人を呪わば12
目の前で毬を叩いている子供を見る。
霊のように見えるが恐らくこれは呪いの一種なのだろう。それを見て俺はまたいくつか疑問が湧き上がってくる。明らかに聞いていた話と状況が変わっていないだろうか。
今までの例で考えると、こうやって霊の形をして襲ってきたという話は聞いていない。紬に霊感がなく、たまたま見えなかったという可能性もあるが、それなら先ほどの事故の時に霊の姿は見かけていないため、それも説明がつかない。どうしたものか、まぁ考えても仕方ないんだけどさ。
「はぁ――そうだね。いいよ、遊ぼうか」
懐からポッキーを1本を指で摘みそれを目の前の霊のような呪いに向ける。俺の声が聞こえたのかわからないが、毬をつく速度が徐々に上がってきた。それに構わず俺は一歩足を前に出しそのまま近づいていく。
この暗闇を照らすのは容易だし、目の前の存在を祓うのも簡単だ。力の強さで言えば精々ホブゴブリン程度といった所だが、これを祓わないように適度にやり過ごす必要がある。それにしても、気になる事が多すぎる。
どうしていきなり呪いが強まった? 先週は接触事故だったからそれ以上とは予想されていたが、明らかに呪いの強さが変わっているように感じる。それにこの子供の霊の気配……以前どこかで……
「ハハ、ハハッ! ――アソボォォオオオッ!!」
床にバウンドした毬が急に角度を変えてこちらに襲ってくる。
それは毬だと思っていたが、明らかに形がおかしい。どこか歪な形、これは――
「キャハハハハハッ!!」
大きく口を開け、笑いながら迫ってくる頭部を魔力を纏った足で受け止め、そのままリフティングをする。何やら悲鳴が聞こえるが気のせいだろう。
さて、この頭部をつぶすとどうなるのか予想できないし、手加減しないとね。だが、この頭部に触れてはっきりした。
これは”伝承霊”と同じ気配だ。
だが、区座里は死んだはずだ。
まさか、同じように呪いを作っているやつがいるのか? 自白させてやりたいが、こいつ相手には無理だろうし、今は考えても仕方ないか。
「いいね、漫画でしか読んだ事ないけど、知ってるよ。――
そう言ってリフティングしていた頭部を軽く蹴って目の前の子供の霊に向かって飛ばす。しかしその頭部が当たる瞬間に黒い霧となり、子供の霊もボール代わりにしていた頭部も消えた。
逃げられたか? だが呪いの力はまだこの周囲に漂っている。それにしても紬を狙わず俺を狙っているのはどういう事だ?
あの霊は間違いなく俺を狙っているように感じた。
紬への呪いではないのか? この辺り一帯に呪いの力が漂っているためあの生霊もここにいるのか分からない。
ギィィ――
ホテルの廊下に並ぶ部屋の一つのドアがゆっくりと開いた。本来オートロックで鍵がかかるため、勝手に開くなんてありえない。つまりこれは、誘いって事だろう。
「さて、次はどんな遊びかな」
紬の守りへの魔力供給は問題ないし、あの霊の誘いに乗るとしよう。さて、何が起きるかね。
先が見えない廊下を歩き、ドアが開いた部屋の前に移動する。部屋の中を見ると、何故か電気がついている。人の気配は感じないがナニかがいるのは間違いないだろう。
部屋の中に一歩足を踏み入れ、そのままゆっくりと中に入る。すると、凄まじい速度でドアが閉まり大きな音をたてた。閉じ込めたつもりなのだろう。そのまま部屋の中に入ろうとすると、横の扉から水の音が聞こえ始めた。まるで中に誰かがいるかのように。
少し考え、俺はそのまま風呂場へのドアを開ける。だが、当然中には誰もいない。
中はトイレ、洗面台、そして奥にシャワーカーテンで閉じられた浴槽がある。シャワーカーテン越しで中の様子は見れないが、明らかに水の音はそこから聞こえているようだ。
「サッカーの次はかくれんぼか。まぁいいや、一度は遊んでみたいと思ってたんだ」
この挑発がどの程度意味があるか分からないが、そんな軽口を言って手に持っていたポッキーを口にくわえる。そして浴槽に近づき、シャワーカーテンを一気に開いた。
ゴポゴポゴポッ
シャワーヘッドから流れていたのは水ではなく、まるで血液のように赤い水だった。それが浴槽の壁などに跳ね、まるでどこかの殺人現場のようにまるで血が飛び散ったかのような状態になっている。
そして浴槽の中にはシャワーと同じく血のような赤い液体がたまっており、そこには……
それを見た瞬間、急に部屋の電気が落ち、その場は闇に包まれた。
ピチャ、ピチャという水が落ちる音が聞こえ、後ろを振り向くが誰もいない。しかしその刹那――
俺の後ろから何かが水から這い上がってきたかのような音とともに強力な霊の気配を感じたため、俺はすぐさま振り返る。すると、目の前に顔を近づけていたまるで骸骨のようにこけた女の顔があった。
大きく口を開け、今にも噛みつこうとしている。そんな顔を俺は鷲掴みにし、そのまま浴槽の壁にたたきつけた。
「みぃつけた。ってこれ、絶対かくれんぼじゃないよね? そっちから出てきちゃダメでしょ」
俺を睨みつける霊は、俺の手の中で暴れるがその程度で逃がすほど俺も甘くない。指パッチンをして、光の輪を作り、そのまま霊の身体を拘束した。祓いはしないが、このまま夜が明けるまではそのままで居てもらうとしようか。
「ちょっとルールは違うけど、鬼に見つかったんだし、そのままそこで大人しくしていてくれ」
そういって更に霊を魔法で拘束し、そのまま浴槽にもう一度沈める。もし区座里と同じタイプの呪いであるならこれらの核となる依り代があるはずだ。だが、このホテルに泊まる事を予測して依り代を仕掛ける事なんてできるだろうか。正直考えにくい。であれば、やはり呪うための何かを紬の父親が持っており、それを使いこの呪いを発動していると考えるべきなのだろうが、そうなるとこの呪具の入手経路が気になる所だ。まさか、母親までこの一件に絡んでいるわけじゃないだろうが。
濡れた自分の腕を振って水気を払い、風呂場から部屋に戻る。部屋の中も電気が消えており窓から差し込む月明かりと街の光でわずかに照らされているだけだ。
とりあえず、部屋の電気をつけてみる。すると、窓に異変があった。部屋の窓に僅かにだが俺自身の姿が映っている。部屋の明かりが窓に反射しているのだろう。
だが、問題はそこじゃない。
俺の後ろに子供がいる。
窓から視線を外し、後ろを見るがそこには誰もいない。なるほど、つまり反射した窓の中にいる霊という事か。一見窓に映っている姿だけ見れば俺の後ろにいるように見える。だが、俺の後ろに霊の気配はない。であれば、反射した窓の中にいると考えるべきだろう。
窓の中の子供は段々とその姿を変えていく。最初は5歳程度の子供だったが、身体が盛り上がり、少しずつ身体が大きくなってきている。気づけば窓に映る姿は子供ではなく、俺とそれほど身長が変わらない程に大きく成長していた。
そして霊の右手には包丁のような物が握られている。霊は包丁を持ち上げゆっくりと振りかぶる。その包丁を一気に俺の首にめがけてそれを振りぬいた。
「ははは、この程度も切れないんじゃ、俺の皮膚に傷なんて不可能だよ」
窓に映る俺の首を狙った軌道を見て、それを防ぐように新しいポッキーを魔力を籠めて構えていた。だが、振りぬいた包丁は俺のポッキーを切ることはできず、まるで壁にでもぶつかったかのように刃が停止している。
必死にポッキーを切ろうとしている霊を窓越しに見て、そのままポッキーを上に振り、包丁を弾き飛ばす。包丁が空中を回転しそのまま床に刺さると黒い霧となりその霊は消えた。
包丁が刺さった床を見て俺は背筋が凍った。
ぉぉおおおい!! 床に包丁が刺さったかのような傷がついてんじゃねぇか!!
おいおいおい、こういうのって俺にだけ効果があるとかそういうのじゃないの!? なんで床に刺さってんの!? 馬鹿なの?
え? これ弁償か!? あ、あかん。だめだ――逃げよう。
俺は震える身体を抑えながらそのままその場を後にした。
あの後、霊の襲撃はなかった。
やはり普通の霊と違い、今回の呪いは術者の力が供給されないと力を維持できないのだろう。特に最後の方の呪いは明らかに普通にこの世界で生活をしているような人が手にできる力とは思えない。これは急いだほうがいいかもしれない。
「おはよう、紬さん」
「え、ずっと起きてたの?」
廊下で電子書籍をスマホで読みながら待っていると紬が顔を出した。時間は7時前。そろそろ出発するという事なのだろう。
「いや、ちゃんと寝てたよ。ただ目が覚めるのが早かっただけさ」
「ふーん。でも、そうね。昨日はお陰でケガも負わなかったわ。本当にありがとう」
「それはよかった。……さて、少し相談があるんだけどいいかな?」
「え? なによ」
「あぁ、実はね――」
昨日の呪いの力の強さを考えると時間がない。今日中に決着をつけたいものだ。