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第28話 墜翼のシンビオーシス


 代償(アンブラ)の接触衝動が引いていく。


 波打ち際で二つの足跡が残るように。

 浮上した意識は俺と彼女、二人だけを認識する。


 砂浜に立つ自分の足が、流れる海水と砂に引きずられるように。

 唇に押し付けられた柔い感触が、深みへと俺を連れて行こうとする。


 そして、



「んんんんんんんんんっっっ!?!?!?」



 状況を理解した。

 嘘です全く理解できません。


 ああああああああああっ、お、推しと、キキキキキキスしてるっっっっ!?!?

 なんでっ!??!?


 ──分かんない! 覚えてない……っ!! ───え、覚えてない……?


 まさか……代償(アンブラ)ぁっ!?


 せ、『接触』の衝動に任せて、俺がヒナタちゃんに口付けをっ!?!?


 全くもって思考が纏まらない。

 纏まらないが、悠長に纏めてる場合でもないッ!


「んむ……っ、ぷは」

「ん、ヒ、ヒナタちゃん!」

「──……ぁ」


 急いで肩を掴んで引き離し、彼女の瞳に理性の光が宿ったのを見て、頭を下げる。


「ごめんなさいいいいいいいいいいっ!」

「………え?」


 とにかく謝るッ。

 謝り倒すッ。

 そのあとで腹を切るッッ!!


「ほんとにっ、ワザとじゃなくて!? 事故でっ。だから、ヒナタちゃん的にノーカンというかっ、まだファーストキスは残ってるっていうかっ!?」

「…………」


 熱に浮かされたように頬を染め上げていたヒナタちゃんが、ぱちぱちと瞬いた。

 それから状況を理解したように「ああ」と呟き───唇が、悪戯っぽく弧を描いた。



「事故で、奪っちゃったんですか? 女の子の、初めて」



「────」


 息が止まった。

 それどころか全身が硬まった。


 桃色の瞳は(うる)み、いつもより紫がかって怪しく光る。

 唇は艶めていて、吐息はひどく熱い。


 とんでもないほどの妖艶さを含んだ表情だった。


「あ……いや……」

「ふふ、悪い人ですね?」

「…………」

「ああ、そういえば(わたし)の敵でしたもんね」


 …………待って、なんか違くない?

 俺の知ってる可愛いヒナタちゃんじゃなくない……?


 甘い微笑みに、がつんっと頭の中を直接ぶん殴られたかのような衝撃に襲われる。

 その衝撃と言ったら、〈剛鬼(ゴウキ)〉の一撃なんか目じゃないくらいで……──。


「なんだテメエら、イカれたのか?」


 うるさいわっ、イカれ野郎のくせにっ!。

 そのイカれ野郎は、俺たちまで数歩の場所にいた。


 距離の近さから考えて、代償(アンブラ)による意識の空白は10秒にも満たないであろう。


 けれど、支払いはとっくに終わっていた。

 いつもなら絶対に間に合わないはずのタイミングだったのにも関わらずだ。


「気分も悪ィし、とっとと終わらせてやるよ」


 剛腕が持ち上げられ、振り下ろされる。

 反射的に、天稟(ルクス)を使おうとして、


「────」


 それよりも早く、加速の天使が動いた。

 両手で俺を掴んだ彼女が一瞬で後退したのだ。

 人の身に余る速業に、唖然とする。


「《加速》!? ヒ……キミっ、代償(アンブラ)は!?」


 俺を支えるように膝で立つ彼女を、振り向いて見上げる。

 するとヒナタちゃんは、まるでフードに隠されているこちらの驚愕の表情が見えているかのように笑った。


「わたし、今すごく満たされている(・・・・・・・)んです」


 こちらを覗き込むように、やけに幸せそうな笑顔を向けられて押し黙る。


 色々と起こりすぎてちょっとキャパオーバー気味なのかもしれない。

 彼女も俺も。


剛鬼(ゴウキ)〉が苛立たしげに歯を剥く。


「どういうことだァ……? なんで代償(アンブラ)がなくなってやがる」


 その苛立ちは鬱陶しさゆえのものではなく、敗北への焦りからであるのは明白だった。


 俺たちは、二人揃って立ち上がると、


「〈乖離(カイリ)さん(・・)、もう一度頼んでいいですか」

「……ああ。こちらこそ」

「攻撃は任せてください。今度こそ、全力で(・・・)やります」


 彼女はざっと地面を蹴って、飛び出した。


「「───っ!?」」


 俺と〈剛鬼(ゴウキ)〉の驚きが重なる。

 彼女の速度は先ほどまでの比ではなかった。


《加速》の天稟(ルクス)は「早くなる」だけじゃない。

 予備動作なしでトップスピードまで「加速度を操る」ことも当然できる。


 後先など考えずに振り切ればの話だが、彼女はそれを躊躇わない。


 ──まるで、着地のことを考えていないかのように。

 ──まるで、自分の身体を信頼する誰かに預け切るように。


「…………っ」


剛鬼(ゴウキ)〉には突如目の前に彼女が現れたように見えていただろう。


 それを、俺の眼は正確に捉えていた。


 鉄籠手(ガントレット)の右フックがクリーンヒットし、《分離》。

 防御不能の一撃が〈剛鬼〉の体内で弾け、巨体は軽々とかっ飛ばされる。


 ──天使の攻勢は終わらない。


 ヒナタちゃんは、さらに《加速》してそれを追う。

 水切りの石のように跳ね飛ぶ〈剛鬼〉の正面に回り込むと、


「────ッ」


 渾身の正拳突きを見舞った。

 再び激突の瞬間に《分離》。


剛鬼(ゴウキ)〉にかかるエネルギーが無となるが、間髪入れずにそれ以上の衝撃に襲われ、吹き飛ぶ。


 ──天使の《加速》は天井知らずに昇っていく。


 それに比例して威力も増していく。


 今の時点で、ヒナタちゃんの速度は確実に弾丸を上回っていた。

 けれど、まだ上がる。


 一瞬で元に位置に戻って、〈剛鬼〉を蹴り上げる。

 それも当然《分離》し、──直後にもう一度《分離》。

 対象は、地面と天使(ヒナタちゃん)


 俺が跳躍するのと同じ要領で。

 けれど彼女は俺と比べ物にならないほど速く、高く、跳び上がる。


「ぐ、がは……っ」

「これで──」


 血を吐きながら宙を舞う〈剛鬼〉に追いつき、上下反転。


「終わりですッ!!」


 惚れ惚れするようなオーバーヘッドキックをぶちかました。


 最後の一撃を《分離》した瞬間。

 これまでで最大の代償(アンブラ)に襲われる。


 ──それはまるで、星が堕ちるように。


 (まり)のように蹴飛ばされた〈剛鬼〉は、俺の眼でも追えぬ速度でかき消えた。

 そして、先ほどと同じビルへと墜落し───轟音。


 地を揺るがすほどの力でもって、


「………………まじで?」


 そのビルが、ず、ず、ず、と鈍い音を立てて、中間層から傾いた。

 その勢いのまま、信じがたい破砕音を立てて潰れるように崩落していく。


「──受け止めてください!」

「…………っ」


 呆然としていた俺は、頭上から聞こえた声に反射的に体を動かしてしまう。

 堕ちてきた天使を、《分離》してキャッチ────あ。


「ああっ!? しま……っ!?」

「きゃあ♪」


 代償(アンブラ)の支払いで頭がいっぱいになっていく俺を置いて。

 心なし楽しげな悲鳴が、腕の中で上がった。


 ──その直後。


「「わあああああああああ!?!?」」


 崩落で舞い上がる砂埃に俺たちは巻き込まれた。

 ……そりゃそうだよね!




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




 「────」


 暗転していた意識が戻る。

 開いた目に映るのは澄んだ蒼天(そうてん)だった。


 どれほどか分からないが気を失っていたのだと理解する。

 同時に、自分が見逃されたということも。


 痛みにあちこちを蝕まれながら──雨剣ルイは身を起こした。


 意識を失う直前までの記憶を思い出しても、自分の身に何が起こったのか──〈刹那(セツナ)〉が何をしたのか、その一端すらも理解できなかった。


 何が起こったか理解できない、という台詞はこの天稟(ルクス)社会ではよく聞くものだ。

 大抵の場合それは、想像を超えた事態を前にして、脳が理解を拒んだ末の台詞にすぎない。


 しかし、アレは絶対に違う。


 理解とか理屈とか、そういったものでは追いつけない。


 事実、ルイは知覚すらできなかった。


(あの女の天稟(ルクス)はどこまで……いや、まさか──)


 と、思考の海に沈みこむ直前。

 突如、大地を揺るがすような轟音が周囲に響いた。


(───っ、誰かが戦っている?)


 ルイは音の出どころを探ろうと空中へと舞い上がり──目を疑った。


 さっきまでは確かにあったはずのビルが一つ消えている。

 代わりに土埃が、立ち上っていた。


「誰があれを……敵……?」


 直に手隙の天翼の守護者(エクスシア)が集まってくるだろう。

 そう思いながらも、その場に急行する。


 やがて砂の煙が晴れていき、ルイの目に二人分の人影が写る。


「っ! ヒナ……と、──あの男ッ!」


 二人の距離は近い。

 ヒナタがイブキに何かを言ったのが見えた。


 ──その表情には、一切の嫌悪がない。


 正体不明の嫌な予感が背筋に走る。


 考えるよりも先に、自身の出せる最速で降下。

 二人の中間点に長剣を垂直に突き立てた。


「うおあっ!?」

「きゃ……!」


 二人が弾かれたように距離を取る。

 ルイはヒナタの傍に着地すると、血相を変えて尋ねる。


「ヒナ! 怪我は!? あの男──〈乖離(カイリ)〉に何かされてない!?」


 ヒナタを背に庇い、ローブ姿のイブキを睨みつける。


「おおお俺は何もししし、してない!?」

「よし分かった殺すッ!」


 声を裏返らせるイブキに一斉に(きっさき)を向ける。


「ル、ルイちゃん……」


 背後のヒナタが困ったような声を上げ──次の瞬間、ころっと空気を変えた。



「えへへ、ルイちゃん! 会いたかった!」



「──ふぁあ!?」


 背後から、凄まじく柔らかい感触。

 自分の両脇から、親友の両手がお腹へと回されていた。


 抱きつかれている。

 ヒナに。

 いつも自分からこんなことしてくれないのに!


「ちょ、ちょっと待って、ヒナ。とてもかなりすごく嬉しいのだけれど、い、今は……っ!」

「どうして……?」


 純粋で、ただ疑問が発露しただけのような物言い。

 けれど、ルイは自分が尋問を受けているような気さえした。


「いやだって、敵が! 生かしてはおけないカス野郎が目の前に!」

「敵……もういないよ?」

「え……? ──なっ!?」


 意識を戻せば、既にそこには誰もいなくなっていた。

 忌々しい彼岸花の黒ローブ姿がない。


「に、逃がしたっ! ヒナっ、なんで!?」

「えぇ? だって、ルイちゃんが来てくれて嬉しかったんだもん……っ」

「ふぁああ!?」


 ──なにか……なにか違う……! ヒナが、すごく甘い(・・)……!


 ルイは仇敵のことすら頭から追いやった。

 というかキャパシティ的に追い出すしかなかった。


「な、な、な……ヒナ、アナタなにか──」


「えへ、大好きだよ? ルイちゃん」


「ふぁあああああっ!」


 ──親友(ヒナ)が尊すぎて死んじゃう! 誰か助けてっ!!


 ルイの心の叫びは、幸か不幸か誰にも届くことはなかった。



「…………ふふっ♪」




 すっかり悪い子(o´艸`)

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