88:いい湯だな
熱過ぎず、ちょうどいい温度で張っているお湯。
これがアンギャン・レ・バンの温泉……。
俺はフランスの地に訪れてから初めての温泉だ。
普段のお風呂とは違ってワクワクしている。
ゆっくりと手すりを使って身をお湯に浸かっていく。
……ああ、とろけるような感じだ。
皮膚にも染み込んでくるような温泉の熱気。
誰にも邪魔されない貸切風呂。
池とその周囲を見渡せる素晴らしい景色。
どことなく日本風のお風呂を連想するこの場所で湯に浸かる。
「おぉう……お湯が……気持ちいいなぁ……」
「えぇ……温かいですわね……」
日頃の疲れが吹き飛んでいく。
そんな気がした……。
アントワネットと水入らずの入浴。
事実上の温泉旅行状態でもある。
こうして二人きりで……誰にも邪魔されずに温泉を楽しめるのはいい事だ。
アンギャン・レ・バンでは水車小屋をこの温泉療法施設に併設していて、そこから汲み上げられた泉源と湧水をかき混ぜて適温の状態にしているという。
水車が回る音がしているが、そこもまた風流な事だ。
のどかで、車の音もなく、鳥の鳴き声が響き渡る。
あれトンビかな?
ここでも鳴いているのか……。
今まで使っていたヴェルサイユ宮殿のバスタブよりも広く、そして身体を包み込んでくれるお湯の温もりが直に伝わってくる。
そんな気がした……。
「ふぅ……疲れが取れていくような感じがする……」
「私もです……この温泉は身体に良いのですね……」
アントワネットと一緒にゆっくりと身体を動かして肩までお湯に浸かる。
実に休息を味わっている。
こんなにのんびりと背を伸ばして休むのは久しぶりだ。
「ああ……身体が癒されるなぁ……」
「はい……このままチーズのようにとろけてしまいそうですわ……」
「そうだねぇ……今なら俺はチーズになってもいいよ……」
「まぁ、オーギュスト様ったら……うふふ……」
「あはは……こうして二人で入浴できるのもいいものだね」
「はい、そう思いますわ……」
アントワネットと雑談をしながらお湯に浸かる事20分。
アントワネットも一緒に肩まで浸かっていたんだ。
夫婦一緒に温泉入るといいよね。
外の景色を見ながらお風呂に入って、それで何気ない日常の話をするのって。
地味なようで必要な事だ。
特に俺たちみたいな夫婦にとってはね。
この場所はより大きく発展していくだろう。
その事をアントワネットに伝える。
「アントワネット……これからこの場所はもっと発展していくよ」
「アンギャン・レ・バンの事ですか?」
「そうだよ、温泉が注目されて入浴の風習が広がれば、清潔の大切さを皆が注目してくれるだろう。そうなれば、自然とここに投資が舞い込んでくるはずだ」
「もしかして……オーギュスト様がこの場所にこの温泉療法施設を建設したのも、それが目的なのですか?」
「半分は正解かな。あとは池の周りを整備したりして観光資源を獲得できれば外貨獲得にもつながるからね。そうすればこの場所は一気に豊かな地になれるよ」
「ええ、これ程良い温泉ですから、人々が噂を聞いて駆けつければもっと広がりますわ」
アンギャン・レ・バンは小さなコミューンだ。
そんなコミューンがパリ近郊で有名な観光地として栄えることになれば、史実同様に温泉や政府公認カジノなどが出回るようになるだろう。
それに、温泉施設だけでなく将来的には国営企業などをこの付近に誘致して、史実よりもさらに発展を遂げることもできるかもしれない。
アントワネットもご満悦の様子だ。
やはり温泉が気に入ったようだ。
とろ~んと笑みを浮かべて幸せそうな顔をしている。
普段よりも甘くなっているように感じる。
あまあまな感じに感度も上がっているようだ。
「……オーギュスト様と一緒にお風呂に入っていると……胸がドキドキしてきますわ……」
「ま、まぁ夫婦だしね。ウン、俺もドキドキしているよ」
「では、こうして一緒にいても大丈夫ですか?」
「お、おう……だ、だ、大丈夫だぞ(強がり)」
「えへっ、ではこうしてオーギュスト様と一緒にギューッとしちゃいますね!」
そういってアントワネットは俺の隣で腕を掴んで俺にゆっくりと寄ってきた。
そんでもって、幸せそうな顔でギューッと抱きしめてきたんだよ。
もう一度言う。
俺は、アントワネットに思いっきり抱きしめられている。
…。
……。
………。
オッ……。
オオォ!
オォォォォォォォン!!!
アントワネットォォォォォ!!!
身体が思いっきり密着しているではないかぁぁぁぁぁ!!!!
服を着ているとはいえ、身体の感触を感じてしまう!
あわわわわわわわわわわ!!!!
きゃーっ!アントワネット!!!
積極的スギィ!!!
でもね!!!
それ以上いけない!!!
嬉しいんだけどそれ以上な事をしてはいけない!!!
ステイ!ステイ!ホームステイ!
ふざけとる場合かーっ!!!
お、俺はとにかくゆっくりとアントワネットに問いかけたんだ。
「あ、アントワネット……」
「オーギュスト様……少しだけでいいんです。このままゆっくりと過ごしてもいいでしょうか?」
「このまま?」
「ええ、この安らかなひと時を一緒に……二人だけの時間を……過ごしたいのです」
アントワネットはどうやら夫婦水入らずの貴重な時間をこうして過ごしたいとしていたようだ。
なんだ、俺の早とちりか……。
早とちりで済んで良かったよ……。
「そっか、じゃあこのままもう少し一緒にお風呂に入っていようか」
「はい、お願い致します……」
アントワネットに抱きしめられながら、俺はさらにもう20分以上アントワネットと一緒にお風呂に浸かったのであった。