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第26話 正義と悪


 《分離》によって慣性を失い、踏みとどまれずに吹き飛んだ〈剛鬼(ゴウキ)〉を見て、俺は思う。


 ──今まで躊躇(ためら)ってたのが馬鹿らしいな。


 この世界に来てから今まで、一度として誰かに手を挙げたことがなかった。


 それを自慢にしていたわけでもなんでもない。

 単に余所者(よそもの)の自分がこの世界の誰かに危害を加えて良いはずがないと思っていた。

 意外とそうでもない、らしい。


 まあ、どちらにせよ推しに手とか上げられないし。

 そういう意味じゃ、ルイが追ってこなかったのはラッキーだった。

 さすがにマンホールの中は嫌だったと見える。


「……オイオイオイ、どういう風の吹き回しだァ? 〈乖離(カイリ)〉ィ」


 〈剛鬼(ゴウキ)〉が壁を背に立ち上がる。

 結構渾身の一撃だったんだけどピンピンしてやがりますね、はい。


「オマエは正義の敵(こっち)側だろうがよ」

「そうだね」

「なら、なんで邪魔しやがった」

「正義の敵だからこそ、かな」

「あァ?」


 首を傾げて当然。

 普通に考えて辻褄が合わない言い草だ。

 でも、それで合っている。


「うちにいるのなんて、どいつもこいつも無法者ばかりだろう。組織の方針と関係なく暴れ回るキミみたいにね」


 俺は指宿イブキにして〈乖離(カイリ)〉。

 周りに従わない、悪の組織(無法者)の一員だ。



「そんな、推し(正義)の敵になったので、ね。無法者らしく、やりたいようにやらせてもらうよ」



 ちら、とヒナタちゃんを見る。

 彼女は突如現れた敵の行動に戸惑っているようだった。


 俺と〈剛鬼(ゴウキ)〉、どちらに警戒を割くべきか判断できずに落ち着きなく視線を交互させている。


「なあ、キミ」

「……なんですか?」

「俺と協力しない?」

「……協力? 何が目的ですか?」


 訝しげに俺を見るヒナタちゃん。

 あっれー、こんなに警戒されようなことしたかしら?

 ……してたね、めっちゃ。


 ここで「キミの助けになりたいからさ!」なんて言っても、どの口が言うかと白い目で見られるだけだ。

 しょうがない、手頃な言い訳を使おう。


「あそこの〈剛鬼(ゴウキ)〉。俺の上司にとって邪魔な存在なんだ」

「上司……〈刹那(セツナ)〉ですか」

「ふふ、どうだろうね」

「……なるほど」


 そうだ、とは言ってない。

 意味深に笑っただけです。


 上司なんていっぱいいるし、別に誰とは言ってないし?

 ……だから許してクシナ、俺のせいじゃない。


 ヒナタちゃんは、理解はしたようだったが信用はできず迷っているようだ。


 正直に言って、俺一人では〈剛鬼(ゴウキ)〉は絶対に倒せない。

 俺の心持ちが変わろうと、俺の天稟(ルクス)が強くなったわけじゃないのだ。


 さっき蹴り飛ばせたのはあくまで〈剛鬼(ゴウキ)〉の意識がヒナタちゃんだけに絞られていたから。

 素人の俺じゃ正面から攻撃を当てることすらできないだろう。


 ……まあ、そもそも素手で殴ったりしたら『接触』の判定に引っかかって男二人が抱き合う地獄絵図がこの世に顕現するんですけどね。

 なんだこの天稟(ルクス)死ぬほど使い勝手悪いな(n回目)。


「キミは俺を信用できないだろうけど、俺がキミを助けたことには変わりない。その点だけでも、いま背中を任せる理由にならない?」

「………」


 ヒナタちゃんは気持ちの折り合いをつけるように一度瞑目し、


「わかりました」


 ゆっくりと目を開く。


「どのみち、わたし一人じゃ勝てませんからね。……ただ、あなたがわたしにしたこと、忘れませんから」

「あはは……──それじゃ、即席のペアってことでよろしく」

「調子に乗らないでください。わたしの相棒(パートナー)は一人だけです」


 こちらを睨みながらも、ヒナタちゃんは俺の隣に並んだ。


「──ああ、そうそう」


 俺は肩を竦めて〈剛鬼(ゴウキ)〉を見る。


「前回の勧誘の答えだけど───お断りするよ」

「そうか、じゃあ───死ねッ!」


 戦いの火蓋が、再び切られた。




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




 俺たち3人(・・)に残された時間はそう長くない。


 ヒナタちゃんも〈剛鬼(ゴウキ)〉も、様子を見るに代償(アンブラ)はギリギリのところまで迫っている。


 俺も例外ではない。

《分離》の際、打ち消すエネルギーが大きければ大きいほど代償(アンブラ)の接触衝動も大きくなる。


 ただでさえ天稟(ルクス)を多用している現状。

 身体強化型の〈剛鬼(ゴウキ)〉の攻撃なんぞ何度も分離しようものなら、あっという間に限界が来るだろう。


 持って、二、三発。

 それで勝負が決まる。


「傍陽隊員」

「………。なんでしょう」

「詳しく説明する時間がない。──思いっきり〈剛鬼(ゴウキ)〉を殴れ」

「思いきり?」

「そ。何も考えずに全力で殴れば、さっきの俺みたいに攻撃を通せる」


 詳しく語らずとも、こちらの天稟(ルクス)だろうことは伝わるはず。

 ヒナタちゃんが内容を咀嚼(そしゃく)し、返事をする前に、


「ちなみに俺は後方支援型なんで前衛はよろしく!」

「え、──えっ!?」


 向かってくる〈剛鬼(ゴウキ)〉を見て、すっと後ろに下がる。

 独り残されて慌てるヒナタちゃんに内心で謝った。


 できれば前に立って守りたいところだけど、無理なものは無理。

 俺がやられたら共倒れだからね。


「お前からくたばれ、羽虫ィ!」

「く……っ!」


 ヒナタちゃん目掛けて〈剛鬼(ゴウキ)〉の一撃が迫る。

 彼女は横っ飛びに、それを避ける。

 しかし強烈な飢餓感のせいだろう、動きは精彩(せいさい)を欠いていた。


 そこへ見舞われる次撃。

 避けきれないと悟った少女が少しでも防ごうと腕を交差して、


 ──【接触】〈剛鬼(ゴウキ)〉およびヒナタ【分離対象】〈剛鬼(ゴウキ)


剛鬼(ゴウキ)〉の拳が、運動エネルギーを失う。


「────」


 小数点1秒にも満たない攻撃の不発。

 されど思わぬ不発に両者の意識には、確かに空白が生じる。


 より早く状況を解したのは───思考すら加速させているヒナタちゃん。


 疾風の如く身を(ひるがえ)すと、巨体の懐に潜り込む。


「はあああああッ!!」


 地を踏みしめた足から起こるエネルギーは、脚から腰へ。

 背を駆け上がり、腕を伝う。

 全身の捻りによって増幅され───その流れすらも加速。

 全てを込めた拳が思い切り(・・・・)振り抜かれた。


 天秤の意匠が施された鉄籠手(ガントレット)が、正義の裁きとなって敵に衝突する。

 その瞬間。


 ──【接触】〈剛鬼(ゴウキ)〉およびヒナタ【分離対象】〈剛鬼(ゴウキ)


 防御というのは抗うことだ。

 地に足をつき、全身を持ち堪えることから始まる。


 ──その流れを、根本から断ち切る。


 その場に留まろうとする慣性すらも無に帰して。


 ──これが答えだ、クシナ。


 彼女に課された問いを思い返す。


 ──『貴方の課題、それは攻撃手段が皆無なことよ』


 今の俺に武器はない。

 けれど、誰かの武器を研ぎ澄ますものにならば、なれる。


 推しの敵になったけど、それでも彼女達の背を押せる自分であれたなら──。


「いけ、傍陽ヒナタ……ッ!」


 ──ヒナタちゃんの能力は《加速》。


 それに伴う反動を打ち消す効果はなく、ただ加速度を操るのみ。

 全力を出せば反動によって彼女自身の腕が壊れてしまう。

 ゆえに彼女は普段、天稟(ルクス)の加減をしている。


 その反動を()くしてしまえば、どうなるか。

 加減など考えねば、どうなるか。


「ぐ、おァあああ……っ!?」


 自らを壊すほどの一撃が、ノーガードの〈剛鬼(ゴウキ)〉へと叩き込まれ、


「────」


 巨体が、視界から消えるほどの速さでかき消えた。

 少し離れた背後の雑居ビルへと吹き飛び、


「……え」


 破砕音。

 コンクリートの壁に風穴を開けて、〈剛鬼(ゴウキ)〉はその向こうへと消えた。


「ええええええっ!?」

「ぅわお……」


 ヒナタちゃんが自らの一撃の威力に驚き、俺も予想を超えたそれに唖然とする。


 あと二、三発は耐えられると思っていた代償(アンブラ)の衝動が一気に限界まで振り切れてしまった。


 おそらく完全に俺を信用していたわけじゃないだろう。

 多少の加減はまだ残っていたはずだ。

 それでもなお、主人公(ヒナタちゃん)の一撃はそれだけの破壊力を誇ったのである。


「…………」


 いくらかの時間が過ぎても〈剛鬼(ゴウキ)〉が姿を現す様子はない。

 痛いくらいの静寂の中で、ようやく肩の荷を下ろすと同時、


「くっ……」


 嵐のように襲いくる、代償(アンブラ)の接触衝動。

 近くにいるヒナタちゃんに抱きついてしまいそうな身体を、意地で抑え込む。


「あ……ぅぐ」


 驚きから覚め、ヒナタちゃんの身体もくず折れた。

 膝をついた彼女は全身を(さいな)む飢餓感に歯を食いしばっている。


 互いに満身創痍。

 人気(ひとけ)のない大通りで、祭りの飾りが寂しげに揺れている。

 静かな空気が、場を支配していた。


 共闘の後で(たた)えあう────そんな仲じゃない。


 正義の味方が立ち上がった。


「さあ……、こちらも、決着をつけ、ますよ……」


 身も心も飢えに(むしば)まれ、顔を歪めたまま。

 それでも彼女は、悪に対峙した。



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