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第23話 狩猟する指揮者


 一方その頃。


(うおおおおおお無理無理無理、逃げる! 逃げても死ぬ!)


 イブキは全速力で逃亡していた。


 動体視力の良さに飽かして人混みの間をすり抜けるように疾走する。

 頭上からは冷徹な声。


「──止まりなさい」

「止まったら殺されるのに止まる奴がいるか!」

「コロサナイワ」

「説得力!」


 実際、人混みの中にいるからこそイブキは殺されていない。

 天翼の守護者(エクスシア)であるルイは周りの人を傷つけないよう攻撃できず、追いかけるだけに留まっているのだ。


 それでもって、走るのをやめれば普通に捕まって終わる。

 体術も磨いている天秤(リーブラ)の隊員に、人畜無害な一般『悪の構成員』が勝てるわけがないのだ。


 けれど、その拮抗も長くは続かない。


「ねえ見て、天翼の守護者(エクスシア)が誰か追いかけてるよ」

「え、なに、犯罪者?」

「うーん、なんか男の人だったみたい」

「ていうか、あの天使、雨剣ルイ様っ!?」

「ルイ様、きれい……」


 それはそうだ。

 正義の味方が追いかけている相手なんて悪人に決まっている。


 しかも、よりにもよって追跡者は、そこにいるだけで人目を惹くルイ。

 逃げ続けるほどに、注目は高まる一方だった。

 その上、逃亡劇に巻き込まれまいと徐々に人垣も割れていく。


(いや、普通にまずいぞ。このまま走ってもいつか捕まるだけだし……)


 と、焦りを募らせたその時である。

 人垣が割れたことによって、目の前が開けた。


 そしてイブキの人並外れた眼は、豆粒ほどの大きさのそれ(・・)をはっきりと捉えてしまった。


「────」


 大通りの遥か先。

 交差点で、──見慣れた小柄な少女が、巨体の悪漢と対峙している様を。


「な……っ!?」


(なんで〈剛鬼〉がっ!? いや、そんなことより、ヒナタちゃん一人!? ……絶対に無理だ。勝てない……!)


 あんな男でも強さは折り紙付き。

 そのことは前回の襲撃で誰よりもよく分かっているはずなのに。


 ──それでも、戦うんだね、君は。


 ちらりと上空を滑るルイを見る。

 いくら彼女でも一キロほど先にいるヒナタちゃんを発見することはできなかったようだ。


(今、ルイは俺を追いかけてる。なら、このまま引きつけて、あそこに連れて行けば……)


 ショッピングモールでは一対一で戦わざるを得なかったヒナタちゃんだが、ルイと二人で協力すれば、今度はいい勝負になるかもしれないかもしれない。


 少なくとも希望はある。

 ならば、それに(すが)るしかない。


 ──所詮、傍観者でしかない俺にも、それくらいなら……。


 その思考の隙間に差し込まれるように、しゃらん、と鯉口を切る音が耳に届く。


 人垣が割れて逃亡先が一直線に絞られたからだろう。

 肩越しに、ルイが抜剣したのが見えた。

 構えられた剣は一本だが、それは背後からイブキを穿たんとしている。


「……っ、くそっ」


 このまま真っ直ぐ走り続けるのは不可能だ。

 それこそがルイの狙いだと分かっていても、イブキに残されたは選択肢は人通りの少ない道へと飛び込むことしかなかった。


 そうして決意する。

 どうにか攻撃から逃げ切りながら、ルイをヒナタの場所まで連れて行くことを。


(大丈夫。ヒナタちゃんからも逃げ切った。前回の戦いでもルイの攻撃を凌ぎ切った。俺なら、やれる……っ!)


 そして、二人が裏通りに出た、まさにその時。


「緊急通信……?」


 ルイが訝しげに耳に手をやった。

 イブキを追いながらも、その表情は険しさを増していく。


「そう、了解。──ワタシの目の前にも一人いるわ」

「………?」


 そうしてルイは通信を終える。

 何があったのかと伺うイブキを、冷たい視線が射抜いた。


「殺しはしない。けれど、大人しくなって(・・・)もらうわ」

「───っ」


 瞬間、一切のためらいなく片翼の天使が抜剣。

 4つの銀色の刀身が、空中に舞った。


 ──それからは、長くはなかった。


 迫り来る長剣を命からがら避けつつ走る、走る、走る。

 時おりフェイントをかけたり、方向転換をしたりしてみるが、ヒナタとは異なり宙を自在に翔けるルイには通用しない。


 距離を取ることもできず、攻撃も一層苛烈(かれつ)さを増していく。


 目で視えていても、身体が同じ速度で動けるわけじゃない。

 思うように回避できず、みるみるうちに身体は切り傷だらけとなり、ついに。


「がッ、……うっ」


 柄頭が背を穿ち、イブキは転がりながら壁へ激突した。


 ──前回はルイから逃げ切ったのだから今回もできる、そう思っていた。


 けれど、あれはあくまでもルイの攻撃を受け流すことに専念していたがゆえの戦果だった。

 それですらイブキは捕らえられる一歩手前までいっていたのだ。


 逃げ、誘導し、斬撃のことごとくを避け切る。

 どうしてそんな芸当ができようか。


 早い話が──自惚れだった。


 壁に頭部を強打し、朦朧(もうろう)とする意識の中、そんな後悔が浮かんだ。

 狩人は獲物を睥睨(へいげい)したまま宙に留まっている。

 一切の油断なく、彼女は口火を切った。


「この間はヒナがいたから手を出せなかった。けれど、今なら話は別」


 ヒュッ、という風切り音。

 霞む視界の焦点を合わせれば、目と鼻の先には銀の長剣が突きつけられていた。


「──さあ、アナタたち(・・・・・)の事を吐いてもらうわ」


 冷たい瞳が獲物を射抜いた。


「まず、この襲撃の目的は何?」

「しゅう、げき……?」


 ルイの言葉の意味を、イブキは理解できない。


「ええ。今この都市全域で起きている襲撃のことよ。襲撃犯は、【救世の契り(ネガ・メサイア)】の構成員多数。それも全て男の、ね」


 ──そんなことになっているのか……!


 驚愕と同時に焦りが心を苛む。

 主犯は先ほど目にした通り〈剛鬼(ゴウキ)〉だろう。

 イブキにとって問題なのは、彼が男性構成員の首魁(しゅかい)だということだった。


「俺は、関係ない」


 自分で言っていて信憑性がないと思う。


 襲撃の犯人達と同じ男。

 ましてイブキは、ショッピングモールでルイに対して悪ぶった態度を見せてしまっている。

 そうでなくとも「愛しのヒナ」をたぶらかしている(ように見える)男にルイは敵意を燃やしている。


 案の定、ルイは冷徹に切り捨てた。


「信じられると思うの?」

「俺は〈刹那(セツナ)〉の部下だ。〈剛鬼(ゴウキ)〉のじゃない」

「けれどアナタ、この前言ってたじゃない。勧誘の返答に来たって、笑顔でね」

「………っ」


 イブキは唇を噛んだ。

 前回の時間稼ぎが完全に裏目に出ている。


「自分の立場は理解できたかしら? なら──」


 静かにイブキを見下ろすルイ。

 その橙紅玉(カーネリアン)の瞳に困惑の色が宿った。


「……なに?」

「──向こう」


 壁にもたれる青年は、己の後ろを指さしていた。


「向こうで、ヒナタちゃんが〈剛鬼(ゴウキ)〉と戦ってるんだ……っ! だから、早く……っ!」


 必死の形相で、あたかも神に縋るように天使を見上げる。

 その願いは、


「アナタ──この後に及んでワタシを馬鹿にしているの?」


 無常にも一刀のもとに切り捨てられる。


「そんな子供騙しに引っかかるわけがないでしょう」


 当然だった。

 それでも縋るしかなかった。

 そして最後の望みは目の前で潰えた。


(くそ……ッ)


「もう、いいわ。一つだけ答えなさい」


 項垂れる彼に、片翼の天使は先ほどよりも冷めた声音で告げる。


「──アナタの目的は、なに?」


 なぜこの後に及んでそんなことを聞くのだろうか。

 胡乱げに視線を返すと、彼女は訥々(とつとつ)と語り始めた。


「アナタは正体を隠してヒナに近づき、あの子を何かに利用しようとしている。その過程でワタシに正体がバレてしまった。普通は、ワタシを消そうとするでしょう。でもアナタはショッピングモールで、絶好の機会にワタシを助けた」


 ルイの言う絶好の機会とは、彼女の背中に向けられたナイフを《分離》したことだろう。

 けれど彼女の言葉には感謝など微塵も乗せられていない。


「そして、ただただヒナを欺くに留めている。まるで、今の関係のどのピースも失いたくないみたいに。そんな回りくどい真似までして、アナタがヒナから得ようとしているものは、なに?」


 こちらを射抜く眼光はどこまでも凍てついたまま。

 敵対者であるという前提のもと、一見(・・)善行に見える行動の真意を知りたがっている。


「ひょっとして、あの子にはワタシが知らない、敵に狙われるような何かがあるの?」


 彼女の疑問は見当違いも(はなは)だしい。

 イブキにはそんな大層な理由はない。

 ただバレないように関係を続けたいだけ。

 ……いや、今はそれすらも分からないのだけれど。


「──あの時、ヒナを失うかもしれないと思った」


 ルイはふと目を伏せる。

 震えるような声音が、ぽつりと(こぼ)された。


 彼女の言う「あの時」とはショッピングモールでヒナタがピンチに陥った時のことだろう。


「もうヒナを、あんな目に遭わせたくないの」


 キッと顔を上げた彼女の表情には決意の炎が揺らめいている。


「ワタシはなにを引き換えにしようと親友を、ヒナのことを護ってみせる。そのために必要な情報があるなら、いまここで全てを吐かせる……ッ」


 それはヒナタの夢も目標も理解して、その上でなお彼女を護るという宣言だった。


 それを叩きつけられたイブキは──自分が情けなくて仕方なかった。


 ルイは、ヒナタの無二の親友はこんなにも、心の全てを砕いているというのに。


 自分には何もできはしない。

 だって、自分はこの世界の異物だ。

 舞台の上にすら立っていない、ただの観客だ。

 そんな自分に、


「さあ、答えなさい。アナタの目的はなんなの?」

「俺の、目的……」


 そんなもの、自分にあっただろうか。

 真っ直ぐにこちらを睨め付けている彼女に、誇れるほどの信念が。


 この世界の除け者である自分が、そんなものを持っていていいのだろうか。

 苦しげな鼓動が響く耳朶を、透明な声が打つ。



「アナタは、なにがしたいの?」



「───っ」


 思い起こされたのは、今の尋問とは似てもつかない優しげな声音。


 ──イブキくんは、なにがしたいの?


 いつかの幼馴染の問いかけだった。



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