64:Advice
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1771年1月29日
オーストリア シェーンブルン宮殿
オーストリア大公国の女大公にして名君であるマリア・テレジアは去年の末に王妃となった娘のマリー・アントワネットの事を気にしていた。
それもそのはず。
同盟国の国王の妃になった娘はまだ15歳だからだ。
年齢的に幼いと感じるだろう。
嫁がせてから一か月後に前国王ルイ15世の暗殺未遂事件が起こった時は、アントワネットに怪我は無いかと部下に確認を急がせたほどだ。
幸いアントワネットに危害は及ぼされておらず、また婚約者であるルイ・オーギュスト王太子は軽傷で済んだ為に事なきを得たのだ。
それでも親として、同盟国の君主としてフランスの情勢を案じていた。
……が、テレジアが案じていたよりもフランスの政治的混乱は直ぐに治まったのだ。
理由は若年15歳の王太子がルイ15世から国王代理としての権限を委託された事で、その潜在的な政治的手腕を遺憾なく発揮したからだ。
国民向けの分かりやすい説明を新聞や公示人を雇って積極的にPR活動を行う。
同盟国の君主に向けた具体的な対策案と改善状況を逐一で更新。
内政ではユダヤ人への寛容令と農奴解放政策の公布。
また反改革派の貴族を捕らえたり、プロイセン王国で普及しているジャガイモ栽培を行うように命じるなど……。
テレジアが見たオーギュストの行動は予想を良い意味で上回る技量であった。
(本当に王太子だけが行っているのかしら?他の人が主導しているのではなくて?安定になっているのは喜ばしい事だわ。アントワネットの手紙にも書いてあるのだけど……念の為にアルジャントー伯爵を本国に呼んで確認しなければ……)
9月30日にテレジアはフランス駐在のオーストリア大使であるアルジャントー伯爵を呼び出して事実確認を行ったのだ。
まだ15歳……いや、この時オーギュストは16歳になっていた。
とはいえ、16歳という若さでここまで手腕を
疑問に思ったテレジアから呼び出されたアルジャントー伯爵は10月7日にシェーンブルン宮殿に赴いてテレジアに説明を行った。
「今フランスでは王太子自ら内政に取り組んでいるようだけど……本当にお一人でやっているのかしら?」
「はい、私もこの目で見ましたがルイ・オーギュスト王太子殿下主導の元で国内の改革を行っております。アントワネット様もオーギュスト王太子殿下のお手伝いをしております」
「あの
「現在ではヴェルサイユ宮殿内で新設される予定の手洗い場やお風呂場の設計や、サロンなどの開設など多岐にわたっております。最近では経済学を自ら進んでお学びになっておられます。フランスで有名な学者を招き入れて王太子殿下と一緒に勉学に励んでおります」
テレジアはアルジャントー伯爵の言葉を聞いて強い衝撃を受けた。
あのおてんば娘が、王太子という身分でありながら既にフランスの改革に向けた準備を着々と進めていくオーギュストを支えている!
おまけに勉強もしっかりやっているなんて……。
しかも帝王学だけでなく経済学まで学んでいるらしい。
それからテレジアはアントワネットとの手紙のやり取りで様々な事を教わったりもした。
例えば改革を行うために王太子自らスカウトしたり身分階級など関係なく人材を取り揃えている点である。
まだ身分階級がものを言う時代において、平民やユダヤ人出身の人物を財政長官や側近に任命させるほどだ。
テレジアも当時としてはかなり開明的な人物であったが、それでもかなり大胆な方法を取ったオーギュストに対して度肝を抜かされたのだ。
(改革のために平民だけでなく、ユダヤ人まで取り入れるだなんて……経済の立て直しのためとはいえ、思い切ったわね……)
その成果が既に現れはじめており、ヨーロッパ諸国に散らばっているユダヤ人コミュニティから人材や資金がフランスに流れているという。
ユダヤ人だけではない、投資家などもフランスの次期国王であるオーギュストへの期待感から投資が行われている。
フランスの経済はこれからもっと発展していくだろう。
そして今日、そんなフランスから手紙が届いたのだ。
送り主はアントワネットである。
テレジアにとって、どんな内容か既に楽しみでもあった。
「どんな事が書いてあるのかしら?」
手紙を開けると、そこに書かれていたのは国王になったオーギュストの事についてであった。
いつもアントワネットはオーギュストにべったり惚れているわけだが、今回はオーギュストの事が心配であるという内容であった。
― 拝啓 お母様へ
お母様、ご機嫌麗しゅうございます。
最近は随分と外が冷え込んできました。
ここ数日は温かいオニオンスープやカボチャのシチューを食べております。
オーギュスト様と一緒に食べているのですが、最近オーギュスト様の様子が心配なのです。
人々の暮らしを良くするために改革の案件を処理しているのですが……。
ここ最近、オーギュスト様は年が明けても1日しか休みを取らずに働き詰めなのです。
私や周りの方々がお休みになられるように進言はしているのですが、もっと改革を良い形にできるようにと、おひとりでひたすら改革に熱意を向けて行っていらっしゃいます。
そして、私と二人で寝る時にオーギュスト様はひっそりと私に気づかれないように涙を流すようになり始めたのです。
私もオーギュスト様のお手伝いをするのですが、それでも、それでもオーギュスト様の辛そうな場面を見ると、とても辛いのです。
でも改革は常に進んでおり、聖職者の人達との説得にも時間を費やしている状態です。
どうかお母様からもオーギュスト様にアドバイスをもらえないでしょうか?
何卒宜しくお願い致します。
― マリー・アントワネットより
テレジアは手紙を読むと手が震えてしまった。
なんと手紙には改革のために夜通しで新年は1日だけしか休みを取らずに現在進行形で改革の案件や会議などを行っているというものであった。
身体をすり減らしてでも国を変えようとしている16歳の若き国王。
手紙を読んでいると、かつての自分が経験した焦りにも似ていたのだ。
その姿勢にテレジアは思わず目を覆う。
”余りにも一人で頑張り過ぎていると……。”
国王は多くの物事を一人で抱え込んでしまう性格であるとテレジアは理解した。
同時に、アントワネットとオーギュストの二人宛に手紙を書く事を決めたのだ。
アントワネットには夫をこれまで通りに支えるように、オーギュストには絶対に無理をして改革に挑んではいけないと自分自身の経験を交えながら書き連ねる。
(アントワネットがここまで書くということは相当改革に力を入れているのね……でも、力を入れ過ぎて倒れてしまっては元も子もないわ!)
2時間後にテレジアは手紙を書き終えると、ヴェルサイユ宮殿に大至急手紙を届けるように部下に命じたのだ。
「この手紙をできる限り大急ぎでヴェルサイユ宮殿まで送って頂戴!」
「はっ!」
部下は女大公の命令に従って大急ぎで手紙を届けにヴェルサイユ宮殿に向かっていく。
いくつもの宿場町をすっ飛ばして速達で手紙が届いたのは2月1日の朝であった。