらせをしてきたっけ。おじいちゃんの死後に先陣切って乗り込んできたのも、ぼくたちを人買いに売り渡す算段を立てたのもそいつだ。
納屋に閉じ込めて「お前らみてぇな獣に上等な
「はぁ……」
そういやおじいちゃんが死んだ日も、追い出された日も雨だった。
ほんと、雨の日は嫌なことばかり起こる。憂鬱な気分を少しでもごまかそうとテキパキと手を動かす。
「んー」
「おいで」
「?」
一区切りついたところで、隣で作業を終えたスフィが、身体を伸ばすぼくをぎゅっと抱きしめて頬を寄せてきた。少し肉付きが薄くなったけど、まだ柔らかいほっぺたが頬にくっつく。
「スフィ?」
「アリスは雨、きらいだもんね」
よしよしと、子供をあやすように頭を撫でられた。
……ふと、前世でたいちょーさんに乱暴に頭を撫でられた時のことを思い出した。おじいちゃんはあまり撫でてくれなかったから、なんだか妙に懐かしい。
雨の日はよくないことが起きる。前世でもずっとそうだった。
物心ついたあとは、ひとりぼっちで冷たい雨に打たれて、ずっと雨音を聞いていた記憶だけが鮮明に残っている。
後の引きこもり生活は確かに少し窮屈だったけど、娯楽は十分にあったし……何より雨に降られることがないから快適でもあった。
「雨、はやくやむといいねぇ」
「……うん」
雨に濡れて少し冷えた空気の中で、スフィの頬は暖かい。
あのときも、こうやって傍に居てくれる人がいたら。ぼくは雨を嫌いにならなかったんだろうか。そんな益体もない疑問が浮かぶ。
耳を打つ雨音の中には、答えなんてありそうもなかった。