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街への道


 目が覚めてから2日目。


 眠っている間にアリスの人生をまた夢で見ていたみたいで、起きると涙が溢れていた。スフィに見つかる前にボロ布で乱暴に拭き取って隠蔽する。


 そんなこんながありつつも、眠っていると多少は身体もマシになっていた。昨日の混乱が嘘のように精神状態も馴染んで安定している。


 ちなみにマシになったといっても体調は良くない。だるくてふらつくのを我慢すれば何とか動けるってレベルだ。


 この状態でもさほど違和感を感じてないあたり、アリスとしてはこれが当たり前だったんだろう。健康体だった前世を知って、ようやく違和感を感じているような有様だった。


 常に風邪を引いてるみたいで辛い、でも文句なんて言っていられない。ぼくには解決しなきゃいけない問題がいくつもあるのだから。


 記憶や気持ちがアリスと地続きとはいえ、前世の自分の比重が小さいわけじゃない。


 思ってもみなかった人生をやり直す機会だし、せっかく自由に外を出歩ける機会が得られた。だからこそ、この状況をなんとかして体調も改善しないといけないと思う。そうしなければ今生も引きこもり生活まっしぐらだ。


 ……念の為言っておくと、引きこもりそのものが嫌なわけじゃない。あれはぼくの性質に合致したライフスタイルだった。強制的にその状態にさせられるのが嫌なのだ。


 出たいときには自由に外に出たい。面倒を見てもらえるのは嬉しいけど、閉じ込められるのとバーターじゃ割りに合わない。


 まぁ、そんなことよりまず命の心配をしないといけないのが現実なのだけどね。


 自分でも前から危惧していたけど、この身体は劣悪な環境じゃ長くは持たないだろう。おそらく数年で限界が来る。


 アリスの肉体は総じて頑健な獣人という種族の中にあって、悲しくなるほどにか弱い。


 おじいちゃんが動けていた頃はまだ良かった。症状を和らげる薬やら、食事やらの用意をしてくれていたから。


 そんなおじいちゃんはここ数ヶ月ベッドの上でほぼ寝たきり状態。ぼくは自分の薬を自分で用意するようになって、家事を一手に引き受けるようになったスフィの負担も増えていく。


 要看病の人間ふたりも抱えるなんて大仕事、7歳の女の子が満足にこなせるはずもない。


 遺産が転がり込んでくるのだけを虎視眈々と狙う連中が手助けなんかしてくれるわけがない。


 そのうち家事も回らなくなっていって、ぼくの体調も引きずられるように悪化していった。


 現状、ぼくとスフィのコンディションは考えうる限り最悪に近い。


 暖かい服もまともな装備も取り上げられた。何とか逃げることは出来たけど、おじいちゃんを見送った代償は大きかった。


 おじいちゃんの遺産の中で最も価値のあるものは持ち出せたけど、心情的にも現実的にも換金は不可能だし、今は持っていても使いみちがない。


 他に持ち出せたものは、ぼくたちの親の手掛かりになるっていう首飾りくらいで、こっちもおじいちゃんから「心から信頼出来る者以外には、決して見せてはなりません」ときつく言い含められている。


 妹を死なせずにここまで連れてきただけでも、スフィはすごいことをやっている。だけど、ここから先はぼくが足手まといのままじゃ遠からず詰むだろう。


「ふぅ」

「アリス、おきた?」


 身体を伸ばしながら息を吐くと、廃屋の入り口からスフィが顔を覗かせた。……さっきから外でごそごそ音がすると思ったら、入り口の方で何かやっていたらしい。


 左手には刃の欠けたナイフ、右手には枝を払って皮を剥がしている最中の木の棒。


 ……武器?


「スフィ、何してるの?」

「うんとね、ナイフだとやっつけられないから」


 色々すっ飛ばした発言に一瞬首を傾げてしまうけれど、要するにナイフだと仮に敵が襲ってきてもやっつけられないから、もっとリーチの長い武器を作っていたらしい。


 住んでいた村ではおじいちゃん以外と友好的な交流がなかったせいか、ぼくたちの間では以心伝心とばかりに雑なコミュニケーションがまかり通ってしまうようになっていった。


 これで伝わってしまうのだから無理もないけど、今後は自分たち以外とも関わっていかなきゃいけないので直さないと。


「スフィが守るから」


 幼い顔に決意を浮かべて、スフィは木の棒を眺める。


 この世界には魔物と呼ばれる人類にとっての敵対存在が居る。本で読む限りでは発生原理も生態も不明で、ひたすら人間に敵意を向ける存在とされている。


 大半が何故か人間をはじめとする既存の生物に類似した外見を持っている。


 特徴としては全体的な色味が黒く、魔物以外の生物に対して極端な攻撃性を見せること。食料は必要としないし、他の生物とは絶対に共存しない。


 魔術を使う獣という意味で魔獣と呼ばれている生き物と混同されたりするけど、明確に違う存在で、もっというなら生き物かどうかすら怪しいらしい。


 ここらへんは危険な獣はほぼ居ないけど、現地語で『這いずる粘塊』と呼ばれる魔獣が棲息している。便宜上スライムと呼称するけど、おおよそ間違ってない翻訳だと思う。


 ゴムに似た性質の皮膜に覆われた内部にゼラチン質の体液を持ち、その中心に色とりどりの魔石核を持つ魔獣だ。魔獣の中では温厚で臆病、主な食性は森に落ちている動物の死骸や腐敗した果物、排泄物なんか。


 他のどの生物にも属していない見た目から、昔は魔物に分類されてたらしい。最近になって生態についての研究が進んだことで魔獣に再分類されたのだとか。生態系の中ではミミズやハエに近い位置にいる、いわゆる分解者だ。


 人間が近づくと警戒と敵意を見せるけど、棒を振り回して威嚇するだけでも逃げていくほどに臆病。


 ただし弱くはない。逃げ回るスライムにちょっかいをかけた村の子供が反撃を受けて怪我をすることも珍しくないくらいだ。警戒するに越したことはない。


「街まであとちょっとだけど、アリスは動ける?」

「…………んー」


 ぼくが起きたので音を気にして外でやる必要がなくなったのだろう。廃屋内に戻ってきたスフィがそんなことを訪ねてくる。


 耳を澄ませるとかなり遠くから人間の喧騒が聞こえてきた。


 大きな耳は伊達ではないのか、この身体は恐ろしく耳の性能が高い。天候が落ち着いていて遮蔽物が何も無いって条件なら、集中さえすれば数kmくらい先まで余裕で音を拾えそうだ。


 森の中のせいか木の葉の擦れる音に紛れて、あいにくと遠くで人の声がしてる程度にしかわからないけど。ただ……なんか、聞いた覚えのあるような声が混じっているような気がする。


 このまま素直に門に行くのは、なんだか都合が悪そうだ。


「門から入るのは、やめたほうがいいかも」

「?」


 耳をピクリと動かして、こてんと首をかしげるスフィ。聞く姿勢に入ったのがわかったので、頭の中で伝えるべき言葉を整理しながら口にする。


「ぼくたち、現金の持ち合わせがないから入場料が払えない。身分証になるものも、取り上げられたまま。けほっ……さすがにそこまでは、しないと思うけど、街に尋ね人として手配されてたら連れ戻され……かねない……ぜぇ、すぅ。この辺で、獣人の扱い、が、それほどいいげほっ、とは、げほっ、思えな……ぜぇ、かひゅ……」


 ゆっくり喋っていたのに、疲労で息切れを起こした。力なくへたりこむと、スフィが背中を撫でてくれた。


「ぜぇ、ぜぇ」

「ゆっくりでいいからね」


 何度か深呼吸をして呼吸を整えて、少しだけ休む。ちょっと想定外に身体が弱い。健康体に近かった前世の感覚にまだ引っ張られている。


 自分が健康な男のつもりでいると、いつか致命的なやらかしをしそうだ。切り替えないと。


「正面から、こほっ、門を突破するのは困難。手続き待ちに相乗りするのも、リスクがある」


 この国では獣人の地位が低い。よくない相手を引けば、ぼくらを売り飛ばして一儲けしようとするだろう。今は泥で汚れているけど、見る人がみれば美少女に育つことがわかる容姿をしているのだから。


 ……少なくともスフィは。


「くぅん、じゃあどうするの……?」


 むぅっと眉間に皺を寄せてスフィが唸った。昔から、こうやってぼくが色々考えてスフィが聞き役になることが多かった。頭脳担当と行動担当で分かれていた。


 とはいえスフィはぼくより頭も勘もいい。ただし考えるより感じたままに動く癖があって、理屈や理由の読み解きなんかを担当するのがぼくだったのだ。


 そして、今の状況では単純なサバイバル経験と人間に関する知識量が物を言う。そのあたりのイロハは前世の保護者であるたいちょーさんに多少仕込まれている。


 こういう場合は……。


「街の外壁をぐるってまわってみて、もし身なりの汚い子供が森で採取してたら後をつける」

「どうして?」

「この国だと街の出入りにかかる税金は入場税。基本的に出入りに対してかかるもの、おじいちゃんも街の出入りにはお金がかかるっていってた……けほっ。身なりの汚い子供ならスラムの子の可能性がぜぇ、高い。その子たちがぜぇ、ぜぇ……素直に正門から出入りしてるとは……思えない」


 子供とは言え門を使うのにお金がかかる。国際冒険者ギルドに所属する冒険者の正規ライセンスがあれば、規程の外出期間内の出入りなら税が免除されるらしいけど、正規ライセンスを取れるのは最短で10歳からだ。


「すぅ、ふぅ……ぼくたちと同い年くらいの子なら、入場税を免除できる正規ライセンスは……けほっ、持ってない。でも森の何かを採取するために外に出てる、ごほっ、なら」


 正門とは別の、アウトローな出入り手段があるってことだ。


「それ、だいじょぶなの?」

「大丈夫じゃないけど……」


 仮に門を無事に通過できたところで身を立てる手段がない、即座に金を作る方法もない。聞いたことがある範囲の情報でも、後ろ盾の無い子供の売春はリスクは高すぎることがわかる。


 すぐに入門料を都合できない場合、幼い子供であるぼくたちの身元はこの街が預かることになる。獣人差別の根強い地域だ、自由を奪われてどんな風に扱われるかもわかったものじゃない。


 一方でこの国の入場税に関して、もし払わずに素通りして発覚した場合は通常分に一定倍率が加算される罰金刑。それが払えないと奴隷制度を通して身を売ることになる。


 街に入る時は入場税をきちんと払わないといけないんだよ。後になって大変なことになるのは自分なのだから……とおじいちゃんは言っていた。


 逆に言えば、罰金分を足して即座に払えればそれで済むってことになる。そして自分から申し入れた場合の最高倍率は3倍に制限される。おじいちゃんの家にあったラウド王国法律全集と判例集で読んだ記憶がある。


 街に入り込んで拠点を作り、お金を稼げたら自分から役所に申告して罰金分も含めた入場税を支払う。逃げ切れそうなら準備を整えて、捕捉される前に次の街へさっさと旅立ってしまう。


 ……正直だいぶイリーガルだけど、直感のようなものが正門からは行くなって警鐘を鳴らしてる。前世でも今生でも、この直感を無視したときは大概ひどい目にあっていた。


「むぅ……」

「それと……なんかね、嫌な予感がするから……」


 基本的には良い子のスフィにとって、こんな悪いことをするのは悩ましいってわかってる。だけど何とか受け入れてほしい。


「……まえに、森に木の実とりにいったときさ」

「うん」

「山の方からおりてきた、でっかい熊さんがいてびっくりしたことあったよね」

「……うん」

「アリス、その時ずっとイヤな予感するって言ってたよね」


 5歳くらいの時だっけ。


 居たのは森の向う側にある山の裾野を縄張りにしている熊だった。それが縄張りに入り込んだ外敵を追いかけて村の近くまで来ていたみたいで、スフィが匂いで先に気付いていなければ危なかった。


 その日は朝から妙に森がざわついていて、どうにも嫌な予感がしていたんだっけ。


 今日はそこまでじゃないけど、薄っすらと行きたくない感じがしてる。門のあるらしき方角からする喧騒の中に、聞いたことのある嫌な音が混じっている気がするのだ。


「わかった……アリスのいうとおりにしよ?」

「ありがと、スフィ」


 渋々ながら納得してくれた様子にホッと胸をなでおろす。


「じゃあ、壁をぐるーっと見にいく?」

「そうだね、早いほうがよさそう」


 今は落ち着いてるけど、いつ体調が悪化するかわからない。やれることは動けるうちにやっておきたかった。



 スフィと手をつないで壁沿いに歩く。外壁の上に立つ見張りの数はそんなに多くないので、森の中を行けば見つからずに進むのは簡単だった。


 簡単すぎて、ゆっくりと考え事が出来てしまうくらいだ。


 ぼくが右側でスフィが左側。スフィは左利きでぼくは右利きなので自然とこの立ち位置が基本となっていた。思えば双子なのに利き手も得意分野も綺麗にバラけているのは面白い。


 スフィの得意分野はずばり運動。基本的には天才肌なので大抵のことが出来るけど、中でも身体を動かすセンスに関してはずば抜けている。更には体力もすごい。7歳の女の子がぼくを背負って森の中を逃げ回って、今なおピンピンしているんだから察してほしい。


 あとは……獣人にしては珍しく凄まじい魔力の変換率と保有量を持っていて、魔術も直感的に覚えてすぐに使えるようになってしまう。


 ぼくの知ってる範囲ではおじいちゃんから習った魔術は全て習得しているみたいだった。ただし、魔力が多すぎるせいでコントロールは苦手。前に練習を眺めているぼくを風の魔術の暴発で川の中までふっとばして以来、放出系の魔術は使おうとしてない。


 一方で、ぼくは魔術と呼ばれるものを操る素質が殆ど無い。変換率も保有量も獣人の中ですら平均よりやや下程度。放出はおろか肉体を強くする身体強化すら覚束ない。運動神経は悪くないんだけど、体力が致命的になさすぎてどうしようもない。


 実際に、物凄いスローペースで歩きだして数分も経っていないのに既に疲労が脚にきてガクガクだ。


 ぼくの武器は……おじいちゃんに習った錬金術と、蘇った前世の記憶。経験値という意味では子供よりは遥かにマシだけど、大元がサブカルにどっぷりの引きこもり。スフィの知識に毛が生えた程度でしか無い。


 たぶん最大の武器になるだろう錬金術には貴重な材料や道具が必要で、それを用意するにはお金か時間が必要。ちょうど今のぼくたちに致命的に不足しているものでもある。


 何とかして、落ち着ける拠点が必要だった。


「……アリス」

「うん、ラッキーかも」


 考え事をしている最中に聞こえてきた音へと耳を向けて息を整えていると、くんくんと匂いを嗅いでいたスフィと目があった。小さな足音に呼吸音、粗い衣擦れの音が近くにある。


 しゃがんだまま気配を消し、様子を窺いながら近づくと――居た。


 埃と垢で汚れてくすんだ、ウェーブがかかったチェリーブロンドの髪の毛。ぴょこんと生える2本の……灰黒の兎のような耳。着ている貫頭衣の質はぼくらが今着ているものと大した差がない。


 年齢は、たぶんぼくたちより少し上くらい。しゃがんでるからわかりにくいけど、10歳前後に見える。


 狙った通りの、身寄りのなさそうな浮浪児だった。


 スフィとアイコンタクトで相談する。問題は後をつけるか声をかけるかだ。


 ……どことなく大人しそうで、嫌な音はしなかった。地面の草を掘り起こしている横顔には卑しさがない。


――育ちってのはな、顔にでるんだ。ただし見るのは正面からじゃねぇぞ、横だ。普通は横顔を注目されてることなんざ想定しねぇからな。仮面の裏が出やすいんだ。


 たいちょーさんが雑学代わりに教えてくれた人間の見分け方。正しいかはわからないけれど、ぼくにとって判断基準はそれくらいしかない。


 大丈夫そうだと頷くと、声をかけるためスフィが立ち上がった。ぼくも合わせて立ち上がろうとして――。


「こひゅっ」

「――!?」


 疲労がとうとう膝に来た。バランスを崩し、音を立て地面に倒れる。


 突然倒れたぼくを見下ろしたスフィが、ぎょっと目を見開いていた。


「だ、誰!?」

「アリス! だいじょぶ!?」


 上目遣いで様子を窺うと、突然の闖入者に兎耳の女の子は最初は怯えた様子だったけれど、年下の子供ふたりだと気付いてすぐに落ち着いたようだ。


「うぅ、ごめんね、アリス病みあがりだったのに……一緒にあるけるのうれしくて……」

「ううん、自分からついてきたの、ぼくだから」

「その子……大丈夫?」


 心配を顔に貼り付けて近づいてくる兎耳の子からは、やっぱり嫌な音は聞こえない。本気で心配してくれてるみたいだった。間違いなく良い子だ。


 ひんやりした地面に熱を逃しながら、ぼくは接触作戦の成功を確信した。


 ……うまくいったし、結果オーライってことでお願いします。

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