1月のユキ

作者: 恥

※だいたいフィクションです。



 俺は、この六畳一間のグループホームの一室に3年近く住んでいる。

 グループホーム、それは高齢者や障害者が介護を受けながら共同で生活する施設のことだ。


 何を隠そう、俺は精神障害者だ。


 それがもとで、親に見放されて、こうやって神ヶ丘精神病院のグループホームに拾われて、そこに住むことになった。


 最初の一ヶ月は、慣れるまでが本当に地獄だった。

 例えば、隣に住む爺さん。

 

 この爺さん、宇宙と交信して、「蟻の神様!どうか私を救ってください!水の神様、この扉を開けてください!宇宙人様よ!宇宙じん~~~!!ハッ!!!」

 

 などと毎晩毎晩叫ぶ。


 このことについて、管理人に言うと、ただ一言。

「我慢してね」

 だった。


 共同の生活ということもあって、台所、風呂場、トイレも共用である。

 台所は、冷凍食品をレンジで温めるためだけにあって、シンクを使っている人は稀だ。

 風呂場の取り合いも運が悪いと起きるが、住人の殆どは風呂に入らないのが多い。

 一番の悩みどころは……トイレ。


『綺麗に使ってください!』


 という張り紙とは裏腹に、汚い。

 

 ただただ汚い。


 床はいつも、何かで濡れていて。 

 便器から何かがはみ出ているなんて日常茶飯事。


 犯人は大方予想はついている。

 だが、話によると、以前はもっと凄かったらしい。


 何がって?


 そりぁ、部屋で塗○してたってんだから、症状は回復傾向だ。


 他にも、ヤの字が来ると喚く人。

 毎晩、求婚してくるババァの話もある。

 色々あるんだよ……いやほんと……。



 さて、俺が住んでいるグループホームの惨状はこのとおりだ。

 もちろんまともなところもあると思うから、真に受けるなよ?


 話を本題に移そう。

 

 俺は、20の時からここに住んで、今年で23。

 今年最後の日を、グループホームの管理人が一日中いないってんで大騒ぎしてる住人を差し置いて、外の喫煙所で一人タバコを吹かす。


 はぁ、実家で紅白なり笑ってはいけない24時見て、年越しそばを食いたい。

 部屋でネトゲ三昧を送りたい。

 ニコ生するのもいいな……。


 もう、引き篭もってた頃が何もかもが懐かしい。

 

 このグループホームに来てからというもの、社会に出れるようにと、日中はデイケアに参加させられて、運動で散歩だ、息抜きで色塗りだ……といろいろやっている。

 正直言うと、確かに日中起きてる練習は必要だと思う。


 だけど、そのプログラムに『社会復帰』という意味を見いだせない。


 俺は、主治医とスタッフに怒られるの承知で寝るか、おじいちゃんたちの麻雀に混ぜてもらっている。

 そんな毎日を送っている。


 聞いてて分かる通り、退屈だろ?

 その通りだよ、もう生きることがなんなのか分からなくなってくる。

 


 マッチ売りの少女よろしく、タバコの火に走馬灯を見ていた時、それは聞こえてきた。


 グループホームの前は駐車場になっている。

 そこから、みーみー聞こえてくる。

 

 なんだろうと、タバコの火を消して、声の発生場所に近づいてみる。


「みーみぁー」




 猫。


 それも、かわいい子猫ちゃんだ……!


「お、お、おいで、寒いだろう」


 そうだった。

 俺の症状については何も言ってなかったな。

 

 俺は、社交不安障害が主な病状だが、それに伴って吃音症、コミュ障etc、先生はそう診断しなかったがどうも発達障害もあるんではないかと思っている。


「どどど、どうしたんだい猫ちゃん、おお、親は?」


 車の下で、弱々しく鳴いてる子猫に手を差し伸べてみた。

 今日は一段と冷える。こんなところに居ては凍え死ぬかもしれない。


 さぁおいで……。


 そんな風に子猫の前に手を伸ばしたのだが、全身の毛を逆立てて「シャー!」と鳴かれてしまった。


 なので、ぐいっと身体を車の下に潜り込ませて問答無用で子猫を掴まえ、引っ張り出す。

 

 あ、ああ、あああ……。

 なんだこの毛に包まれた生物は……。


 まるで天使……。


 先程から威嚇していた子猫だが、堪忍したのか、尻尾は太いままだが無抵抗に俺に撫でられている。


「よしよし、いいいこだ……」


 しばらく子猫を撫でていたが、邪魔が入った。


「てっちゃん!年越しそば食うよ~!」

 グループホームの住人が、俺を呼んだ。

 それに驚いた子猫が暴れだしてしまった。


「てっちゃ~~~ん、そば~~」

 う……うるさい……。それどころじゃない……。

 と、心の中でつぶやいていたのだが、子猫が腕から飛び出そうとして身体を捩らす。

 それを見て、様子がおかしいと駆け寄ってくるグループホームの住人たち。


「みんな!てっちゃんおかしいよ!」

「ほんとだ、てっちゃん様子おかしいね!」

「見に行こう!」


 クロックスもどきを履いてワラワラと寄ってきた。


「あ、ね、猫見つけた……」

「うそぉ!」

「てっちゃんの猫ぉ?」

 

 抱きかかえた子猫を、住人たちはどれどれと覗いてきた。

 

「きゃわいい~❤」

「やばかわ!」


 その声に釣られて、ほとんどの住人が出てきた。


「あらぁほんまや~」

「捨て猫かねぇかわいそうに」


 住人の人だかりに、なんだか人気者になった気がした俺。

 ふと、目線をあるところに向ける。


 グループホームの玄関口で、ジッとこちらを見ている老人。

 頑固爺の名で通っていて、頑固過ぎるゆえ嫌われ者だ。

 その爺さんが厳つい表情をして、怒鳴った。


「猫はグループホームに入れんなよ!!ったく……」


 ブツブツ言って、彼は根城に帰っていった。


 一瞬静まったが、彼の姿がなくなると、またワイワイとざわめいた。

「何よ、こちとらあんたがホームに居て欲しくないんですけど~」

「そんなことより、寒いから中いれてあげようよ」

「そうだねぇ」


 コバンザメのように住人が俺のまわりを取り巻く。

 やっとのことでグループホームに入って共用リビングに着くと、あれが必要これが必要と、住人たちがグループホームを右往左往する。


 子猫は、温かいストーブの前が気に入ったようで、そこに居座り、小鉢に入った水を飲み始めた。


「かわいいねぇ~」

「名前はなんていうのてっちゃん?」


 名前、名前か。


「ま、まだ決めてない……」


「そっか……」


 どたどたと二階から誰かが降りてくる。

 姿勢を低くし、両腕を後ろで組み、大股で歩くその人は……


「ゲッ」

「ケっ!」


 頑固爺であった。

 爺さんは一瞥こちらに向けると、すぐさまキッチンの方へ行き、棚を開け、カップ麺を取り出してポッドでお湯を注ぎ始める。


 住民たちに緊張が走る。

 お湯を注ぎ終わった彼は、また根城へ帰っていく。

 

 厄介者は行ったから、子猫を構おう。そんな雰囲気になった。


「子猫ちゃん、ウチで飼いたいねぇ~」

 ウチ、それはこのグループホームのことを指していた。

 規約で、動物の持ち込みは禁じられている。だから飼えるはずがない。

「さ、さと……」


「飼えんぞ!里親探せやァ!!」


 どこからともなく頑固爺の声が聞こえてきた。

 どうやら、階段の所でカップ麺をすすっている。

 規約、もといルールには人一倍うるさい頑固爺がいる中で、隠れて飼うのは出来ないことが浮き彫りになった。

 さてどうしようか……と途方に暮れる住民たち。


「里親かぁ……誰かいないかな……」


 ポツリと誰かが呟く。

 誰もがその言葉に沈黙した。

 

 このグループホームには、身寄りがない人が最後の頼みで集まっている。なので、親も居なければ、親戚もいない。

 どれだけ制約が多いとはいえ、雨風凌げて寝床があるだけでありがたいものだった。

 

 皆一同に、寝転がりつぶらな瞳をうるうるさせる子猫に視線を向けていた。

 

「保健所あるだろが!!」


 空いたカップ麺のゴミを捨てにやってきた頑固爺が喝を入れた。


「かわいそうだよ……」

「ガス室で殺されちゃう……」

「子猫だから里親すぐみつかるかもしれないけどさ、駄目だったらどうすんの?」


 皆の不安は、保健所=殺処分だった。

 そして、俺もそうだが、こんな天使がここに居てくれれば、毎日が楽しいと思う。みんなもそう思ってるに違いない。


「誰が世話して、エサ代やら去勢の手術代だすんだ?」


 爺さん、また手痛いところを突く。

 そう、みんな生活保護を受けているが、グループホームの家賃と生活費を渡されるだけで、残りの額は全部貯金に回される。そして、その管理はグループホームのスタッフが行っており、実質手元には残らない。

 貯金にいくら入ってるか聞くのもご法度だ、それはこのグループホームから出るという意味に直結し、めんどくさいことになる。


「近くの家で飼ってもらえる人いないかなぁ」


 誰かが提案したが、乗り気ではない。

 この寒い中、出歩くのもそうだし、何より見ず知らずの人に猫をセールスできるスキルを持ち合わしていない。

 

 


 大晦日も日付が変わって新年を迎えていた。


 グループホームで飼えないとなると、手放すしか無い。

 心苦しい判断をみんなで下す。


「も、もとのところに戻そう……」

 

 その結論に至った。

 

「みぅー」

 そんな声で鳴くたびに心を締め付けてくるが、車の下に還す。

 




 グループホームでの、一年で最も癒やされた夜が終わりを迎えた。

 初日の出が登る頃、住民の誰かが叫んでいる。


「雪降ってるよ!雪ぃ!」


 老人は朝が早いな。

 俺はいつもの時告げ鳥の声を聞きながら二度寝に入ろうとしたが、ふと子猫のことを思い出して飛び起きる。

 部屋から出ると、同じことを思ったのであろう住民が廊下に出てき始めていた。

 

「猫ちゃん見に行くよてっちゃん……!」

「う、うん」


 グループホームの外は雪がしんしんと降っている。

 そして、子猫の姿はなかった。


「どこにもいないねぇ……」


 

 そうこうしてるうちに、朝7時になりスタッフが車でやってきたので、そそくさとグループホームに逃げ帰っていく俺たち。


 

 

 あの子猫は、一種の幻……集団幻覚だったのだろうか。

 そう思ったほうが精神的にも良い。

 俺たちは、猫のことを忘れるように努力することにした。


 そして……。

 

「どなたか田中さん知らないですか!!」

 

 頑固親父が謎の失踪。

 






 あれから一年。

 俺たちはまた駐車場に出ていた。

 そして、祈り語り合った。

「そういえば、猫の名前ってなんだっけ?」

「き、決めてなかったはず……」


 今年は雪が振らなかった。

 去年の新年は、積もるくらいに降ったのに、だ。


 俺たちは、子猫に一年越しの名前を付けることにした。



 猫の名は。