第4話 出発の朝に
クシナは丁寧に並べられた夏物商品を物色しながら店の奥へ進んでいく。
会計カウンターのそばまで来たところで、首元から懐中時計を取り出した。
それは【
丁寧に一礼する店員に目礼を返して、試着エリアの一番奥の部屋に入る。
カーテンを閉めてから鏡に向き直り、3回、2回、4回とノック。
それから鏡に向かって歩き出す。
突き出された足は鏡面にぶつかることなく、水に潜るようにずぶりと入っていき──クシナの全身が溶けて消えた。
一方でクシナの視界には、一瞬前までの試着室とは異なる灰色の空間が広がっていた。
懐中時計の竜頭を捻ってローブを出すと、フードを被って顔を隠す。
足を進めるのは、その部屋から斜め下に向かって伸びている通路。
石壁に石床の隘路を数分も歩いていると、やがて視界が開ける。
広がっていたのは、
狭い道に、所狭しと並んでいるのは
そのほとんどは居酒屋のようなもので、客も店員もお世辞にも柄がいいとは言えない。当然、全員が構成員だ。
さながら下町の地下商店街。
クシナは改めてフードを引き下げて、足を踏み出した。
彼女を見て、こそこそと会話する構成員たち。
彼らの服やローブには漏れなく”煙”の紋様が入っていた。
中には体の一部にタトゥーで紋様を入れている連中もいる。
それだけ彼らは、この空間の最奥の人物に心酔しているということだ。
彼らが物好きなのか、彼らの主人のカリスマ性が優れているのか。
どちらも正しいのだろう。……後者は癪だが。
やがて辿り着いた最奥に建っていたのは、
クシナは屋敷の正面玄関の前で足を止めると、
「居るのは分かっているわよ、ミオン」
「──チッ、つまんねェな」
ボヤき声と共に門の影から現れたのは、赤い着物に煙管を持った美女。
【六使徒】第四席〈
クシナは呆れたように腕を組む。
「今さらそんなのに引っかかるわけないでしょ」
「とか言ってカッコよくキメたのに誰もいなかったら超恥ずかしいぜ? あー、次はそうしよっと」
「前回もそう言っていたわよ」
「今回はマジです〜、お淑やかな〈
「貴女は存在が恥だものね。他を引き摺り落とそうと必死になるのも分かるわ」
「あ?」
「は?」
しばしの沈黙。
やがてミオンは一服して、紫煙を
「んで? なんの用だよ」
クシナはフードを取り、
「桜邑を留守にするわ」
「──なに?」
ミオンが煙管をくるりと回した。
「オマエが、この街から出るって? やめとけよ」
「あら、心配してくれてるの? 可愛いところあるじゃない」
「…………」
「ま、そういうわけだから留守の間よろしくって伝えておこうと思ってね」
くるりと踵を返し、帰ろうとするクシナ。
「おい、待てよ」
その背に投げかけられる低い声音。
「……何かしら」
クシナが肩越しに振り向くと、ミオンは眉根を寄せて、
「オマエがそんな殊勝なことだけ言いにきたとは思えねェ」
「このあと盟主のところにも顔を出すつもりだったけど」
「そういう話じゃねェよ。──どこに行くつもりだ?」
クシナはフッと微笑み、
「
「…………っ」
ミオンが背後で瞠目したことに気づきつつも、クシナは振り返ることなく屋敷を後にした。
♢♢♢♢♢
東京駅から岡山駅までは新幹線で一本。
そこから出雲駅までで、合計六時間超えの乗車時間となる。
移動時間で半日以上取られてしまうため、向こうで一泊する予定だ。
本当は二泊でも良かったのだが、普通に平日で大学をサボっているので気が引けると一泊に決めた。
ちょっと駆け足な小旅行だ。
「夏休みはゆっくり沖縄とか行きたいわね」
「逆に北海道とかは?」
「そっちは冬にしましょうよ。ほら、海とか行きたいし……」
「……確かに」
早朝五時の
俺たちの家周辺はほぼ全くと言ってもいいほど人通りがない。
大通りで車がまばらに行きかっている程度だ。
それも中心街にやってくるまでのこと。
駅が近づくにつれ、人通りも増えてきた。
「この時間帯でも意外に混んでるもんだね」
「徹夜明け組が半分、早朝出発組が半分って感じね」
「こういうところ見ると、一応都会なんだなぁって思う」
東京駅で新幹線に乗り継ぐ途中。
地下だと道順がややこしいからと一旦地上に出ると、今度は丸の内の洒落た街並みに出迎えられた。
背後には──赤
「不思議ね」
クシナが空を見上げて言う。
「何が?」
「ここを都会なんだと再認識して『意外』と思うだなんて、こっちでの生活にすっかり慣れきっていたんだなって」
「確かに。昔の、こっちへ来たてだった頃の君が聞いたら驚くんじゃない?」
「ふふっ、面白い冗談ね」
クシナは俺に流し目を送る。
「──その頃のあたしは、きっと何も思わなかったわよ」
「……そうかもね」
「そうなのよ」
彼女はととっと前へ踏み出して、日中よりも人の少なめな東京駅をくるりと見渡した。
ビル風になびく長い髪がふわりと舞う。
「随分とご機嫌だね」
「ええ、とても」
普段は落ち着いていてお淑やかなクシナが、無垢な少女のように楽しんでいる。
それだけで、こちらも楽しくなってくる。
「そんなに
「別に崩れてもいいの」
本当に機嫌がいい。長い付き合いでも指折りの良さだろう。
なぜだか少し恥ずかしくなりながら、鞄から手鏡を取り出す。
「ほら」
「ん、ありがと」
素直に受け取ったクシナが手鏡を覗き込んで、動きを止める。
「どうしたの?」
「──いえ、少し、思い出しただけ」
幼馴染は鏡を見つめたまま穏やかに呟き、それからゆっくりと瞑目した。
♢♢♢♢♢
「──クシナ」
呼びかける声に視線を下げる。
駅舎──東京駅を背に、自慢げに両手を広げているのは、
その茶色い髪は肩にかかるほどの長さだったが、紛うことなき男子だ。
「どう?
彼の翠色の瞳が、まっすぐにこちらの紫色の瞳を射抜いていた。