ありふれた日常
一ヶ月近く空いてしまいすみません、新型コロナ何某と山積する課題にやられておりました……!
皆様お待ちかね(だったら嬉しい)
至って普通の7時起きだ。
中高生や社会人の起床時間としてはスタンダードだろう。
ただ、大学生の朝としては少々規則正しいかもしれない。
そんな生活を送れている理由は──、
「ほら、起きよ? イブキ」
穏やかな声音が耳に届き、布団に潜っている体がゆるゆると揺すられる。
「ぅうん……」
「もう」
窓から差し込む陽光を遮ろうと目元に腕を乗せると、滑らかな手に掴まれ優しく剥ぎとられる。
しぶしぶ薄目を開けると、繋がれた手の向こう側。
「おはよ、イブキ」
ベットの横に座り、縁に肘をついて微笑する幼馴染がいた。
「ん……おはよー、クシナ……」
寝ぼけ眼でへら〜っと笑うイブキ。
それを見たクシナは、するりと手を解いて立ち上がった。
「それじゃ、お味噌を溶いてくるから。顔洗ってきなさい」
「はーい……」
床板の軋みが遠ざかっていくのを聞きながら、
「起きるかぁ……」
イブキはもそもそと身体を起こす。
少しだけ開けられた窓から風が吹き込んでくる。庭先の茉莉花が白紫の花弁を揺らしていた。
「んん……良い香り……」
──これが、なんてことのない、指宿イブキのありふれた起床風景である。
♢♢♢♢♢
クシナが出かける準備をしている間に洗い物を終わらせ、一足先に玄関を出る。
小さめの門をくぐると、
「いってきまーす!」
ちょうど、隣の家から元気いっぱいの挨拶が聞こえた。
「……っ」
その可愛らしい声音に、息を呑む。
思わず隣家へ目を向けると、玄関から小柄な人影が飛び出してきた。
着慣れた制服に身を包む、その少女の名は──
彼女はこちらの視線に気付いたように振り向く。
背中の半ほどまでの茶髪がさらりと弧を描いた。
「あ! おはようございます、お兄さん!」
ぱあっと音が聞こえそうな笑顔が咲く。
「お、おはよう、ヒナタちゃん」
ぎこちない笑みと共にそう返す。
最近のヒナタは雰囲気がちょっと違うので、なんとなく緊張してしまう。
とてて、と寄ってきた少女は覗き込むように上体を倒した。
目を細めて微笑むと、スカートの裾をついと掴む。
「制服、ずいぶんと着慣れてきたと思いませんか……?」
「────」
瞬間、
(かわ──てんさ──死──)
イブキの脳内を駆け巡る激情。
瞬きの間に尊死まで辿り着き、一周回って蘇ったイブキは冷静に笑顔を浮かべるとサムズアップした。
「めちゃくちゃ可愛い。超似合ってる」
「〜〜〜っ、ふえ!?」
目を白黒させながら飛び退くヒナタ。
唇をわななかせながら、目の下を熱くする。
「な、なんでそんな余裕綽々に……」
「? すごい可愛いよ?」
「〜〜〜〜っ!!」
いつもどおり何も分かってないイブキがにこにこしながら追加の燃料を投下すると、ヒナタは火が出そうなほど顔を真っ赤にしてジリジリと身を引いていく。
そして、
「お、覚えててください〜!!」
脱兎の如く通学路を駆けていった。
「……? うん! 覚えとく〜!」
イブキは推しの可愛さを脳に刻み込む。
と、指宿家のドアが開いた。
中から顔を覗かせたのはクシナだ。
「何か言った?」
「ううん、ヒナタちゃんと話してただけ」
彼女は相槌を打ちながら鍵を閉めて、やってくる。
「もう行っちゃったの?」
「なんか急いでたみたい」
「あら、残念」
相槌を打ち、くるりと反対へ歩き出すクシナ。
それから、横に並ぶイブキに流し目を送る。
「それで。今日の小テスト勉強した?」
「……ちょっとは」
「ふぅん?」
「なに?」
「別にー」
その場にしか残らないような会話を交わして、二人は歩いていく。
♢♢♢♢♢
その講義室の座席は、後ろ半分が階段状になっていた。
特段、変わったところのない大学講義室だ。
しかし、他とは少し違う所もある。
普通、自由座席の教室では、学生は後ろに固まりがちなのだが、この講義では前方に座る学生がやたらと多いのである。
おかげで気難しいと評判の教授は、この講義では非常に機嫌が良い。
終了のチャイムが鳴り、教授が上機嫌に出ていくと、一人の男子学生──イブキが隣席に向かってテスト用紙を突き出した。
「ほら! 96点!」
褒めて褒めてとでも言うように目を輝かせるイブキに、見せびらかされた女子学生──クシナは柔らかく微笑む。
「はいはい。よく頑張ったわね」
彼女の笑みには「しかたないなぁ」といった風情が込められていた。
「ちょっとだけテストの勉強をした」という幼馴染の朝の発言が、実は「ちょっと」どころではないと見抜いている様子だ。
「それで、クシナの方は……?」
「ん」
控えめに机の上に目をやるクシナの視線を追えば、そこには赤字の「100」。
自分を軽々と超える満点に、乾いた笑いを浮かべるイブキ。
「ですよねー……。いつもの事ながら、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
仰々しく戯けたやりとりをして、二人は同時に席を立った。
イブキが伸びをしながら言う。
「よーしテスト終わりだし、お昼は高いメニュー選んじゃおうかな」
「じゃああたしは日替わりで」
「いつもじゃん……」
二人は駄弁りながら前の扉から出ていった。
しばらくして、講義室が一気に騒がしくなる。
そこで交わされる会話の内容は──、
「指宿くん、今日もカッコよかったぁ……」
「いやー私としては褒めてほしい子犬みたいな笑顔が可愛くて」
「それな」
「わっかる〜! 超分かる……!」
「はあ、櫛引さんはいつも美しいな……」
「あの優しい微笑み……こっちにも向けて欲しい」
「テストの点数言わない控えめなところも女神だわ」
「指宿がうらやまじいぃ……っ」
イブキを称揚し、クシナを崇めたてる賛辞の津波であった。
盛り上がる数多くの女子と数少ない男子が座っているのは、前方の席。
そう、イブキとクシナが座っている場所の周辺だ。
彼ら彼女らの目的は、学内でも飛び抜けた美男美女を鑑賞すること。
別に教授の講義に興味を持っているから前に座っているわけでは全くない。
そんな内情など知る由もなく、教授は今日も上機嫌に帰っていったのだ。
意欲的な姿勢に反してやや低めの平均点にかすかな疑問を抱きながら……。
♢♢♢♢♢
帰り道、イブキが思いついたように言う。
「今日の夕飯、たまには俺が作ろうか?」
「あら、そう? 嬉しいけど、どういう風の吹き回し?」
「日頃の感謝を込めて、みたいな」
「やりたくてやってるのに感謝されるのも不思議な話だけれど」
「やってもらってるのは変わらないからね」
たまにはさ、と呟いて、小石を蹴る。
その小石を目で追って、クシナは綻ぶように微笑した。
「で、今日はオムライス? ハンバーグ?」
「……その二つしか作れないわけじゃないからね?」
「自分の好きなものしか作れないくせに」
「他のも作れるし!」
「レシピを見れば、ね?」
「……絶対別のもの作るから」
むすっとする幼馴染を見てくすくす笑うクシナ。
「ごめんってば。一緒に作ろ?」
上目遣いに誘う幼馴染を半目で見るイブキ。
「……ひとりで作れないと思ってる?」
「違う違う。あたしが一緒に作りたいだけ」
「……ならいいけど」
単純だなあ、という生暖かい視線を振り切って、イブキは足早にバス停へ向かう。
と、慌てたようなクシナが。
「あ、待っ──」
制止するよりも先に、
「どいてどいて〜!!」
イブキが十字路を横切る瞬間。
横から自転車が飛び出してきた。
ブレーキをかけながらも、あわや衝突か、と自転車に乗る側が目を瞑る。
ほぼ同時にイブキの体が後ろから引っ張られていた。
「……あ、ありがと、クシナ」
「……ううん」
クシナが後ろからイブキを抱きしめるような体勢になっていた。
謝ろうとした自転車側の女性も二人の密着具合を見て、顔を赤くしている。
ぺこぺこと謝る女性が去ってから、二人は何も言わず歩調を合わせて歩き始めた。
「──
真っ先に口を開いたのはイブキだ。
尋ねられたクシナは神妙に頷く。
「大した距離じゃなかったから、ギリギリ」
「よかったぁ〜……」
大袈裟なほどにため息を吐くイブキ。
それから横目でクシナを見下ろし、──反対に見上げていたクシナとばっちり視線が合った。
二人してしばらく見つめ合って、ふっと吹き出す。
「毎日ほんとに退屈しないわね」
「申し訳ない……」
「褒めてる。今はね」
クシナはふんわりと破顔した。
「貴方のおかげで一秒一秒が楽しいもの」
その儚げな美しさに、イブキは知らず息を呑む。
それから、むかし大切にしていた物を見つけた時のような笑顔を浮かべた。
──そうして二人は今日も歩いていく。
ありふれた日常を、一歩一歩、確かめるように。
とても嬉しいお知らせがございます。
このたび拙作『推しの敵になったので』が書籍化する運びとなりました。
実を言うとかなり早い段階(一章終了時点)でお話をいただいてたのですが、なにぶん処女作の上に初めてのことで「どのタイミングで発表すれば……」とポンコツ作者が告知のタイミングを尽く逃しつづけてしまい……こうなったらクシナ回でやるしかねぇ!という覚悟のもとお知らせしております笑
書籍化について気にかけて下さっていた皆様、申し訳ない。そして、本当にありがとうございます。
書籍に関する最新情報は作者Twitter(@NandaTokioka)の方でお伝えしていきたいと思っています。
これからも『推し敵』の世界を皆様と楽しめたら嬉しいです!
改めまして、よろしくお願いします!