76:吐息
★ ☆ ★
今日はオルレアン家の裁判の判決が下された日になりました。
ですが、ルイ・フィリップ2世がペンダントに鋭利な刃物を隠し持って自殺してしまい高等法院での裁判は中断になってしまったのです。
すぐに憲兵隊が高等法院に突入して事態の実態解明を進めると共に、自殺をさせてしまった責任は誰が取るのかなど問題が噴出してしまったようなのです。
その知らせを第一報で聞いた時、オーギュスト様の身に何かあるのではないかと、とても心配になりました。
幸いオーギュスト様は無事のようです。
宮殿まで馬車で移動しているとのことですが、それでも……もし、フィリップ2世が最後の手段としてオーギュスト様を襲いに掛かったとなればそれこそ大問題になるでしょう。
私は今、ヴェルサイユ宮殿の中庭でホットティーを飲みながらオーギュスト様の安否を今か今かと心配して待っているのです。
護衛の守衛や国土管理局の衛士が守ってくれているとはいえ、それでも不安になります。
紅茶が冷めていっても、オーギュスト様を案じているうちにいつもの声が聞こえてきたのです。
「アントワネット、ただいま」
「オーギュスト様!!!」
オーギュスト様です!
オーギュスト様が帰ってきました!
無事のようです!
私はスカートの前の部分を両手で抱えて急いでオーギュスト様の元に駆け寄りましたの!
何故って、オーギュスト様の事が心配で心配で……!
オーギュスト様に抱きついて私は何処か怪我が無いか尋ねました。
「オーギュスト様!!!ご無事で何よりです!!!その……お怪我などはなさいませんでしたか?」
「ああ、大丈夫だよ。ありがとうアントワネット。裁判でフィリップ2世が十字架のペンダントを使って自殺するとは思いもしなかったけどね……」
「なんと……彼が自殺をなさったのですか?」
「ああ、傍聴席の目の前で突然な……死刑判決が下った際に俺は無罪だって言いながら首を何度も刺していたよ……あんな光景はもう二度と見たくないね」
オーギュスト様は疲れたようにそう呟きました。
さぞかし凄惨な現場だったのでしょう。
顔色がよろしくありません。
いつもなら空元気でもはきはきしているオーギュスト様がうつむいていて……元気がありません。
「オーギュスト様……一緒にお部屋に行きましょう」
「……うん」
私はオーギュスト様の手を握ってお部屋まで歩きました。
オーギュスト様の手は暖かくて、それでいてどこか優しい感じがします。
元気が無いときは一緒にお部屋でいることがいいと聞きましたの。
今日は裁判の審判日ということもあってか、午後の行事はありません。
なので、これから午後はお休みの時間となるのです。
「さぁ、お部屋でお休みになりましょう。ベッドまであと少しですよ」
「うん……ありがとう」
一緒にお部屋に到着してから、ソファーに腰掛けました。
ソファーはブルボン王朝を示す青紫色をしており、紫色は色素が珍しいのであまり採取ができないことで有名との事です。
ふわふわではありませんが、休むにはちょうどいいのです。
「ふぅー……」
「お茶を淹れましょうか?」
「ああ、頼む」
ふふふ、最近はオーギュスト様からお茶の淹れ方を教わって紅茶を自分で汲むようになりましたの!
だいぶお疲れのようなのでオーギュスト様にお茶を出すことにしました。
ほのかな甘みが広がるハーブを混ぜた紅茶です!
透き通った甘さに口触りが良くなるんですよ!
暖かいハーブ入りの紅茶を淹れたティーカップをオーギュスト様は手に取って、ふー、ふーと息を吹いてからお飲みになりました。
「……淹れ方が上手くなったね、美味しく感じるよ」
「ありがとうございます!」
「肩の重荷が取れたような感じがするよ……ありがとう」
オーギュスト様はそう言ってティーカップに淹れた紅茶を飲み干すと、目瞑りました。
目をつぶって何か考えているようです。
時々オーギュスト様は目を瞑って何かを考えている時があります。
飲み干したティーカップを下げている時、オーギュスト様から呼ばれました。
「アントワネット、隣に座ってもらってもいいかな?」
「ええ!」
私は言われるがまま、オーギュスト様の隣に座った時に気が付いたのです。
オーギュスト様が震えていたのです。
それも、風邪をひいた時のように!
「お、オーギュスト様!!!だ、大丈夫ですか!!!直ぐに医者を呼びます!!!」
「いや、いいんだアントワネット……医者は呼ばなくていい」
「で、ですが……物凄く震えていますよ!」
「ああ、俺が震えているのは……悔しいんだ……フィリップ2世が自殺したのが悔しいんだ……」
フィリップ2世が自殺したのが悔しい……?
どういう事なのでしょうか?
寄り添うように私がオーギュスト様の肩をさすってあげると、少しずつ話してくれたのです。
「俺は……俺は確かに改革に反対して工作活動まで行って陥れようと策略していたフィリップ2世が憎いと感じたんだ。妻への態度も最悪で人間の尊厳すら感じない最低野郎だって思っていたんだ……だから、俺はフィリップ2世が法の裁きによって極刑に処されることを望んだんだ……」
「法の裁きですか……?」
「ああ、そうだ。仮にもフランス王国は法治国家だ。定められた法によって裁く……罪を犯した者は法によってしっかりと処罰を受ければ国民も納得するんだ……死刑ならしっかりと国民の前で断罪することが……出来たんだ……」
オーギュスト様が望んでいたのはフィリップ2世が極刑に処されることであり、このような形で死んでしまうことは望んでいなかったのです。
フィリップ2世が自殺をしてしまったことで、場を取り仕切った高等法院にも処分が下るとは思いますが、それでもオーギュスト様は嘆いていたのです。
「あいつは……俺は無罪だ、俺が悪くないと叫びながら自殺しやがった!!!ふざけるな!!!!どれだけルイーズ・マリー夫人が苦しんだか、どれだけアントワネットやランバル公妃が悲しんだか、そしてどれだけ父親や世話になった人々を苦しめたのか……あいつは……あいつは最後まで理解しなかった!!!あいつにその罪を認識させる間もなく死んじまった!!!それが悔しいんだ!!!」
オーギュスト様はそう仰ってから頭を抱えておりました。
私はオーギュスト様を抱きしめました。
見ているこちらがオーギュスト様の悲痛な叫びを感じて辛いです。
しかし、オーギュスト様が嘆いているのはフィリップ2世が死刑を執行される直前まで罪の重さを認識させたかったのだとおっしゃったのです。
罪を償う事。
フィリップ2世は罪を償う事無く自殺という手段で逃げたのです。
それがオーギュスト様にとって、今までで一番悔しかったのでしょう。
私もオーギュスト様の立場であれば同じことを考えると思います。
胸の奥で何処か感じた事のあるような胸騒ぎに近い感覚。
もどかしい気持ちなのでしょう。
「ぐぅぅっ……!!!!ううううっ……!!!!」
オーギュスト様は悲しみと怒りに満ちあふれていました。
そして涙を流しておりました……。
私もその姿を見て、とても悲しい気持ちになりました。
今、私にできる事はオーギュスト様を慰める事。
頭を優しく撫でながらオーギュスト様に寄り添い、そして強く抱きしめました。
オーギュスト様のお気持ちに寄り添い、そして支えることが妻としての使命です。
「オーギュスト様、私はいつでも貴方様の傍におりますよ」
「ありがとう……アントワネット……」
「ええ、オーギュスト様……どうか、どうか無理だけはなさらないでください……」
オーギュスト様、無理は絶対になさってはいけません。
最初にヴェルサイユ宮殿に来た際に、私はオーギュスト様の前で泣いてしまいました。
その時にオーギュスト様は優しく私を抱きしめて下さったのです。
今度は私がオーギュスト様を抱きしめて支えてあげる番です。
私はオーギュスト様の気分が落ち着くまで、抱きしめて……そのまま二人っきりの時間を過ごすのでした。
オーギュスト(転生者)としても、フィリップ2世には刑罰で罪を償って欲しいと考えていただけに、自殺されたことが相当ショックだったのです。
胸のざわめきというのも、そうしたショックの現れなのでしょう。
作者より