第67話 人を呪わば6
大胡と二人でスタジオに戻ると何故か女性の叫び声が聞こえてくる。
ただ事件性のある声ではない。どちらかというと気合を込めた感じの声だ。
俺と大胡はお互いに顔を見合わせそっと覗いた。
すると腰を落とし気合を溜め、正拳突きをしている紬の姿があった。
その拳はあの辰樹が手で受け止めている様子だが……ほんとに何をやっとるんだ?
「どう!?」
「うーん、ヒビは入ったわね」
「えぇ!? ちょっと硬すぎでしょ!?」
いや、マジで何してんだ?
よく見たらさっきまで一緒に撮影してたあの男性モデルの人もドン引きして見てるようだが……
「つ、紬? 何してるんだい?」
「あ、マネージャー。もうちょっと待ってて。もう少しで割れそうなのよ」
え? 割れる?
あぁよく見たら辰樹の手に俺の煎餅があるじゃないか。
いや、返せ。1枚は上げたがもう1枚は俺のだぞ。
「盛り上がってる所、申し訳ないんだけど、俺の煎餅返してくれないかな」
「え、くれたじゃない」
「いや、1枚だけだよ? もう1枚は上げてないからね? っていうか何で煎餅に向かって殴ってるんだよ」
そう言いながら辰樹から煎餅を奪取する。
ビニールの袋から1枚取り出し、それを紬へ。まったく煎餅は殴るものじゃなくて食べるものなんだぞ。
食べ物で遊ぶなんて非常識だな。
そう思いながら俺は煎餅を左手で持ち右手の人差し指でボタンを押すような感じで軽く突き、煎餅を割る。
「ちょッ! ちょっと待って!? 何やったの?」
「は?」
「今どうやって割ったの!?」
「いや、普通に……」
え、何。もしかして煎餅割れなくてさっき殴ってたの?
いや、お菓子にしては堅い方だけど、殴らなくてもよくないか。
「なんで、そんな簡単に割れるわけ? 意味わからないわ」
見ると辰樹も少し引いた様子で俺を見ていた。
どういうことや。煎餅割っただけだろうが。
「一応握力80kgある私の力で割れないのよ? 流石におかしいでしょ」
辰樹はそんな事言っているが知らんがな。
それだけの筋肉あるんだし絶対煎餅くらい割れるだろ。
「ねぇもう一回やって!」
そういうと俺があげた煎餅を紬は押し付けてくる。
なんなんだ。割ってやればいいのか?
「割ればいいの?」
「そうよ」
なんだか良く分からんがとりあえずビニールの中で普通に煎餅を割った。
すると辰樹と紬が息を飲むような気配を感じた。
「……ねぇ握力いくつなの?」
「さぁ。図った事ないので……」
すると紬が割れた煎餅を見ながら本当に驚いている様子だった。
それだけ挑戦したのかもしれない。
「……すごいわね」
「それは……どうも」
なんだ、すげぇへんな空気が流れてる気がする。
あかん、どうすればいいのかさっぱりわからん。
とりあえず、助けを求めよう。
大胡マネージャー! なんとかして!
俺の視線の意味を感じ取ったのか大胡はすぐに行動を開始した。
「さて、休憩はもう大丈夫でしょう。スタジオの時間もありますし、源さん、そろそろ撮影再開しませんか?」
「そ、そうね。紬ちゃんの固さも取れたと思うし始めちゃいましょうか」
そうして再開した撮影はすぐに終わったようだ。
どういう心境の変化か不明だが、紬の表情は随分変わった様に感じる。
俺はそんな光景を見ながらすぐに
いる。
視線を少しだけ上にあげる。
最初にこのスタジオにいて祓ったはずの霊がまたそこにいた。
同じ霊だろうか。いやすぐにその考えを否定する。
あの霊は間違いなく祓ったはず。
しかしこれは――そうだ。前にも同じ事があった。
伝承霊”八尺様”だ。
伝承霊は依り代を破壊しない限り霊を祓っても復活していた。
では、アレも伝承霊なのか?
いや、流石にそれは違う。
どう考えてもその辺の浮遊霊と同じくらいの力しかない。
先ほど割った煎餅を口の中に入れる。
考えろ。どうすればいい。また祓うか。
「礼土君。今日の撮影はこれで終わりです。この後ですが――どうしました?」
「あぁ……いえ、何でもありません。この後はどうするんですか」
「そうですね。一応事務所に戻ります。紬は今日はこれで終わりなのでこのまま帰宅すると思います」
なるほど、今日の仕事はこれで終了という事なのだろう。
であれば問題は明日をどうするかっていう事か。
「では、早めに紬さんと話を詰めた方がいいでしょう。――明日の事もありますし」
「……そうですね。では事務所の会議室を使いましょう。紬にはひと声かけてきます」
「わかりました。俺は少し連絡したいところがあるので先ほどの自動販売機にいますね」
「はい。よろしくお願いします」
残りの煎餅をすべて口の中に入れ、さらにジャケットからポッキーを取り出し食べる。
最近発見したのだが、しょっぱい食べ物を食べた後の甘い食べ物は至高だ。
より甘さが引き立ち、さらに次にしょっぱいものを食べるとさらに美味く感じる。
本当に日本のお菓子業界は天才か?
そんな事を考えながらスマホから電話帳を開き目的の電話番号を探す。
『……はい。牧菜です。礼土さんどうかされましたか?」
「申し訳ないです。実は大蓮寺さんに相談したい事がありまして。後でそちらに伺ってもいいですか?」
『え? はい。では父には伝えておきますね。でも急にどうしたんですか?」
「ちょっと今やっている依頼で少し俺でも分からない事が起きているので意見が聞きたいと思いまして。後は別件もあるんですがそれは会ってからお話します」
『――礼土さんが苦戦する霊なんて想像出来ないのですが、とりあえず力になれる事があれば父も喜ぶと思います。では夜お待ちしておりますね。後で住所送っておきますからそちらに来て下さい』
「ありがとうございます。では、またそちらに向かう際に連絡しますので」
そういってスマホの通話を切る。
あれの霊については大蓮寺に質問しよう。
正直祓ってもまた復活するのであれば下手に刺激しない方がいい気がするが、一度本物のプロの意見を聞くべきだろう。
「礼土君ッ! タクシーを呼んでいますので移動しましょう」
「わかりました」
車での移動は気が滅入るが仕方ない。
まずは目の前の問題と一つ片づけるとしましょうかね。
一つ別の懸念としてあったのが俺が一緒にタクシーに乗る事に紬が何か突っかかってくるかという事だったが、これは完全に杞憂に終わった。しかし、煎餅を上げたから怒りが収まったとかじゃないだろうな。
とはいえ俺を警戒している空気は変わらない。
それに――まったく今回は色々考えることが多いな。
都内のビルの中に入り、そのまま事務所の会議室へ直行した。
そのまま鞄などをテーブルの上に置き、紬は近くの椅子に座った。
その座った時の動作を見た感じ確かに痛みを我慢している節があるようだ。
どこか動きがぎこちない。
「それで大胡さん。明日の事で大事な話って何? それになんで礼土もいるのよ」
「あぁうん。実はね――」
大胡は何とか言い出そうとして言葉に詰まる。
まぁ仕方ないだろう。
話に聞く限り今まで散々この手の話を振って怒らせているようだしな。
「紬さん。改めて自己紹介させてください。俺は勇実礼土と言います。霊能者をしています」
「れ、礼土さん!?」
俺がいきなり正体をばらしたため大胡はかなり焦った様子だ。
しかし意外な事に紬は俺の話を聞いても驚いた様子はなく、じっと俺の目を見ている。
「……そう。質問してもいいかしら?」
「何かな」
「目的は何?」
どういう意味だ。霊能者がいるという事は理由なんて考えられそうなものだと思うのだが……
「というと?」
「今の反応で少なくとも大胡さんもグルだってのは分かったわ。最初は大胡さんがスカウトした人が
「……という事は俺が誰か知っていたのかい?」
「え!? そうなのかい紬!」
俺は腕を組みながら目の前で座る紬を凝視する。
どういう事が分からないが紬は俺が誰か知っていた。であればなぜ大人しくここに来たんだ。
えぇい。だめだ考えが纏まらない。――仕方ないな。
「知ってたわ。って! 何シリアスな空気出してるのにポッキー食べてんのよッ!?」
「すまん。昔から考え事をするときは何か食べてないと落ち着かなくて……食べるかい?」
「いらないわよッ!」
煎餅は食べたくせにポッキーは嫌いなのか。
あれCMやってたよね? 君。
「言っておくけどポッキーは好きだからね。今は食べたいと思わないだけよ」
こやつ心が読めるんじゃないだろうな。
おっかない女だ。
「は、ははは、そんな誤解するわけないだろう。っていうか何で俺の事知ってるの?」
「YooTubeのきりちゃんねるで見たわ」
ノォォォオオオオッ!!!
こんなところに視聴者がいやがったぁぁぁ
っていうかオカルト嫌いなくせに心霊番組みんなよ!
「そ、そうか。オカルト嫌いって聞いたんだけど……」
「嫌いよ。非現実的だもの。でもああいうエンターテイメントとして見る分には大丈夫よ」
なるほど、つまり紬はあの桐也達との一件はやらせだと思ったわけだ。
実際本当の霊は映っていないだろう。なんせその前に俺が祓ったからな。
「話が脱線した……さて目的だったよね。それは簡単だ。君が霊障に悩まされている可能性があると依頼され調査した。そして――」
「私は呪われてますって言いたいの?」
出会った中で一番低い声だった。
なるほど、これりゃ本当に嫌いなんだな。
「俺の見立てでは間違いない。犯人は分からないが君は間違いなく呪われている。それも現在進行形で」
「そう、それで。依頼料はいくらなの?」
「依頼料だと?」
「そうよ、あんた達霊能者って奴らは毎回何をするにしても金がいるって言うじゃない! でいくらで契約してるわけ!? 私がその倍の金払ってあげるからさっさと――」
「成功報酬だ」
俺がそういうと紬は驚いた顔をして固まった。
なんだ、変な事を言ったか?
「もう一度言うが成功報酬で依頼を受けている。いつも俺は前金なしの成功報酬でしか依頼を受けていない」
「成功報酬ですって……? 馬鹿じゃないの! 霊を祓ったって誰が決めるのよ! 霊が見えない私たちには判断できないでしょ!」
「そうだ。だから依頼人が納得しない場合は俺は依頼料を貰うつもりはない。だが、少なくとも俺はここに来て仕事を失敗した事も、依頼人が納得しなかった事も一度もないぞ」
「信じられないわ。どうせ経費とか調査代とか言って高額請求するんでしょ!? 後はお札とかお守りとか買わせようとするんじゃないの!」
「そんな事はしない。調査とかも含めての依頼料だ」
俺のお守りはどちらかというとマーキング代わりみたいなところがあるからな。
それにしても霊能者に対して随分辛辣な事だ。
大胡の言う通りよほど質の悪い奴に騙されたという事なんだろうな。
「一応言っておくが依頼人は君ではなく大胡さんなので君の指示を聞くつもりはない。ただ護衛対象ではあるから理解はしてほしい」
「……理解ですって?」
「そうだ。紬さん、君は護衛される側に要求される事はなんだか知っているか?」
「知らないわよ」
「簡単だ。それは”自分が守られる対象だと強く認識する事”だ。たまにいるのは護衛対象なのに、この程度なら自分でも対処できると息巻いて護衛するに人間を蔑ろにして、自分が護衛される立場だという事を忘れるそういう人間は沢山いる。その場合の護衛任務の難度は高くなる。だから理解してくれ。対人格闘に自信があるようだが、殴れない霊や呪いに対しては何も出来ないだろう?」
そうだ。護衛する場合中途半端に戦える奴ほど面倒な事はない。
大人しく守られてくれ。その方が楽なんだ。
「とりあえず手っ取り早い証拠を見せよう」
「……証拠ですって?」
「そうだ。君の身体の怪我をすべてこの場で治療する」
「――ッ!? ふざけないで! いい加減にしてよッ!!!」
机を叩き大きな音をさせ、激怒する紬。
なんだ、雲行きが怪しくなったぞ。
大胡に視線を投げるがどうやら大胡も困惑している様子だ。
「あんたも――ッ!」
なんだ? 最後の方が言葉になって居なくて上手く聞き取れなかった。
「落ち着いて話を――」
「出て行って! 私に構わないでッ!!」
そういうと紬は近くにあった自分の鞄を俺の顔面に向かって投げてきた。
俺はそれをすぐにキャッチしてそれを紬に返す。
すると顔を真っ赤にした紬が俺にビンタをしようとしてきた。
まぁ普通にビンタしようとした手首をつかみ止めたんだけど。
「いきなり殴りかかるのはどうかと思うが?」
「ッッ!! もう出て行ってよ! あんなもそうやって心霊治療とか言って私のお父さんにしたみたいに、色んな人をだましてるんでしょ!! もう馬鹿みたい……!」
大粒の涙を流し訴えかける言葉を貰い俺は言葉を失った。
……あぁ失敗した。もっと確認するべきだったんだ。
今のではよくわかった。紬のトラウマの原因になっている霊能者嫌いは霊能を使った治療行為という詐欺に遭ったのが原因だったのか。