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終幕 天使/ウラ


循守の白天秤(プリム・リーブラ)】第十支部、最上階。


 赤絨毯の敷かれたその階には、二つの部屋がある。

 一つは支部長室。


 “室”と銘打っておきながら、その部屋はテニスコート一面が入るほどに大きい。

 置かれているインテリアは豪華絢爛にして豪壮華麗。


 現在、第十支部長は本部へ出向していて不在だが、その部屋は美しく保たれていた。


 それを行なっているのは副支部長、信藤(しんどう)イサナだった。


 本来なら職務外の労働。

 けれど、彼女のメイド服は伊達ではない。


 勝手気ままな支部長をはじめとして問題児だらけの第十支部の面倒事(お世話)を、イサナは一手に引き受けている。


 最上階もう一つの部屋こそ、そんな彼女の安全地帯(セーフルーム)であった。


「ふんふん、ふふーん♪」


 上機嫌にデスクワークをこなすイサナ。

 山のように積まれていた書類が刻一刻と減っていく。


 不在の支部長の物も代理でこなしているはずだが、その捌き様に一切の陰りはない。

 というか支部長がいようがいまいが、彼女の分の仕事はイサナがやっているので普段と変わりない。


 ──と。


「うげっ」


 突然、手を止めたイサナは一枚の書類を凝視した。

 

『先の大規模攻勢におけるビル破壊の正当性について』


「…………」


 イサナは見なかったことにした。

 それから、ガックリと項垂れる。


「くっそぅ……。問題児しかいないじゃん、この支部……」


 頭に載せられたホワイトプリムがずり落ちる。

 それを手で押し上げると、再び事務処理に舞い戻った。


 ものの一時間となく、書類の山は姿を消す。


「よっし、───じゃ、あとはこれか」


 彼女はどこからか一枚の便箋を取り出した。

 封を切って三つ折りの報告書を広げ、目を落とす。


「……ふむ」


 やがて、いつになく真剣な面持ちで顔を上げると、その紙にライターで火をつけた。

 炎は端から広がっていき、紙は灰へと変わっていく。


「ついに第三印までもが明滅を始めてしまいましたか」


 手を離せば、落ちゆく火紙は床に辿り着く前に燃え尽きた。

 おもむろに、イサナは窓辺に歩み寄る。


「彼女の視た悪夢は、もう目前まで迫っているのですね……」


 憂いに揺れる瞳に、普段の陽気さは無く。

 その眼下には、未だ新装の目立つ桜邑(おうら)の街並みが広がっていた。




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




 指宿(いぶすき)邸は屋敷と呼ぶにふさわしい、都会にあって珍しい日本家屋だった。

 されど内装まで純和式かと言うと、そうでもない。


 畳敷きの居間もあるにはあったが、もっぱら利用されるのはいわゆるLDK。

 リビング、ダイニング、キッチンが一体化した洋風の部屋だ。


 その壁づけされたキッチンの前に、エプロン姿の女子大生──櫛引(くしびき)クシナが立っている。


『先週行われた百年祭。その五日目に副都心桜邑(おうら)で起こった大規模襲撃は、街並みに今も大きな爪跡を残しています』


 テレビから流れる実況中継を流し聞きしながら、手際の良く調理を進めていく。

 彼女が醤油差しを取ろうと調味料ラックに手を伸ばし──その手が、空を切った。

 一瞬きょとん、としてから、むっと眉根を寄せる。


「イブキ、貴方また醬油差しの戻し場所を間違えてるわ。いい加減、覚えるように前々から言って───って、あら?」


 背後に向けた小言が、まったくの無反応で返されて、クシナは振り向く。


 そこには黒革のソファが、クシナと背中合わせになるよう置かれていた。

 これは料理姿を見られるのを恥ずかしがったクシナが、そう配置するよう家主に命じたからだ。


 いつも通りのリビング・ダイニング。

 けれど、そこには見慣れた幼馴染にして家主でもある青年、指宿イブキの姿は見えず───代わりに少女が一人、座っていた。

 その少女に向けて、クシナは尋ねる。


「ねえ、ヒナタ。イブキは?」


 傍陽ヒナタ。

 最近になって再びこの家によく遊びにくるようになった、クシナの可愛い妹分である。


 小さい頃に一緒にいた時間は決して長くはなかったが、もう一人の幼馴染と言っても差し支えない大切な存在だった。

 そんな彼女は、首だけでこちらを振り向くとほんのり苦笑した。


「お兄さんなら、たった今そろりと抜け出していきましたよ」

「……はあ、逃げたわね。まったくもう」


 しょうがないわね、とため息を吐きながらクシナは料理に戻った。


 ──その背後で、少女が蠱惑的(こわくてき)に目を細めたことには気づかずに。


「ふふ、本当にしょうがない人ですよね──」






「───ね? おにーさん♪」


 背後のクシナに聞こえない程度の声量で囁くヒナタ。

 その顔に浮かぶ妖艶な笑みを───イブキは息を潜めて見上げていた(・・・・・・)


 クシナからはソファの背に隠れていて見えないだろう。

 なにせイブキはいま、ソファに身を横たえている。


 目線の先には豊かな双丘と、その向こう側の推しのご尊顔。

 そしてなにより、後頭部の柔らかい感触。


 現状を端的かつ的確に表すなら、こうだろう。


「どーですか? わたしの、膝枕(・・)


 イブキは考えた。


 ───分からなかった。



「…………………………?????」



 目はまんまるに見開いて、口はにっこり。

 脳内で疑問符が日本三大急流の如くオーバーフロー。

 ふじみのくまさんもがいてる。


 なぜ、いまなのか?

 なぜ、クシナの後ろでなのか?

 てか、そもそもなんで膝枕されてんの?


 なぜ、ヒナタちゃんはとっても機嫌が良さそうなのか?

 なぜ、ヒナタちゃんはこんなにもいい匂いがするのか?

 なぜ、ヒナタちゃんは超弩級にかわいいのであろうか?

 そんなことに疑問を抱くな、ヒナタちゃんがかわいいのは普遍の事実だろ。


 イブキは悟った。


(───推し想う故に我あり即ち我が生涯に一片の悔い無し)


 デカルトもいい迷惑である。

 過去の哲人の威光など今のイブキにとっては路傍の石ころ同然だった。


 けれど、ふとクシナのことを思う。


 すぐそこで背を向けて、料理をしている幼馴染。

 彼女はきっと、イブキがヒナタにこんなことをされているなんて思いもしないだろう。


 別に何というわけでもないが。

 なんとなく申し訳ないような心地がする。


 かすかな、されど確かな居心地の悪さを感じたイブキが身じろぎした時。


「ふふふ」


 ヒナタの、妹代わりの少女の、──最推しヒロインの。

 彼女の手が優しく、(あや)しく、イブキの髪を()いた。


 少女の顔には、どうしてか最近よく見せるようになった蠱惑的な表情が浮かぶ。


(あっ、その顔ズルい────)


 オタクは死んだ。






(おにいさん、かわいい)


 ヒナタは胸の内からあふれる愛おしさのままに、膝上の青年の頭を撫でつづける。


 半身のような幼馴染のすぐ傍で、隠れるようにして妹のような少女と。

 言ってしまえば背徳的な現状に、彼は目を回していた。


 そうして慌てる姿を見れば見るほど、普段手を引いてくれる彼との差異(ギャップ)に胸がときめく。


(ごめんなさい、クシナちゃん)


 イケナイことをしている。

 その自覚はある。


(でも、しかたないの)


 別に二人の関係を壊そうとなんて思っていないのだ。


 時々こうして、ほんの少し、味見(・・)をさせてもらうだけでいい。

 そうするだけでヒナタの飢え(・・)は満たされる。


 そして、イブキの代償(アンブラ)も解消される。


 なんと歪んだ(とっても素敵な)共依存(シンビオーシス)


(こんな効率的なこと、しない方が非合理的(もったいない)でしょ?)


 むしろ、我慢し続けるほどに毒はより濃く、深くなるだろう。

 そんな事態を避けるためにも、適度な味見は不可欠だ。


 今は……『お兄さんとヒナタちゃん』は、このくらいの距離でいい。


 けれど、そう、例えば───。




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




 ──カラン、カラン。


 扉が開き、鈴が鳴った。

 客の姿を確かめて、カフェの店主、馬喰ユイカは笑う。


「あらぁ、ミオン。いらっしゃ〜い(おとといきやがれ〜)

「おー、邪魔するぜ。……ホントに邪魔してるみたいだな、その挨拶」


 微妙な表情を浮かべるのは〈紫煙(シエン)〉化野ミオンだ。

 彼女はきょろきょろと辺りを見回す。


「あん? 〈刹那(セツナ)〉の奴来てんじゃねえの?」

「クシナちゃんならとっくに出て行ったよ(まだいるよ)ぉ」

「なんだ一足遅かったか、せっかく揶揄ってやろうと思ったのに」


 カウンターにどっかりと腰を下ろすミオンを見て、ユイカはにまーっと笑った。


「……んだよ?」

「いや〜? 本当、クシナちゃんのこと大好き(大嫌い)よね〜」

「ああ、そりゃもう……──いや、好きじゃねえからな! ややこしいな、オマエは!」

「ふふふっ」

「ちっ。いつもの寄越せ、腹黒店主!」

「はぁ〜い」


 くすくすと笑って、ユイカは急須を手に取った。

 ミオンはカウンターに肘をついて煙管を吹かすと、


「あいつ、帰ってきたら死ぬほど揶揄ってやる」


 そう、(うそぶ)いた。




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




 美しい緋色の刺繍で彼岸花が描かれた、黒いローブ。

 俺は日常生活から逃げるように、〈乖離(カイリ)〉の装いへと姿を変えていた。


 どんな心境の変化があったのかわからないが、最近のヒナタちゃんはちょっと、俺には毒するぎる。


 キュートなパワーとかで浄化されちゃいそう。

 なにせ悪の組織の一員なので。


 これから天翼の守護者(エクスシア)との戦いだというのに、なんだか家にいるよりも落ち着く気がした。


「…………はい、もういいわね」


 そう言って、俺と同じローブ姿の女が離れた。

 直前まで感じていた温もりが消え、支払いによる浮遊感から意識が戻ってくる。


 女はフードを深くかぶっていたが、その正体がよく知る相手──櫛引クシナだと知っている俺からは素顔が見えている。


 目を向けると、クシナはローブの長い袖で口元から頬にかけてを隠した。


「ここへ来るまでの代償(アンブラ)の清算は終わったでしょ。もう万全なんだから、早く行きなさい」

「……りょうか〜い」


 まだふわふわした感じが残る頭で間延びした答えを返す。

 すると、なぜかクシナは「もうっ」と言って、こちらに指を突きつけた。


「か、帰ってきたら、また、その……だ、抱きしめてあげるから、がんばりなさい……」

「────」


 耳まで真っ赤にして目を逸らす幼馴染に、どきっと鼓動が高鳴る。


「わ、わかった……っ」


 なんだか勘違いされている気がしたが、訂正できるほどの余裕もない。

 慌てて頷いて、(きびす)を返す。


「いってきます!」


 言い残して、飛び出す直前。


「うん。……いってらっしゃい」


 少し照れくさそうな、そんな台詞が耳に届いた。





「──来たね」


 少し前に〈剛鬼(ゴウキ)〉が暴れたという交差点。

 そこからまっすぐに伸びた国道のど真ん中に、俺は構えていた。


 そこへ、一人の天翼の守護者(エクスシア)がやってくる。

 ……彼女の担当する区画からは二つ三つ離れているはずなのだが、たまたまだろうか?


 まあ彼女の天稟(ルクス)を考えれば、現場に急行する速さがピカイチなのは納得できる。


 素直に幸運だった、と思っておこう。

 俺はこうして“推し”を間近で見るためにここにいるのだから。


「今日こそあなたを、捕まえてみせます」


 登場するなり拳撃を見舞ってきた彼女の──【循守の白天秤(プリム・リーブラ)】の若きエース、傍陽ヒナタの視線がまっすぐにこちらを射抜く。


「………っ」



 ───くうっ、今日も推しがかっこいいいっ! そしてかわいいいいいいっ!! カッコイイだけでも神なのに、カワイイまで付いてくるとか正気ですか? ヒナタちゃんマジ二相女神っ!



 今日も今日とて推しの尊さを噛み締める。

 そしてフード越しに、彼女の姿を目に焼き付けようと……、


「…………ん?」


 ふと違和感を覚える。

 その正体にはすぐに気づいた。

 彼女の隊服だ。


 ボトムスが、スカートに変わっている。


 たしかに本来、『わたゆめ』のヒナタちゃんの隊服はスカートだった。

 しかし最近起こった”とある事故”以降、ショートパンツに変更したはずだったのだが……。


「行きますよ──ッ」


 関係ないことに心を奪われていると、ヒナタちゃんが地を蹴った。


 相変わらずの速さ。

 けれど、俺の目にははっきりと()えていた。


 ヒナタちゃんが繰り出すは、鉄籠手(ガントレット)による横殴り(フック)

 その初動と同時に腰を落とし、かいくぐるようにして回避する。


 息もつかせず、彼女の脚が鞭のようにしなった。

 鉄脚甲(グリーヴ)に包まれた脚撃がこちらの頭を狙ってくる。


 鉄籠手(ガントレット)と同じで、あれ越しであれば『接触』の対象にはならない。

 その鉄脚甲(グリーヴ)が手に触れた瞬間、《分離》を発動。


 エネルギーが消失したその一撃を受け止める。

 そうして、はっきりと目に映してしまった。



 ───高く上がった脚の、その付け根までを。



「!?!?!?!???」



 俺は考えた。


 ──やっぱり、分からなかった。



 なんでスカートに変えたのおおおおおおおおおっっっ!?!?!?



 凝視なんてするわけにいかない。

 俺は受け止めた体勢のまま。

 外眼筋をフル稼働させ、目だけを横へ向ける。


「…………お、女の子が足癖の悪いことをすべきじゃないと思うなあ」


 かろうじて、震えそうな声音で軽口を言う。

 しかしヒナタちゃんは、まるで俺が目を逸らしたのが視えているかのように(・・・・・・・・・・)余裕ありげに微笑んだ。


「普段は両手しか使いませんよ。──あなただけ、です」

「い、意味が分からないんだけど」

「両手だけじゃ足りないほどの強敵だっていう意味ですよぉ……?」


 くすくす、と笑顔を綻ばせる可憐な少女。


「まあ、そもそも普段はスカートじゃないんですけどね」

「なおさらなんでっ!?!?」

「動きやすいから、とかですかねぇ〜、ふふふ」


 俺には何故か、彼女の頭部に二本のちっちゃいツノが生えて見えた。


 くっ、家じゃなきゃ落ち着くと思ったのに……。

『お兄さんとヒナタちゃん』よりむしろ、『〈乖離(カイリ)〉と傍陽隊員』の方がやばい!?


 (おのの)く俺の腕に、ぎしっと力がかけられた。

 しまった、戦闘中だった、と我に返った時にはもう遅い。


「ハァ──ッ」


 俺が受け止めていた足に再び力が込められ、身体が押された。


 バランスを崩し、たたらを踏んだ瞬間。

 肉薄したヒナタちゃんの掌底が、俺の胸を打つ。


 想像よりも痛みはない。

 けれど《加速》まで乗せられたそれによって、俺の身体は衝撃で吹き飛ばされた。


 狙いすましたかのように、俺は路地裏に転がされる。


「くっ、──うっ」


 着地で《分離》し、身を(ひるがえ)して跳ね起きる。


 しかし。

 その時にはすでにヒナタちゃんは手が届くほどの距離にいた。


 ──まずい、やられるっ!


 身構え、咄嗟に腕でガードしようとして。


 するり、と。


 その腕が絡め取られた。


「…………え?」


 俺の手首を掴む感触は、硬質な鉄籠手(ガントレット)だ。


 けれど、それよりも上。

 俺の上腕あたりまでを、ヒナタちゃんがぎゅうっと抱え込んでいる。


 まるで、デートの時に恋人同士がいちゃついているかのように。

 彼女の柔らかな身体が、触れていた(・・・・・)



「えへへ、捕まえちゃいました……♡」



 にっこりと、(とろ)けそうな笑みをヒナタちゃんが浮かべる。


 その姿を見下ろしながら、俺の胸中からはじわじわと波が迫ってきていた。

 一度(かせ)を解かれた『接触』という名の衝動が。



「捕まえちゃダメぇぇぇえええええええっっっ!!!」



 絶叫しながら、意識が代償(アンブラ)へと飲み込まれていく。


「きゃあ♪」


 小柄な推しの身体を抱き寄せながら、心に浮かぶのは『いってらっしゃい』とはにかむ幼馴染の笑顔。


 ──ごめん、クシナ。今日もなんの意味もなく、君を抱きしめることになりそうです。


 本日は晴天。青空は遠く澄み渡っていた。




第1章、これにて終幕です!


今までロクに小説を書いたことがない読み専人間だったため、投稿しはじめた時はこんなに多くの方に見ていただけるとは冗談抜きで微塵も思っていませんでした。

実際、書き始めた頃は、これだけ未回収の設定がある中、この第1章をもって完結とするつもりだったほどです。

これからも続けようと思わせてくれたのは皆さまの応援あってのことです、本当にありがとうございます。


フォロー・感想・レビューなどもいただけると、作者は飛び跳ねて喜びます!

面白いと思っていただけたら、是非よろしくお願いしますm(_ _ )m


改めまして第1章、お付き合いいただき有難うございました!


P.S.

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→@kuchiba0112

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