第6話 クシナちゃん観察日記
これは、俺がまだクシナと出会って間もない頃の記憶だ。
「イブキくんは、なにがしたいのですか?」
漠然とした質問だった。
けれど、その紫紺の瞳はひどく純粋で、真っ直ぐにこちらを見ていた。
だから俺も正面から彼女を見据える。
「俺は──【
ちょこんと膝を揃えてソファに座るクシナに対して、俺は自分の夢を語った。
「それで──」
「ええと、イブキくん。言いづらいのですけれど……」
「ん?」
いつもは滅多に自分から喋ることなく静かに話を聞いている彼女がそっと、けれどはっきりとこちらの声を遮った。
珍しいな、となんだか不思議な気分で目を瞬かせて次の言葉を待ち──、
「【
「えっ」
俺の目は死んだ。
♦︎♢♦︎♢♦︎
ヒナタちゃんとの交戦(?)から一夜明けた、護送車襲撃作戦当日のこと。
「ええっ? 昨日、イブキが陽動した
きょとんと見開かれたアメジストのごとく美しい紫瞳。
すっきりとした鼻梁と薄く色づいた唇の、柔和かつ完璧な顔立ち。
どこかの姫宮のように切り揃えられた、絹のように滑らかな黒髪。
身体付きは女性的な魅力に溢れている反面、華奢であり儚げでもある。
昔のクシナをそのまま大きくしたような容姿。
けれど、中身の方はここ数年で随分と変わった、としみじみ思う。
昔のままの彼女であれば驚いた時には、「まあ」と口元を抑えて目をパチクリさせていただろう。
その中でもドンピシャでヒナタちゃんを引き当てた(ように見える)のだから驚きも
まさかヒナタちゃんが配属初日から任務をこなしているとも思っていなかっただろうし。
まあ? うちの推し、天才ですから?
「よりによってと言うべきか、なんというか……」
額に手を当てたクシナが、じろっとこちらを見る。
「まさか、バレてないわよね?」
「ないです、ないない…………たぶん」
「……まあ、ローブを着ていたなら大丈夫だと思うけれど」
クシナは俺たちが身に纏うローブに目を落とした。
ローブの生地は黒く、裾や袖に描かれた真っ赤な彼岸花の紋様が鮮烈に目に残る。
物自体は二人とも同じだが、クシナの方は指先が隠れるほどに袖が長い。
「あんまり実感ないんだけど……このローブ、ちゃんと認識阻害の効果があるんだよね?」
「ええ。フードさえ被っていれば、顔が見えていたとしても問題ないくらいよ」
曰く、【
つまり〈
例外は、あらかじめ〈
正体を共有している俺とクシナならばローブ越しでも互いに認識は可能だ。
「視覚情報ではなく記憶中枢に阻害を掛けている」とはクシナの言だが……うん、雰囲気は掴んだ。ホントホント。
ちなみに、認識できない構成員同士が互いを見分けるのに使うのが、ローブに描かれた紋様である。
【
クシナで言えば、彼岸花。
これで「お、アイツの部下だな」と認識しているそうだ。
「これも作ってる人がいるんだよね?」
「うん、幹部の一人よ。その子は部下がいないけど」
「クシナだって俺しかいないじゃん……」
「ちなみに部下がいる幹部は六人中三人よ」
「半分しかいないじゃん……」
「その内、あたしともう一人は部下を一人しか持っていないわ」
「残ってる幹部一人だけじゃん……」
「ソイツが捕まってるのよ」
「終わってるよ、この組織」
残りの構成員は〈
協調性なさすぎでしょ、うちの幹部……。
……ああ、悪の組織だったね。
「ま、そういうことだから。せいぜい気張りなさい、あたしの右腕」
「はいはい──じゃ、現状確認から始めようか」
現時刻は早朝五時。
この時期にもなると、陽はすでに顔をのぞかせていた。
けれど、メインストリートから外れた往来には、人っ子ひとり見えやしない。
暗闇に乗じて襲われることもなく、周囲への被害を最小限に留められる。
護送には適した時間帯と言えよう。
それを臨む俺たちが立っているのは、またしてもビルの上だった。
昨日に引き続き二日連続での屋上入りである。
クシナがやや呆れの滲んだ表情を浮かべた。
「……バカと煙はなんとやら」
「俺の
「どうだか」
上下の機動力に長けた、逆に言えば前後左右の機動力に乏しいのが俺の《分離》なのでしょうがない。
バカだから高いところに登りたがるとかでは断じてないッ!
以下、今回の襲撃作戦の概要である。
①俺の長所たる上下の機動力を活かし、電撃的に護送車に接近。
②下に降りたらクシナがなんとかする。
「──以上!!」
「ねえ、あたしの負担大きくない?」
「なんと簡単ツーステップ!!」
「ねえ、バカって言ったの怒ってる?」
「どうだろうねぇ!!」
とまあ、②は冗談にしても。
昨日とは違って誰が布陣されているかも分からない以上、護送車への接近方法以外たいした作戦は立てられない。
複数の
下手な策を弄した程度で突破できるとも思えなかった。
ただ、もう少し踏み込んだ予想は可能だろう。
たとえば、動員されている護衛の人数。
「四人か、多くても六人くらいだと俺は思う」
「少人数なのは同意見。今回の護送はうちの諜報担当が掴んだだけで、本来は秘密裏のものだから」
「付け加えるなら、そもそもの人員不足も理由の一つだね。第十支部は設立からそんなに経ってない」
「確かにね。ヒナタが初日から駆り出されてたのもそのせいかしら」
まあ、そっちはもう一つ理由があるんだけど……。
それは俺が原作で読んだから知ってるだけであって、ここで言うべきじゃないので割愛。
「でも、もっと少ない可能性もあるでしょう?」
「いや、四人は下らないと思うよ。ルート的にね」
「ルート?」
小首をかしげる彼女に、
「……ああ、なるほど」
口元に手を添えて、得心した様子のクシナ。
画面上のマップには、護送車の通り道が赤線で示されていた。
赤線は、街の中心部にある第十支部に始まり、三つ隣の区にある第一支部までで終わっている。
その間、いくつかの襲撃に適した場所があった。
「──ちょうど五ヶ所。それぞれの地形に合わせた
「そういうこと」
例えば、いま俺たちがいるビル群なんかは見通しが悪いので護送車に近づくのが比較的容易な場所の一つだ。
間違いなく高低差に対応できる者が動員されていることだろう。
「
「そうなると向こうの能力もどんなものか察しがついてくるわね」
クシナはうんうんと頷き、考え込むような仕草を見せる。
「……ちょっと面倒かもしれないわね」
「どうしたの?」
「いや、昨日あたしがやりあった相手がね──と、ごめんイブキ、そろそろみたい」
そこで今までの話が切り上げられる。
素早く懐中時計を確認すると、護送車がここを通るよりちょうど一分前だった。
この子、相変わらず恐ろしく精密な体内時計持ってんなあ、と呆れつつ。
視線を眼下の通りに落とし、それが続く先へと滑らせる。
その向こうに──来た。
「じゃ、いきますか」
「ええ」
俺たちは同時に屋上から身を投げ、宙空を舞った。