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第69話 人を呪わば8

Side 七海紬


 子供の頃から父が好きだった。

いや私だけじゃない。私に負けないくらい母も父が好きだったと思う。

当たり前と言えば当たり前だけど。


 私は小学生の頃まで身体が弱く、すぐ風邪を引いたりするような体質だった。

そんな私を見てお母さんは近くの神社でたくさんお守りを買って、よく私の枕元に置いてくれた。

でも、父は違った。

私が風邪を引いたり、熱を出したりすると必ず運動しようと誘ってきていた。

流石にその時ばかりはお母さんは鬼のように怒っていたけど、それでも私を背負って公園とかに行き、

私をおんぶした状態で散歩なんかをしてくれていた。

父曰く、「日光を浴びて、風を浴びて、たくさん空気を吸えば病気なんてすぐ治るさ」だった。

いま思えばかなりおかしいお話だというのは分かるけど、当時の私はそれを馬鹿正直に信じていた。


 そうして小学校高学年に上がる頃には私の体質は大分改善され、普通の子供と何も変わらなくなってきた。

その頃から父と一緒に空手や柔道なんかの武道を一緒にやっていた。


「紬、これを見て見ろ!」

「ん? 何これおせんべい?」

「そうだ。これはかなり固い煎餅で有名でな。その名も”極堅煎餅Ⅱ”だ。ほれ、割ってみろ」


 そういうと父は煎餅を持って私の前に構えた。

私は嬉々として煎餅に向かって正拳突きをしたが、あまりの堅さに手がとても痛かったのをよく覚えている。


「ははは、いつかこの煎餅が割れるように修行しような!」

「お父さんは割れるの?」

「……そりゃもちろんだ!」

「やって!!」

「……よし、ランニング行くぞー!」

「え? 煎餅は!?」



 その時に同じ道場に通う三浦遊馬という男の子と出会い、私たちはライバル関係になった。

もっともライバルだったのは最初の方で2年くらいで私が遊馬を追い越してしまったのだけど。

遊馬はひとつ上の私を姉のように慕ってくれていた。私がある事情で道場を辞めるまでとても仲が良かったのは間違いない。


 一緒に運動をする父が好きで、子供のように笑う父が大好きだった。父は本当に太陽みたいな人で、父が笑えばお母さんも笑う、そして私も笑う。

そんな大好きな家族であり、ずっとこんな形で過ごすものだと思っていた。



 転機は中学2年生の頃だった。

高校受験を控え、少しだけ空手とかを控えていた頃、父が交通事故にあった。

血の気が引き、私はすぐに学校を早退して父が運ばれた病院へ向かった。

既に母が来ており、私以上に顔面が蒼白だった母からなんとか事情を聴きだした所、父は買い物に出かけていた時に赤信号を無視した車にはねられたという事だった。何か所も骨折し、かなりの重体だという事だそうだ。

死ななかったのが奇跡的だという話を聞き、最初は安堵したが、事態はそう甘くなかった。


 父ははねられた際に脊髄をひどく損傷してしまい、全身不随状態になっていた。

そのため、折れた腕や足、打撲の場所などから痛みを感じないらしい。

そして、それを治す事は不可能だと言われた。

そこからは本当に大変だった。

母は事故のショックで仕事が出来なくなり、パートを退職した。

父の怪我などの入院費は保険から何とか賄っていたようだが、それでも私たちの生活は一気に苦しいものへ変わったのだ。

最初は事故の加害者側から慰謝料や治療費などを請求出来ないかと警察の人にも相談が加害者の方も即死状態であり、

その加害者の相手は身内も誰もおらず、天涯孤独の身だったために、私たちは慰謝料を取る事が出来ないだろうという事だった。


 当然、高校受験はやめて、私はバイトを始めた。その頃に道場に通うのも辞めている。

本当は就職したかったが、中卒の私を受け入れてくれる会社は見つからず、私は週7日間全部にバイトを入れて働いた。

日に日にやつれていく母を見るのも苦しかったが、事故後、意識を取り戻した父の顔を見るのが一番苦痛だった。

あの日から太陽のようだった父の笑顔は陰りを見せ、一切笑わず、ただ虚空を見つめ、まったくしゃべらなくなった。

一度だけ、私も母もそばにいなかったときに、父が静かに泣いているのを見て私は決心した。

お金を稼ごうと。

日本で治療が難しいなら海外へ行くのだ。どんな小さな可能性でもいい。いつかもう一度父が笑ってくれるようにと。



 でもそう考えたのは私だけじゃなかった。

母も色々探してみると私に泣きながら言っていた。

でも私はその()()の意味を勘違いしていたのだ。



 昔から信心深い母の事をもっとちゃんと考えるべきだったのだ。





 18歳の時、母が一人の男性を連れてきた。

派手な服を着て、指輪やネックレスなどをたくさんつけた中年の男性だ。


「お、お母さん。その人……だれ?」

「あぁ紬。この人はね、最近お母さんが行ってる集会で紹介してもらった先生なの。すごいのよ。今までいろいろなガンの患者さんとかね。お父さんと同じように身体が動かなかった人とかを何度も治したことがあるらしいの!」


 その時私は母がまともな状態では無いことにようやく気づいた。

いつも綺麗だった母が目に隈を作り、どんどん頬もこけており、そして目が虚ろだった。

そうだ。もう母は限界だったのだ。

太陽を失った我が家が、殆どしゃべる事もなくなった父を見る事が、そんな現実を直視するのがもう限界になっていたのだとその時にようやく私は悟った。



 そこからはもう思い出したくもない。

我が家に残ったのはその自称霊能者が残した”神ノ水”とかいう怪しい水が入った段ボール50箱と、700万円の借金だけだった。

そこから母の様子は加速度的におかしくなった。

定期預金も解約し、保険金もすべて使い、金融機関に借金までして買った”神ノ水”を狂ったように父の無理やり飲ませるようになったのだ。

もう入院生活を維持するお金もない。それから母は付きっ切りで()()するようになった。


「ほら、お父さん。起きて。先生が施した処置のお陰で後はこの水を飲めばすぐ歩けるようになるのよ? ほら飲んで。――飲んでッ! 飲みなさいッ!!!」

「やめてお母さんッ! お医者さんからも無理やり動かさないようにって言われてるでしょッ!」

「離しなさい紬! お父さんはもう歩けるの、歩けるのよ!」


 狂気に染まったその鋭い眼光に気おされ私はないも言えなくなった。

もうどうしようもない所まで来てしまった。

毎月の返済や生活費を考えればもう私が取れる選択肢は残っていない。

幸い18歳。もう()()()()()で働ける年齢だった。

自分の身体を売るという事を真剣に考えだしたとき、私を救ったのは意外にも以前空手道場に一緒に通っていた遊馬だった。


「七海紬さんかな? 私はアウロラ・プロダクションの佐藤大胡です」

「はぁ? でも何で芸能事務所の人が私に?」

「幼馴染に遊馬君って子いるでしょ? 実は遊馬君から七海さんの話を聞いてね」



 私はその時初めて知ったのだが、以前一緒に空手をしていた遊馬が高校に入ってモデルにスカウトされ、芸能界に入っていた。

そして、私の状況なんかを知って、ちょうどスカウトをしていたこの佐藤さんという人に私を紹介したそうだった。


「一応簡単には七海さんのご家庭の事は遊馬君から聞いているよ。写真とかも見せて貰っていたから、あとは実際に会って決めようと思ってたけど、うん。いいね。七海さんの容姿なら十分芸能界で戦えると思う。契約金とか含め、色々お話がしたいけど、どうかな?」

「――お金はどれくらい貰えますか?」

「え? ははは。そうだね。少なくとも七海さんの今の収入の倍は貰えるよ。もちろん、仕事が増えればそれ相応に稼げるんじゃないかな」

「……やります。お願いします」


 そうして私の芸能生活とバイトの両立が始まった。

色々躓きながら、モデルの仕事も段々と慣れ始めてきた時、また遊馬との交流が始まった。

どうやら私が高校行かなかったことがずっと気がかりで心配してくれていたそうだ。

どういう訳か私がずっとバイトしていた事も、詐欺にあったとこも全部知っていたようだ。


「本当にずっと紬をの事を助けたいと思っていたんだ。お前の事だし俺からお金だけ渡しても受け取らなかっただろ?」


 遊馬から誘われ何度目かの食事。

私自身も遊馬に恩義があるために食事に誘われれば付き合っていた。


「どうかしらね。あの時は本当に追い詰められてたから、案外簡単に受け取っていたかもしれないわ」

「いや、受け取らないよ。自分を曲げず、ずっと強く輝いていた君がそんな簡単に施しを受けるはずがないさ」

「そうかしら、随分私を評価してくれるのね」


 以前は私より小さかった遊馬。今では身長は抜かれ私よりも少しだけ高くなっている。


「そりゃもちろんさ。子供の頃から君は俺にとっての憧れだったからね。だからそんな君が落ちていくのを見るのが耐えられなかった。また太陽のように笑う君が見たかった。だから、ちょうど新しい子を探していた佐藤さんに君の事を話したんだよ。君なら間違いなく佐藤さんの目に留まって同じ芸能界に来れるって確信していたからね」


 屈託のない目で私をまっすぐと見る遊馬。

でもその目をどうしてもまっすぐ私は見る事が出来なかった。

鈍い私でも分かる。遊馬はきっと私に特別な感情を抱いているのだろう。

遊馬には感謝している。恩義もある。でも、男として見れるかと言えば別なのだ。

遊馬が手を回してくれたから、私は、そして母は今はなんとか生活出来ている。

父は相変わらずのままだったけど、それでもどん底から随分とマシになった。

でも正直、今は恋愛だのなんだのという事を考えられる状態ではない。



 そんな時にポッキーのCMがきっかけで私は世間から注目を浴びるようになった。

最初はお金を稼ぐための手段でしかなった芸能界だけど、CMが切っ掛けでやってみたかったアクション映画に出演を掛けたオーデションに私は合格出来た。

でもその頃からだ。突然怪我をするようになったのは。

最初は小さな怪我。でも週を重ねるごとにどんどん怪我の度合いが大きくなってきている。

今ではマネージャーになっている大胡さんは何かの呪いじゃないかと心配していたが、私はそれを鼻で笑った。

霊なんて、オカルトなんてばからしいと思った。

怪我だって全部私の不注意や、たまたまタイミングが悪かっただけのものばかりだというのに。


 同じ映画に出る華崎苛恋さんからも小言が増え始めた。

別に主役に固執しているわけじゃない。でも、徐々に増えていく自分の怪我に段々とストレスを感じ始めていた。



 そんな時だ。

あの礼土という男にあった。



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