第34話 苦労人(笑)
支部の全機能が復活し、
イサナとローゼリアはエレベーターの中にいた。
来た時と違い商人に護衛はおらず、二人だけが揺籠に運ばれている。
「貴女の
「そうか」
分かってはいたが、自らの護衛に対し全く関心がない様子の彼女に、辟易した面持ちのイサナ。
「破裂したらしいです」
「……何?」
そこで初めてローゼリアの表情に変化が生まれた。
おや、とイサナは眉根を上げる。
「貴女の仕業ではないのですか?」
「貴様は存外無礼なやつだな。手榴弾ならともかく、人など破裂させても意味がないだろうが」
「貴女も大概ですよ」
「ふん。……だが、自分が
「……はい?」
「なんでもない」
怪しいがしかし、どうやら嘘ではないらしい。
だとすると、〈
可能性はいくつか考えられるが最も有力なのは──と、イサナは思索を打ち切った。
エレベーターが目的の階に到着したからだ。
扉の前まで歩み寄ったところで、ローゼリアは肩越しに振り返る。
「ではな、シンドウ」
彼女の面貌には薄ら笑いが張り付いていた。
「中々面白い見せ物だった。端金を出した甲斐くらいはあったぞ」
「…………」
取引には応じたものの、部下と招いた子供達を危険に晒すことになったイサナとしては不愉快であることに変わりはない。
仏頂面の副支部長を愉快そうに眺めてから、商人は扉を開けた。
その先には、ヘリポート。
そして───盛大に横倒しになり、プロペラも何本か折れたヘリが一機。
「……………………」
何も言わず振り返った死の商人に、メイド服の副支部長はとびっきりの笑顔でカーテシーをした。
「本日はご足労頂き誠に有難う御座いました。どうぞ、地を這っておかえりなさいませ?」
♢♢♢♢♢
──地の底。
【
七つの席の一つに、真白の人物が腰掛けている。
扇情的な装いに反する清廉な雰囲気。
盟主〈
ふと、瞑目が終わる。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、真珠色の中に黒真珠のような双眸が浮かび上がった。
目の端から透明な雫が流れ落ち──、
「瞑想は終わりか? 〈
彼女の隣に立っていた少女が声を発する。
盟主は声の方へ目を遣り、
「ええ。お待たせしました、ツクモ」
「うむ」
ツクモは尊大に頷くと、本題を切り出す。
「
「そうですか。ありがとうございます。流石ですね」
「うむうむ! そうだろう!」
〈
「楽しかったですか?」
「うむ、中々に楽しかった! 兄様も面白かったしな!」
ツクモの言葉に〈
「……兄様?」
「〈
「彼が……」
不意に彼女の黒真珠のような瞳が揺らいだ。
少なくともツクモにはそのように見えた。
「? どうした、〈
「…………いえ」
彼女はゆるりと首を振る。
「わたくしにも、分かりません」
盟主は、ただ天を仰いだ。
♢♢♢♢♢
天空にほど近い副支部長室にて、
───〈
ルイやヒナタ、リンネやクララから上がってきた報告書を読んでいたイサナは、内心で叫んだ。
ニッコニコもニッコニコである。
確かに、あの雨剣ルイが獲物を取り逃したというのは驚きだし、他にもいくつかの問題は残っていた。
だが、全てが終わってみればどうだろう。
ローゼリアからの借りは帳消し。
彼女に追従していたパトロン連中は軒並み黙殺。
取り逃し続けていた殺人鬼の排除。
味方&庇護対象に被害者ゼロ。
ついでに、いけすかない商人に一泡吹かせられた。
イサナさん、大勝利である。
──〈
心に傷を負いながら《読心》を使い続けたにも関わらず、目的はイマイチよく分からず、そのくせ天使に対する謎の好意を持っていることだけは分かった。
要するにさっぱり分からないということが分かったが、こちらに対する不都合は今のところ一切ない。
あんなのが敵対組織にいるあたり、言わば”
これは泳がせておくのが吉、とイサナは判断した。
そんな上機嫌な副支部長に対し───向かい合う相手は頭を下げる。
「今回は、ほぼ役に立てなくて申し訳なかったね」
「いやいや、貴方は最終防衛ラインでしょ」
イサナは
「最終防衛ラインは最後まで動かないから最終防衛ラインって言うんだよ。動く必要がないのに動くのは悪手かな。特に今回は傍陽ちゃんと雨剣ちゃんが大活躍だったからね」
「そうだね、頼もしいよ」
視線を交わして二人は頷いた。
「イサナさん的には満足?」
「そうなー。あらかじめ向こうの策を潰せるのが最善だったけど、それができない状況だったからねぇ」
イサナは今回の顛末を思い出してしみじみと言う。
「概ね満足かな〜。ブラッドローズには罠もかけさせてもらったしね」
「へえ、どんな罠なんだい?」
「ナイショ。向こうさんにも気づかれてないだろうし」
「そう。じゃあ聞かないでおくよ」
ありがと、と返して、イサナは相手の格好を上から下まで流し見た。
首を傾げて問いかける。
「それで、──いつまでその姿なの?」
彼女の前に立つ
青年──
「さっき
「
「ある意味分かりやすいけどね」
そして、レオンが目を閉じる。
すると、おもむろに彼の体が変化しはじめた。
170cmを越えていた背丈は150cm半ばまで縮む。
肩幅は狭まり、喉仏の輪郭は見えなくなった。
そして短めに切られていた髪は伸び、その漆黒から
ゆっくりと上がる瞼の下には、蒼ではなく
イサナが伸びをしながら言う。
「うぅーん、この方が見慣れてて落ち着くなぁ、──
第十支部最強の
彼女は、だぼついた袖で隠れてしまった腕を持ち上げる。
「
「あはは、可愛くていいじゃんか」
「冗談じゃないよ、全く」
リンネはブローチを取り出し、首元につける。
それから何事かボソリと呟くと彼女の服が輝き、それが納まった時には他の
楽しそうにそれを見ていたイサナは、そこで「あ」と声に出した。
「この前気が付いたんだけどさ」
「うん?」
「『レオン』って
「────」
リンネは表情を強張らせて、じっとイサナを見た。
その反応で確信し、にまーっと笑う。
「ははーん?
「うっ、うるさいな!」
リンネが露骨に顔を赤くした。
「あれだよね、
「やめてくれないかな!?」
イサナはここぞとばかりに追撃を仕掛ける。
「いやー、気付くのに10年近くかかっちゃったよぉ」
「一生気付かなくても良かったのにっ!」
ううーと頭を抱える支部最強。
「まだ碌にアルファベットも分からない頃だったんだ……」
「可愛いなぁ。普段から、そういうとこ見せてりゃいいのに〜」
「余計なお世話だよっ!」
ふんっ、とリンネは拗ねたように踵を返す。
「じゃあね! ボクはもうお暇させてもらうよ。帰って大学のレポートやらなきゃだからね」
「いま、三年生だっけ?」
「そうだよ」
頷いて、肩越しに紅瞳をイサナへと向けた。
「最近、ちょっと大学が楽しいんだ」
イサナは眉根を上げる。
「なんで?」
「内緒」
彼女は、先ほどの仕返しとばかりに口角を緩めた。
イサナも似たような笑顔を向ける。
「ほほう、いいね。モテる女は秘密が多いもんだ、私みたいに」
「モテたことあるのかい?」
「は? やんのか?」
「やめておくよ、イサナさんに勝てるとは思えないからね」
怖いこわい、と嘯いてリンネは部屋を出ていった。
それから暫くして、
「…………あ、やべ」
部屋に取り残されたイサナは唐突に思い出した。
前に、こんな風に軽口を叩きながら、雨剣ルイから〈
「…………本当に少女漫画のヒーローみたいなイケメンだったな……」
私、もうすぐ死ぬんだぁ。
イサナは遠い目をして、机に突っ伏した。