幕間 残響・下
ヒナタとルイは小学校では別クラスです。『上』のラスト付近、それが分かるようそれとなく修正しておりますのでご承知おきください。
「ひっ、ひひ一目惚れですっ、付き合ってくださいっ!」
「無理」
「綺麗な顔してるな、俺の女になれよ」
「死ね」
「あ、あの雨剣さんって本当に綺麗で、だからっ」
「さようなら」
以前は一学期に一、二回だったのに、最近は月に二、三回この茶番を見せられなければならなくなった。
「意味不明すぎる」
教室を離れながら、思わず口にする。
どいつもこいつも人の容姿しか見ていない。
だいたい「一目惚れ」とは何なのだろうか。
顔見たくらいで好きになってしまうなんて、あまりにも考えなしよね。
気の迷い以外の何でもないと思う。
「そんなもので告白してこないでほしい」
「どうしたの?」
俯きがちな顔をあげれば、ピンクのランドセルを背負った
ふっと微笑みが浮かんでくる。
「いいえ、なんでもないわ」
「そう?」
「ええ。帰りましょう」
灰色のリュックサックを背負い直して、ワタシは友人に並んだ。
ワタシに初めての友人が出来てから、三年近い月日が過ぎていた。
同時に手段《夢》への初めの一歩も間近に迫っていた。
つまり、
──三年後、【
「雨剣さん……ようやく、ようやくよ……」
救護室の先生の前で、ワタシは気まずげに視線を逸らした。
「──ようやく、あなたに『全快』を伝えられるわ」
ワタシの腕や脚は包帯でぐるぐる巻きにされていて、素肌が見えるところは皆無。
脱臼した右肩にいたっては、三角巾で固定されている。
入学から二年と少し、ワタシは常に怪我をし続け、すっかり救護室の常連になっていた。
むべなるかな、この二年ワタシは《念動力》で自身を動かす訓練に終始していたのだ。
それは見えざる神の手で木偶人形を操作しているに等しい。
耐えきれない負荷が掛かるたびにワタシの身体は簡単に壊れてしまった。
苛烈な訓練のおかげで勝ち取れた「秀才」の称号には満足している。
まあ、ワタシの隣でヒナが軽々と《加速》を習熟させていくものだから、「天才」の
その怪我人生活が、ようやく今日で終わった。
二年間、ほぼ休みなく付き合わされた先生の気持ちも痛いほどに理解できる。
「ありがとうございました」
ワタシは医務室から飛び出した。
途中、ゴミ箱へ包帯と三角巾を放り捨てて、昇降口まで駆け抜ける。
「お待たせしました……!」
言うと、そこで待っていたヒナともう一人が振り返った。
「たいして待ってないよ」
【
そして、これから一週間の
♢♢♢♢♢
雨。
「はァ……っ、はあっ……」
手をかざすワタシから少し離れたところに女が倒れている。
長剣で胸を貫かれた、女が。
その傍ではヒナが尻餅をついて、濡れた地面に広がっていく血潮を呆然と見ていた。
が、意識を現実に戻すと必死の形相でワタシを見る。
「ルイちゃんっ! 救命措置っ!!」
腕を下ろしながら、ワタシはゆるゆると首を振った。
「無理よ、もう。心臓を、貫いたから」
日頃の訓練の賜物、と言っていいのだろうか。
咄嗟に動いた身体は、的確に相手の急所を捉えていた。
「………っ」
ヒナは唇を噛んで、失われゆく命から視線を切らさない。
たとえ凶悪強盗グループのメンバーであろうとも。
たとえ自分に牙を向け命を奪おうとしてきた相手であろうとも。
彼女は”命”に敬意を払っていた。
人の命が軽くなって久しい現代では、時代錯誤とも言える価値観だ。
事実、
けれど、ワタシはヒナのそういうところが嫌いじゃなかった。
ワタシじゃ、そうはなれないから。
──……でも。
たった今、一振りで相手の命を奪った自分の手を見下ろす。
そこにあるのは普段通りの変わらぬ手。
──そのはずなのに。
「…………」
滴る雨がやけに粘ついて感じられる。
冷たいはずなのに、奇妙に熱い。
……不快だ。
その理由も分からず雨粒を睨みつけるワタシと、ただ地面を見つめるヒナ。
立ち尽くすワタシたち二人の元へ、血相を変えて
♢♢♢♢♢
事は、
連続強盗グループのアジトを突き止めたワタシたちは、複数の他班と連携して突入することになった。
と言っても、突入するのは各班のリーダーのみ。
つまりは正式な
ワタシたち見習いは出入り口で逃げてきた犯人がいた場合の後詰めだった。
とはいえ突入するのが支部最強なので、実働の見込みはない。
──その予定が狂ったのは、アジトの
逃げようとする彼女はヒナの《加速》の前に呆気なく捉えられた。
しかし彼女が何かの
その瞬間、犯人がナイフを振り上げ──それが振り下ろされるより前にワタシの長剣が彼女を貫いた。
振り返ってみれば誰のせいでもない。
時の運が悪かっただけだ。
けれど、そうは思わない人もいる。
「──なんでっ!?! どうか止めてやってくださいとは言ったけど、殺してくれなんて一言も言ってないっ!!!」
ワタシが殺した犯人の、母だ。
今回のアジト発覚は彼女からの情報提供で成されたものだった。
先週、彼女から事情聴取を行ったのはワタシたちの班。
リンネさんが今回の顛末を説明しにいった部屋の外で、ワタシは頭を殴られたような心地でいた。
──人の
社会的にどうだろうと、その人を愛する人は絶対にいる。
強盗犯だろうがなんだろうが、その命は軽くない。
それどころか。
彼女は愛されていたのだ──自分の
自然と、言葉がこぼれ落ちた。
「──ワタシと、ちがって……っ」
後悔などなかった。
母なんて好きじゃなかった。
羨ましくなど微塵もなかった。
何も思うところなどないのに。
そのはずなのに、頭の中がぐしゃぐしゃだった。
理由も意味もわからずに、眩暈がするように視界がぐらぐらと揺れる。
「ルイちゃん……っ」
ヒナが、ワタシを抱きしめた。
この子は多分、初めからずっと理解していたのだ。
人ひとりの命の
ふと、思い至った。
《念動力》の
──ワタシより軽い命なんて、ないからだ。
「────」
背丈が一回り以上小さい相棒の胸に包まれるようにして。
ワタシはきっと、泣いていた。
とくん、とくん、と相棒の心の音が響く。
失いたくない音だった。
命を奪って守った、命の音。
残響は、今も離れない。
♢♢♢♢♢
──執着、というのだろうか。
手の中に残った
指揮棒を止め、片手を握りしめる。
それに合わせて演奏がピタリと止まった。
瞬間。
パーン!と割れるように一斉に拍手が響き渡った。
──まるで、激しい雨のように。
天を仰ぐと、ステンドグラスから陽射しが降り注いでいた。
とても豪華な舞台だ。
昔、ボロ屋の片隅で思うがままに腕を振り、身体を揺らしていたあの頃とは違う。
決定的に、何もかもが違った。