第3話 思い込んだら一直線なタイプ
ルイとしては、それを引け目に感じたことはないし、これから直す必要性も感じていない。
今まで生きてきて、それで苦労した経験がないからだ。
ルイから見た他人は、ほとんどの場合二種類に分けられる。
自分にとって大切な者か、どうでもいい存在かである。
前者は言うまでもなく圧倒的にヒナタ。あとツクモ。
そこに
そして、それ以外はすべからく、後者。
なんとも極端な話だと自分でも思うが、これもルイにとっては問題ではなかった。
──つい先日までは。
「それで、例の幼馴染さんとやらは、アナタにとってどういう存在なのかしら?」
平静を装いながらも、ルイはわずかに緊張感を滲ませる。
目の前に座るこの男──
かつては二種の括りから外れた、圧倒的な敵意の対象。
実の母親に対する悪感情に匹敵する言えば、その凄まじさのほどは察せるだろうか。
それが、今となっては──、
(……
強いて何かしらの名をつけるなら……ヒナタへのオタク仲間、であろうか?
彼のヒナタに対する熱意は、ルイとしても認めざるを得ない。自分の方が上なのは間違いないが。
彼を指して「大切な存在か」と訊かれたら、別にそんなんじゃない!と即座に否定できるだろう。
しかし、「ならば、どうでもいい存在なのか」と尋ねられれば、答えに窮する相手なのもまた事実である。
全くもって複雑怪奇。
極め付けに、話をややこしくしているのが……、
「…………」
ルイはカップに口をつける振りをして、こっそり彼を伺う。
正確には、彼の
「────っ」
ふいと、視線を下げる。
紅茶の水面に映る自分の顔が赤いのはどう考えても紅茶の色のせいだろうが、自分の頬が色付いていないかと問われれば自信はない。
(ワタシ、本当にどうしてしまったのかしら……)
先日、第十支部で
アホ上司が押し付けてきた少女漫画に影響されてしまっただけだ。
今度、パワハラで労働組合に訴えてやる。
なにせ、この自分が、だ。
散々、美を拒絶し、一目惚れなんか猿並みの知性しかもたないホモサピエンス擬きが一時の気の迷いに任せて思考放棄した結果生じる負の産物だとすら思っていた、この自分が。
(
いくら目の前の人物が、優しげに垂れた目に吸い込まれてしまいそうなほど透き通った翡翠の瞳を併せ持ち、すっと通った鼻梁と緩く弧を描く薄い唇を持つ美青年だからと言って、一目惚れするなど有り得ないのだ。ええ、全く。
いつだったかフードが取れた時に初めてその美貌を見てしまった時も、ヒナタを辱めた相手が女の敵のような顔をしていたことに驚いただけであって、決して数秒間にも渡って見惚れてしまったわけでは断じてない。ええ、全く。
これだけの否定を重ねてようやく、ルイは先日から続くこの不可解極まりない衝動に完全な区切りをつけた。
ちなみにイブキが先に投げかけられた質問に返答するまでの、僅か数秒間の出来事である。
「クシナは──幼馴染かな」
「…………」
二人の間に沈黙が落ち、カフェの雑音が流れていく。
「……え、それだけ?」
「あはは、うん」
耐え切れずルイが聞くも、イブキは困ったように笑うだけ。
「いくらなんでも変じゃない? だって、アナタたち同棲までしてるんでしょう? ヒナから聞いているのよ」
そう。ルイは直接会話したことこそないが、小さい頃から一緒にいるヒナタから何度も彼女の話を聞いてきたのだ。
随分と昔のことだが、ヒナタの家に遊びに行った時、隣家から並んで出ていくイブキとお相手を遠目に見たこともある。遠目なので二人の顔まで見えたわけではなかったが……。
「それに──」
ルイは目つきを鋭くした。
「彼女は、アナタの
裏の顔と言って伝わらぬほど鈍い男ではない。
苦笑を浮かべていたイブキも、真剣な表情をする。
「知らない。一切ね。あの子は俺と無関係だ」
「……まあ、いいわ」
その言葉を手放しに信じるほど単純ではないが。
あえてルイはそれ以上は尋ねなかった。
たとえ『幼馴染』とやらが、彼の正体を知っていて隠匿していようが──あるいは
ルイはヒナタとは違い、
志したきっかけだって、周囲の鼻を明かしたいがためである。
ぶっちゃけ、それよりもアレだけの愛の巣を築いている二人が一体どんな関係性なのかが気になって聞いただけである。
……なんとなーく、モヤついていたことは否めないが。
そんなところに連れ込まれそうになったのだから当然の反応だ。
だというのに返答は『ただの幼馴染』でしかないなどという戯けたもの。
今までのルイからしたら信じがたいことこの上ない言葉……なのだが。
(冷静に考えると……確かに、この前読んだ漫画では主人公のヒロインが幼馴染のヒーローとほぼ同棲っぽい関係だったわ……! 『幼馴染』ってそういうものなのね!)
彼女は順調に毒されていた。
♢♢♢♢♢
──なんとか乗り切った!
若干の手心があったのは理解しているが、ルイからの尋問を無事乗り切ったのには違いない。
「それで」
何やら
「──なんでヒナタちゃんに避けられているんですか、俺はぁ!」
ルイの方は話しているうちに前と同じ感じになってきたから、なんとなくどう接していいか分からなかっただけなのだろう。
一回目で意気投合して名前で呼び合うようにまでなったものの一週間くらい間を置いたことで敬語に戻ってしまう、友達付き合い序盤あるあるである。
なので、そっちは問題ない。
問題はめちゃくちゃ付き合いが長いのに、急に避けられるようになってしまったヒナタの方であった。
イブキの魂の叫びを受けたルイは不思議そうに片目をすがめた。
「そうかしら? 避けられているの?」
「さっき君といた時、明らかに俺のこと避けてたでしょ!?」
「ん……あー、そうだった気がしないでもないわね」
自分のことに精一杯だったとでも言わんばかりに、今思いだしたわ、と大仰に頷くルイ。
「女が、男を避ける……」
彼女はしばらく考えこむように口元に手をやっていたが、やがて目を見開いて、
「ハッ──好き避け……っ!?」
「っ!?」
危うく口に含んだコーヒーを吹き出しそうになりながら飲み下す。
それから、
「頭ん中お花畑か!?」
まるで恋愛脳に毒されたような思考をかますルイに、勢いよく突っ込む。
彼女は、顔を青くして、
「いえ、何が起きるか分からないのが恋愛だもの。今までは近所のお兄さんだったのが、高校に入って再会するとともに急に意識するようになってしまったのかもしれないわ……」
「再会して一ヶ月以上経ってるけど!? 少女漫画でも読んでるの!?」
「ええ、そうだけど」
「読んでるの!?」
何もわかっていない二人の会話は、ここからまるで進まなかったので割愛。
ともあれヒナタの方の悩みは全く解決しなかったが、ルイの方は早々に解決できたのでイブキとしてはギリギリ及第点な
♢♢♢♢♢
すっかり暗くなった道を独り歩きながら、イブキは空を見上げた。
「『それだけ?』か……」
カフェで、自分とクシナは「ただの幼馴染」だと答えた時のルイのぽかんとした表情を思い出す。
「それ以外にあるとしたら……何なんだろうな、俺とクシナって」
呟きは星の少ない都会の夜空に溶けるようにして消えていった。