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第28話 地上250mの死闘・上


 珈琲の香り漂う、落ち着いた雰囲気の喫茶店【Café・Manhattan】。

 一見して都市部にあるお洒落なカフェにしか見えないそこは、その実【救世の契り(ネガ・メサイア)】の集い場としての役を担っている場所でもあった。


 休日にしては珍しく客足の少ない店内で、店主の馬喰ばくろユイカはカウンター席に座る人物へと注文の品を出す。

 蜂蜜をたっぷりと溶かし込んだ、甘いカフェラテである。


 それを一口含み、頬を緩めるお客に向かって、ユイカは言った。


「随分と落ち着いてる(落ち着きがない)んだね〜」


 それを聞いて、客人──櫛引くしびきクシナはソーサーにカップを置く。


「何か、慌てる必要があるかしら?」


 クシナが首を傾げると、頬の横で切り揃えられた滑らかな黒髪がさらりと揺れた。

 ユイカはその問いには答えず、外を指差す。

 目だけでそれを追えば、ビルの谷間から覗く白亜の城が見えた。


「ああ、見学会。……心配してないと言ったら嘘になるわね。なにせイブキとツクモのペアだから」

そうだよね〜(そうかな〜)


 合点がいったと頷くクシナに、同意して頷きを返すユイカ。


「しかも〜、それだけじゃない(で終わり)でしょ〜? 何か不測の事態とか起きる(起きない)かもしれないし〜」

「…………」


 クシナは少し考えてから、言葉をこぼす。


「──イブキって変な奴なのよ、昔から」

「『彼のことなら昔から知ってるのよ』アピール〜?」

「ユイカさん?」


 にっこりと笑って圧をかけると、ユイカはにっこりと笑い返して誤魔化した。

 クシナはこほん、と咳払いする。


 脳裏には、【救世の契り(ネガ・メサイア)】所属後の初任務が近づいてきた頃のイブキの姿が浮かんでいた。

 すなわち、ヒナタと戦って陽動を果たした日より数日前の様子だ。


 あの時のイブキも、何度も戦場周辺に赴いては作戦を考えていた。

 プランEだとかFだとか呟いていたのをよく覚えている。


「ごちゃごちゃ考えを巡らせてるくせに、びっくりするくらい大胆でもあるの」


 まあ、その大胆さが裏目に出ることも茶飯事なんだけど。

 そう話すクシナの口角は緩く弧を描いていた。


「性格と才能が合ってないっていうのかしら。色々考えてなきゃ気が済まない性分なのに、余計な考えを持ってない方が強いのよ」


 だからね、と続ける。


「今回は潜入場所が天秤(リーブラ)の支部ってことでロクに作戦も立てられてないでしょ? そんな時に不測の何かが起きたとしたら──」


 微笑みは、いつの間にか不敵な笑みに変わっていた。


「そういう時のイブキは、とっても強いわよ」




 ♢♢♢♢♢




 今回の俺の勝利条件は二つだ。

 一つは、雨剣ルイの全力を引き出すこと。


 迷いに囚われたままのルイじゃ、このさき必ず取り返しのつかない事態に陥るだろう。


 俺の蒔いた種なのだ。

 彼女に絡みつく荊棘イバラは、俺が刈り取らねばならない。


 何も憂うことなく、何にも縛られることなく。

 ただ自由にあるがままの彼女を引き出す。


 それが一つ目。

 二つ目は──それが完遂されてからだ。


「殺す──ッ!!」


 吠える指揮者が右腕を薙いだ。

 四本の剣が飛来し、その中央をルイが滑るように迫り来る。


 初撃、次撃は《分離》を使った跳躍で回避。

 宙に投げ出された俺を見て好機と踏んだか。

 ルイは残る二振りの長剣と共に飛びかかってきた。


 だが──実のところ、空中戦が得意なのは君だけじゃない。

 重力を無視できる俺にとっても、ここは自由な舞台なんだ。


 左右から肉薄する長剣のうち、右前のものを蹴る。

 接触と同時に《分離》。

 吹き飛んだ長剣が、左前方から俺を狙う剣にぶつかる(・・・・)


《分離》対象:長剣、及び長剣。


 二つの銀閃は呆気なく墜落していく。

 それには見向きもせずに。

 俺との距離を縮めていたルイが蹴りを放ってきた。

 脚撃が俺に触れた瞬間、俺の慣性を(・・・・・)消して吹き飛ばされる。


「………っ!?」


 手応えが皆無であったことに驚くルイ。

 彼女から視線を切って、宙で身を捻った俺は聖堂の内壁に着地。

《分離》を使い衝撃を無くすと同時に、上方へと壁を蹴る。


 一気に天井付近まで跳び上がった俺は、はりの上に立った。

 天翔ける指揮者を睥睨し、言う。


「殺す殺すと、できもしない癖に口だけは達者なんだね」

「────」

「あっははは、自分を殺せないと分かってる天翼の守護者(エクスシア)なんて、微塵も怖くないよね」

「くっ、うぅ……っ!」


 ルイの表情が歪み、俺の心も軋む。

 自分の推しに暴言を吐かなきゃならないなんて、オタクにとって拷問に等しい。


 ──だけど、それがなんだというのか。


 今まで推し(ルイ)が苦しんできた分を考えれば安い痛みだ。


「お前はっ、絶対に殺──」

「『殺す』とか『死ね』とか言うのも自己暗示だろう」

「な、ぁ……」


 初めて戦った時にも思ったが、雨剣ルイはかなり物騒な言葉を使う。

『雨剣ルイ』はクールではあったが、物騒ではなかった。


 ヒナタちゃんへの想いの強さと、それゆえの俺への敵意もあるだろう。

 それを差し引いても疑問に思っていた。


 だが「絶対的な悪人でないと殺せない」というのであれば、自ずと予想も付く。

 図星を突かれたような反応をする彼女を見れば、それは確信に変わった。


「殺意を抱くのが怖くて堪らないんだ?」

「だまれ……」

「ああ、ひょっとしてヒナタの入れ知恵かな?」

「黙れ……っ」


 フード越しでも俺の顔が見えている彼女に、嘲笑を向ける。


「『そう言って自分を奮い立たせて殺すんだよ、ルイちゃん』って」

「──だまれえええええええッッッ!!!」


 絶叫とともに、彼女が両腕を(・・・)振るった。

 ルイの元へ舞い戻った長剣が一斉にきっさきを俺に向ける。


 ──そうだ。君は指揮者。両手を振るえ。


 先程とは異なり彼女は地上付近で低空飛行したまま。

 四つの銀剣のみが閃いた。

 それらを弾き、逸らし、避け、宙で踊るようにして捌く。


「────っ」


 蹴飛ばそうとした長剣が、一瞬、宙で速度を落とす。

 咄嗟に蹴りを遅らせて対処するが、体勢が崩れた。

 瞬間、横合いから真っ直ぐ突き進んできていた一振りが回転する(・・・・)


『突く』のではなく『斬る』という剣本来の使い方。


 側面から剣身に触れることで、かろうじて無効化する。


 ──連続で《分離》、自分の慣性を無くす。


 剣身を押し、けれど動くのは俺の方だ。

 手荒な緊急回避を使って下降。

 聖堂内で最も豪壮華麗なステンドグラスをバックに、十字架の上に着地した。


 俺とルイの視線が、同じ高さでかち合う。


「…………」


 先程までより、ずっと柔軟な、かつ変則的な天稟ルクスの扱い。

 制圧のための駆け引きが、命を奪うための狩りへと変わってきたのだ。


 ──けれど、まだ足りない。


 まだ俺は、死を感じていない。

 なら、俺の知ってる『雨剣ルイ』はもっと強い。


 俺のためにも彼女のためにも本当に殺されてやるわけにはいかないが、せめて彼女本来の容赦無さまでは取り戻してもらわなければ。


 ──推しに自分を殺させようと言うんだから、俺も覚悟を決めなきゃな。


 ルイと睨み合い、口を開く。


「そういえば以前、君は『ヒナタに何をするつもりか』と訊いてきたね」

「…………それが?」


 ロクな言葉が出てくるわけがないと直感しているのだろう。

 ルイは表情の険を深めた。

 その予想はたがわない。


「君の言った通りさ。ヒナタは天才だからね。手籠め(・・・)にしておけば、とても便利な駒になるだろう?」

「────」


 それは今までとは質の異なる変化だった。


 無。


 気を抜けば目が惹きつけられそうになる美貌が、無の表情を浮かべる。

 背筋が震えるほどに、清冽せいれつな美しさが増した。


「…………」


 ルイは何も言わなかった。

 口を引き結んだまま。


 三度みたび、長剣が翻った。


 その全てが車輪のように回転し、風を切り裂きながら迫り来る。


「────」


 輪転しているため、それぞれの動きが大きい。

 一点を見つめていたのでは間違いなく対処しきれない。


 視界全体(・・)に集中──焦点を散らす。


 ゆっくりと、確実に距離を詰めてくる凶器。

 優先順位は────右下、左上、右上。


 確認して、一振りだけに焦点を絞る。


 まず、右下。

 これは単純、足場を蹴ることで跳んで躱す。


 当然、予測されており、左上からの長剣が来る。

 俺はそれに──全力で腕を伸ばした。


 輪転は『刺突』よりも『斬撃』に向いている。

 同時に、柄がこちらに向く(・・・・・・・・)()()()()()()()()ということでもある。


 その瞬間に合わせるために腕を伸ばし──《分離》。

 俺の裏拳が50キロ超えの長剣を弾き返す。


 無理な体勢になったところで、右上から迫る一振り。


 ──そこで、四本目を右手に持ったルイが、こちらに滑空してきているのが見えた。


 彼女が、何も手にしていない(・・・・・・・・・)左腕を振るう。


 視界の端。

 こちらに飛んでくる四つ目の物体が映る。


 それは──燭台。

 聖堂の柱に取り付けられた金属製のそれは、充分に凶器たりうるものだ。


「───ッ」


 俺は即座に右上からの一振りへの対応を変えた。

 剣の輪転に合わせるようにして身を捻り──柄を掴む。


 ──《分離》対象:自身、及び長剣。


 剣の勢いどころか重量まで消え、俺は捻りに任せて一回転。

 飛来した燭台を長剣で打ち払った。


 ──そして、目の前までルイが迫っている。


 剣を振り抜いた体勢の俺に対して、彼女は振りかぶった体勢でいた。


 ──死ぬ。


 俺はほぼ無意識のうちに手にした長剣を《分離》していた。

 下へと自身を押し出しつつ、身を逸らす。


 鼻先スレスレで、長剣が通り抜けた。


 ──あっぶな……っ。


 直後。


「───っ!?」


 俺の身体が、宙に縫い止められたように停止した。

 なぜ、という疑問はすぐに氷解する。


 ──ルイが《念動力》で、俺のローブを(・・・・・・)止めたのだ。


「くっ……!」


 咄嗟に袖と、袖から覗く手を見て──《分離》。

 ローブの念動を解除する。

 拘束から逃れたと思った瞬間──腹部に衝撃が走った。


「ぐっ、はっ……!?」


 白革のロングブーツ。

 ルイの蹴り下ろしが、俺を捉えていた。


 一瞬、冷たい業火のような眼光の美しき狩人と視線が交わる。


「────」


 為すすべなく、紙切れのように吹き飛ばされる。


 ──前にも聞いた甲高い破砕音。


 十字架の背後のステンドグラスをぶち抜いて。

 俺の身体は250メートルの上空へと放り出されていた。




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