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第24話 激怒


 その女と遭遇したのは、いつものように暗い小径を彷徨っていた時のことだった。

 突然目の前に立ち塞がった女は、薄汚い路地裏でも威風堂々とした有り様を崩さず、言った。


日本(この国)には花火なるものがあるだろう。あれは好い。硝煙の香りが実に好みだ」


 金と赤が混じったようなウェーブ髪と豪華な服飾からは、彼女の地位の高さが窺える。

 アメジストのような瞳は、まるで見透かすようにこちらを見定めていた。


 ──妬ましい。


 最初に胸の内に抱いたのは嫉妬だった。

 燦然と輝く宝石のような、自分とは真逆の女。

 しかし、どこか見覚えがあるような……。


「───っ!」


 まさかこんな所にいるとは思わなかったため、思い出すまで時間がかかってしまったが、この顔。


「……ローゼリア・ブルートローゼ」

「ミドルネームが抜けているが、まあいいだろう。今日はこちらが勧誘に来たのだからな」

「勧誘……?」


 言葉の真意を測りかねていると、彼女は続けた。


「花火を打ち上げたくはないか? 飛び切りの舞台で──【救世(メサイア)】以上の話題となるものを、な」

「…………奴ら以上」

「そうだ」


 先日、ショッピングモールで〈剛鬼ゴウキ〉が暴れた事件は記憶に新しい。

 忌々しいことに最大の反社会勢力たる彼らの影響力は大きいのだ。


 近々またパフォーマンス(・・・・・・・)をしようかと考えていたが、あちらの話題性を加味して取りやめたところである。

 そのタイミングで、世界屈指の死の商人からの、勧誘。


「……目的と、具体的な内容は」

「これは驚いた。素晴らしい判断の早さじゃあないか」


 当然だ。

 でなければ、そう何度も人殺し(・・・)などできるはずがあるまい。


 殺せそうなら、殺す。

 殺せそうになかったら、殺さない。


 ──それは、目の前の豪商にも当て嵌まるわけだが。


「やめておけ」

「…………」


 表情を失った冷たい美貌に、釘を刺される。

 漏れ出ていた僅かな殺気を納めると、その能面に笑みが戻った。


「やはり、好い。判断の早さは商才の有無に等しいからな。目的は追々話すが──」


 彼女は片手を前へと差し出した。

 握手か、と気づくと同時に驚く。

 この汚い手と結びたいものがいるとは。


「内容は単純。(わらわ)の護衛として、【循守の白天秤(プリム・リーブラ)】第十支部に共をしろ。して──思うがまま、花火を上げるがいい」


 口角が自然と吊り上がる。

 それを自覚した時には、女の手を握り返していた。




 ──沈みゆく太陽を見ると、いつも胸がすく。


 この世で一番目立つものが消える感動だ。


 それを噛み締め、小柄な女がこの街の象徴シンボル──【循守の白天秤(プリム・リーブラ)】第十支部の屋上で両腕を広げた。


「宵の刻よ、おいでませ……きひひっ」


 先程までローゼリアの護衛として共をしていたスーツ姿の女は不気味に笑う。

 彼女の世間における通り名は──〈誘宵いざよい〉。


 これまで13の惨殺死体を残し、天翼の守護者(エクスシア)の捜査を嘲笑うように潜り抜けてきた女である。


 彼女の天稟ルクスは《影渡(かげわたり)》。

 人知れず人を狩り、正義との対峙から逃れ続けた才能(・・)の正体だ。


 逢魔ヶ刻。

 陽は堕ち、影がその領域を広げる。

 正義の城には、光が灯ることはない。


「さあ、開演だ」


 木霊する嗤い声を残して──〈誘宵いざよい〉が影に沈んだ。




 ♢♢♢♢♢




「じゃあ、みんな。そろそろ【星の塔】に戻りますよぉ〜!」


 はぁ〜い、と元気な声が響く。

 それに引き戻されるようにして視線を戻すと、先頭にいたお姉さんが扉に手を当てて、はてなと首を傾げたところだった。


「あ、あれれ? おかしいなぁ、ここの扉は生体認証って言って、お姉さんたち天翼の守護者(エクスシア)が手を当てると電子ロック(・・・・・)が外れるようになってるんだけど……」


 ぐいぐい、と扉を押しているお姉さんに、周囲の天使達が近寄ろうと動いた時だった。

 最後尾にいた俺の視界の中で──影が動いた。


「────」


 子供達を囲むように立ち、扉の方を見る天翼の守護者(エクスシア)

 その足元に伸びる、長い影からぬるり(・・・)と腕が現れる。


 まるで、跳ねるイルカのように。

 あっという間に跳び出したのは、スーツ姿の小柄な女。


 その気配に気づいた天翼の守護者(エクスシア)が振り向くよりも早く、凶刃が背に突き刺さ──、


 ──《分離》。


 天稟ルクスを発動するのと同時、俺は叫んだ。


「敵襲っ!!」


 聞き慣れぬ男の、聞き慣れた台詞。

 驚いた天使たちが一斉に振り返る。


 その先に、背を浅く(・・)斬られた同僚と、その背後の影を認めた。


 あの小柄な背格好と、何より特異な天稟ルクス

 天翼の守護者(エクスシア)たちが見まごうはずもない。


 ──それは俺も同じ。


『私の視た夢』一章、ラスボス。


「〈誘宵いざよい〉──っ!?」


 当の女は思ったよりもナイフの手応えがなかったことに首を傾げていたが、この場の全員の視線を集めていることに気づくと、


「……きひっ」


 短く嗤い、影に沈んだ。

 瞬間、空間の雰囲気が一転する。


「きゃああああああああああ!!!!」

「なにっ!? なにぃっ!!??」


 正義の味方(エクスシア)が血を流しているのを見て、子供達が恐慌に陥ったのだ。


「みんなっ! 落ち着いてっ! 大丈夫だから!!」


 それを鎮めようと周りの天使たちが声をかけるが、それすらも届かない。

 先頭近くにいた天使たちは扉に駆け寄るが、


「やっぱり開かない!? なんで……っ!」

「これ……電気が……」

「うそ、でしょ……」


 どうやら電気系統が機能していないらしき会話が聞こえた。

 ここだけか、それとも支部全体か。

 どちらか分からないが、彼女らの動揺は失態だったと言わざるを得ない。

 敏感にその悪い状況を感じ取った子供達が一層、泣き叫ぶ。


 何か──と考えを巡らせた、その時。

 隣にいたツクモの影が、揺れた。


 普段なら、天稟ルクスを使ってどうにかしたところだろう。

 けれど、守るべき対象が下手に手の届く場所にいたことが災いした。


「……ツクモっ!」


 ツクモを庇うため、抱き込んでしまったのだ。

 咄嗟の行動に対する代償アンブラ──『接触』が支払われ始める。


 それによって《分離》が使えなくなることには、その直後に気づいた。

 走馬灯のように後悔が浮かぶ。


 ──せめて、なんとか死なない場所に刺さってくれ……!


 その神頼みじみた願いは──天使・・によって聞き届けられた。


「────」


 風が吹き荒れ、俺の耳には風切り音と、少し離れた場所で何かの衝撃音。

 それと、



「ねえ」



 背筋が凍りつくような、低声(こごえ)

 振り向くと、〈誘宵いざよい〉が【月】の扉に叩きつけられているのが見えた。


 その、手前。

 俺のすぐ後ろに、たなびく純白の隊服(コート)が広がっていた。



「あなた、いま、誰の背中を傷付けようとしたの……?」



 最速の天使。そして、推し。

 俺を庇うように立つ彼女の声音に、自分が向けられた訳でもないのに空恐ろしさを覚えた。


 傍目にも鮮烈に伝わる激情。

 原作主人公・傍陽そえひヒナタは今、



「ねえ、ほら、寝てないで、答えて……?」



 ──間違いなく、ブチギレていた。




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