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第11話 過去への献花


 俺から始めた過去の話は、気付けば出会った頃の俺とクシナの昔話へと変わっていた。

 柵に寄りかかるクシナは対面の湖畔に並ぶ白亜の研究所を見ている。


「あれが、あの時の研究所だったのね」

「流石に一度連れてこられたくらいじゃ覚えてないと思った」


 笑うと、ちょっと心外そうな表情をするクシナ。

 あの時の「世界まるごとどうでもいい」みたいな雰囲気の彼女が、まともに記憶していたとは考えづらい。

 現に不服そうではあるが否定はしてないしな。


「あの頃はちょうど、母さんがいなくなってすぐだったから。捕まりたくない理由もなかったし、天稟ルクスも使わなかったのよ」

「へえ、今は使いたい理由があるんだ?」

「そういうイジワルなこと言う人にはご飯作ってあげません」

「ごめんごめん」


 ツンと顔を背ける幼馴染に笑いながら謝ると、益々そっぽを向いてしまう。


「ところで、俺があの怖い黒髪の人にやられた後、助けてくれた人ってどんな人なの?」


 今度はクシナが苦い表情をする番だった。

 眉を顰めて「あー……」と言い淀む。


「まあ、いつか分かる日も来るんじゃない? 知らないけど」

「雑だねぇ」


 まあ興味以上の感情はないし、クシナがいつか分かると言うならそうなのだろう。知らんけど。


「貴方こそ、その『怖い黒髪の人』とやらに心当たりはないわけ?」

「ないね」


 仮に知っていたとしても流石に言えないだろうが、これは嘘じゃない。

 俺は彼女のことは本当に全くこれっぽっちも知らない。


 というか知っていたら、恐怖なんかより先にオタクが溢れ出そうな気がする。

 なんかキャラ濃ゆい感じだったしなぁ。


 ……あの人ネームドキャラとして『わたゆめ』でも設定されてたかも分からんね、とは思う。


 そもそも『わたゆめ』はタイトルがポップな割に世界観自体は暗めだし規模も大きい。

 表面とのギャップのせいで、どこにどこまでキャラや組織が設定されていたのか意外と底が見えなかったんだよな。


 だから、ああいうよく分からん強者が野良でいるのはよくあることだし、意外な人物と繋がっている、なんてことも少なくない。

 まあ悲しいことに俺の知り合いは数少ないので、彼らの縁者とは思い難いけどね。


 過去の真実は未だ解き明かせないが、そもそもそれは旅の目的ではなかった。


「…………」


 風に吹かれて湖の水面を見ていたクシナに目を向ける。


 家を出てからずっと考えていた旅の目的──終着点。


「出雲じゃないんだね」


 大学サボっちゃえとか、途中で降りちゃおうとか、全くいつものクシナらしくない。

 出雲と言ったのも大まかな目的地を設定したに過ぎないのだ。


 彼女の終着点は、きっと。


「ここに来たかったんだ、君は」


 クシナは観念したように眼を閉じる。

 その口元はうっすらと弧を描いていた。




 ♢♢♢♢♢




 湖から吹く風が水の香りを乗せて通り抜けていく。


「傷の舐め合いはもう(しま)いにしましょう」


 静かにこちらを見つめる翡翠の瞳に、あたしは告げた。


『言いたくないことは言わなくてもいい』。


 いつ決めたのかも覚えてないその誓いは、互いに対するただの甘えだった。

 互いの辛かった過去を無かったことにして、今だけの平穏を享受するための関係。いつしか砂の上に築かれてしまった楼閣。


 そんなものが、ひたむきなあの子(ヒナタ)の恋路を邪魔をしている。


 なんと醜い有様だろうか。

 一刻も早く終わりにすべき悪行だろうか。


 あたしは一分一秒も(・・・・・)()()()()()()()()のだ。


 ならば甘えは捨てて、自分の本当の気持ちと向き合わねばならない。


 例えそれが別離の道を辿るとしても。

 それこそが、この旅の本当の終着点。


「そうか」


 イブキは頷いて、笑った。


「なら、やることは決まったな」


 そして一本、指を立てる。


「一つ、今まで内緒にしていた互いの過去を明かすこと。──これは丁度いま、終わらせた」

「そうね」


 言いたくないことは言わなくてもいいという誓い。

 互いを覆い隠していたものは取り払った。


 そうして悪しき過去が(あらわ)になる。

 であらば、


「二つ」


 イブキがもう一本、指を立てる。

 そして彼と──あたしの声が重なった。


「「過去の清算」」


 鏡のように、不敵な笑みを浮かべ合う。


「さすが幼馴染」

「気が合うわね」


 そして、と彼は続けた。


「もちろん、互いに一人で(・・・)ぶっ潰すこと」


 は、と笑いが(こぼ)れる。


 まったくもって、その通りだ。

 自分の面倒くらい自分で見られなくてどうする、というのが主旨なのに、最初から相手の力を借りていたのではしょうがない。


 自分の本気を搾り出して、それでも届かぬときにこそ支え合うのが人の──いいえ、()()()()()の理想の形。


「まったく……」


 貴方の方が弱いのに、いつだって貴方はあたしの先を行く。

 ああ、本当に──。


「最高じゃない」


 さあ、追憶の献花(ディヴォーション)を手向けにいきましょう。




 ♢♢♢♢♢




 松江駅に赤と白の特急車両が停車した。

 その中から、一際目立つ二人組の女性が出てくる。


 一人は長身の女性。

 新緑の着物を着崩し、長い黒髪を靡かせて下駄を鳴らす。


 その横に、金に墨色が混じったミディアムヘアの少女が続く。

 彼女は、その灰色がかった青い瞳を(しき)りに瞬かせていた。


「クシナとイブキ。……あの方たちが、そんな因縁のある方だとは思いませんでしたわ」


 欧風のドレスを身に(まと)う少女──ミラは、対照的な和服姿の姉を見上げる。

 姉、ミスズリは肩をすくめた。


「まんまと逃げられ──もとい、逃がされて(・・・・・)もうたねぇ。まさかあの子(・・・)があないな事するとは思うとらんかったんよ」


 ミラはその言葉に顔を(しか)める。


「たしかに。それは放ってはおけませんわね」

「いんや?」

「へ?」

「今回のはそれとは関係あらへんよ」


 身内の恥を(すす)ぐため、と気合いを入れようとしたミラは、肩透かしをくらったように疑問符を浮かべる。


「この時期に、あの二人や。()ぁな予感がしよる」

「この時期……?」

水無月(六月)の出雲ちゅうたら何がおますか、考えてみなはれ」


 言われて、ミラは口元に手を当て、


「……っ、月末の大祓(おおはらえ)ですか!」


 顔を跳ね上げた。

 その答えに、頷くミスズリ。


「そやなぁ。『神祇令(じんぎりょう)』に記されてはるように水無月(六月)師走(十二月)晦日(みそか)は京における清めの日」

「そこに向けて普段は出不精な華族も、京都の外に大社のある方へと移動する……!」


 普段、華族は滅多なことがないと京都の中心区を出ることはない。

 特別な理由はなく、自分たちの聖域を離れたがらないというだけだ。


 その選民的な思想はミラたち若い世代にも見られるが、日本の中心が東京へと移動してしまった今となっては、それを疎ましく思う者もいる。

 ミラもその一人だ。


 面倒な仕来たりが無ければとっくに彼女は桜邑(おうら)へと赴き、にっくき因縁の相手(・・・・・)へと殴りかかっていたことだろう。


 話は逸れたが、そんな華族であっても、否、そんな華族だからこそ伝統を重んじる向きは強い。


 彼らにとっては古き慣習こそが信ずるべきものであり、六月末に待つ大祓(おおはらえ)という(みそぎ)もまた守るべきものであった。


 早い話が、外に出慣れない連中が揃いも揃ってのこのこと遠出をするというわけである。


 ──恰好(かっこう)の獲物だ、とミラは結論に辿り着く。


 その様子を流し見て薄く笑うと、ミスズリは駅を出るべく一歩を踏み出した。


「ほな、十年前の落とし物、拾いに行こか」



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