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8:愛しの妻の寝顔は可愛い

☆ ☆ ☆


なぜこうも身体が温かいのか?

朝起きてから俺は理解した。

昨日、ベッドの中でナニが行われていたかを……。

それは愛しのアントワネットを抱きしめたまま爆睡してしまったのだ。

決して朝を迎える次いでに人生における初体験をしたわけではない。


俺は転生前も転生後も至って普通の童貞だ。

卒業はまだ出来ていなかったぜ……。

肝心の時に心の準備が出来ていなかったんだ。

大人の階段を昇るのはもう少し先になりそうだ。


「……すぅ~……すぅ~……」


アントワネットなら俺の腕の中でスヤスヤと眠っている。

彼女の眠っている寝顔は本当にかわいい。

んもぅ!可愛い!!!(重要)


本当にスマートフォンがあればこの寝顔を撮影したいぐらいだ!

近世フランスでスマートフォンと共に……。

……ってスマートフォンがあっても充電できなくてそのうち大変なことになりそう(マジレス)

なので脳内と網膜にアントワネットの寝顔をしっかりと見つめて深層記憶に残すことにしよう。


さて、アントワネットと一夜を過ごしたからにはやるべき事が色々とある。

まずはアントワネットが一人で過ごせる時間を取り決めないといけない。

なんたって彼女は昨日から王太子妃となった少女だ。


14歳という若さで王宮に迎え入れられた事で色々と課題もある。

というか、いかにして彼女をサポートするかで脳内会議は起床してから集中審議状態になっている。

そこで今一度おさらいしよう。


まずは宮廷内における勢力図なんだが……。

色々と派閥とかが乱立しすぎていてギスギスしているのは重々理解している。

それでも宮廷内には色々な人がいるので調整していこう。

その中でもアントワネットとの関係で繊細に気をつけて扱わないといけないのが、デュ・バリー夫人だろう。

叔母たちは彼女のことを娼婦扱いしており、アントワネットも彼女の育ちを問題視していて史実では関係はかなり険悪だった。


アントワネット自身が愛妾とか愛人関係を嫌っていた母親からの影響が強かったのもあるが、何よりも叔母たちがアントワネットに加勢した上で煽りまくったのがいけないのだ。

確かにデュ・バリー夫人は大勢の男性と夜を明かした事は事実だ。

洋服の仕立て屋だった女性が貴族に気に入られて、結果的に愛人としてルイ15世に仕えたのだ。

なろう小説の逆ハーレム状態だったといえば分かりやすいだろう。


そんでもって精力絶倫エロモンスターのルイ15世は彼女以外にも愛人に関しては公式記録だけで10人以上と交わっていたことが確認されている。

性欲が強すぎてインパクトデカすぎ!

なんたって愛人を囲うためだけに作られた『鹿のその』という娼館(ヤリ部屋)がヴェルサイユの森にあったぐらいだ。


なお、この娼館はデュ・バリー夫人が公妾として仕えた去年の1769年に閉鎖された。

絶倫過ぎんでしょ。

きっと記録に乗っていない人とかも含めれば数十人に及ぶのではないだろうか?


日本でも第11代将軍徳川家斉は分かっているだけで16人の妻妾を持っていて、50人以上の子供を授かっている実績がある。

しかしながら愛妾のためだけに娼館をわざわざ建設したのはルイ15世ぐらいだろう。


そんなデュ・バリー夫人に現在ラブラブのルイ15世に対して叔母達は当然ながら猛反発している。

そりゃそうだ。

ちゃんとした奥さんをほったらかして公妾や愛妾に現を抜かしている父親がいたら激怒するだろう。

俺が叔母たちの立場なら父親やそれらに取り巻いている女性たちに対して嫌厭するだろう。

なので叔母たちの気持ちも分かってしまう。


ただ、ルイ15世に対してハートを射抜いたデュ・バリー夫人も、それはある種の才能であると思う。

大勢の男性と寝た事で情報を集めることが得意だったのだろう。

その情報もさることながら、親しみやすく愛嬌の良い彼女は宮廷内でも一定の支持層を獲得して公妾という地位にまで上り詰めたのだ。


なので彼女は男を手籠めるテクニックに長けているのだろう。

この人はルイ15世の死後も多くの貴族や高級軍人の愛人として優雅な生活を送っているのだ。

美しい女性は魔性の香り……とも言うべきか。


とにかく、アントワネットに関しては史実みたいに宮廷内のゴタゴタに巻き込まれないように根回しをする必要がある。

そのためには彼女を支えてくれるサポーターが必要不可欠だ。

個人的には丁度今年宮廷に仕えることになっているランバル公妃マリー・ルイーズに大いに期待したい。


ランバル公妃は女官長としてアントワネットに仕え、アントワネットが一時的だったとはいえ女官長にポリニャック公爵夫人に鞍替えしたり革命が勃発した後でもアントワネットを見捨てずに助けようと努力していた誠意と純情さは特筆すべきことだろう。


しかし、悲しいかな……革命が勃発した後でも彼女はアントワネットを助けるためにフランスに戻り、彼女は裁判でも最後までアントワネットを庇った。

その結果、彼女の運命は決まってしまう。


革命政府がマリー・アントワネットのアドバイザーであったマリー・ルイーズを許すはずもなく、革命政府に捕らわれた後は集団ヒステリーに陥った暴徒化した市民によって集団暴行をされた挙句、ナイフなどで身体を切り裂かれて絶命するという悲惨な末路を遂げた。


一方で彼女のライバル的存在であったことヨランド・ド・ポラストロンは周囲から流されやすい性格であったルイ16世をまんまと利用して爵位を格上げした上に権力と富をほしいままに独占し、革命が勃発した直後に夫婦共々スイス経由でオーストリアに亡命している。

アントワネットやルイ16世を利用するだけ利用した後にポイ捨てしたのだ。


こうした史実における歴史を踏まえて判断しよう。

夫である俺がアントワネットに悪い虫がつかないようにしなくては……使命感がぐっと心の中で湧き起こる!

そんな決意を胸に秘めていると、アントワネットはようやく目を覚ましたのであった。

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