第19話 コイツまたやってるよ
「ヒナタちゃん!? 怪我は大丈夫!? もう仕事の方はいいの?」
「は、はい……、すぐに治療してもらったので、怪我は大丈夫です。……えへへ、ありがとうございます」
俺の勢いに驚いていたヒナタちゃんは、そう言って照れくさそうに笑った。
「それと、仕事はもう引き継いできましたよ。……それより」
彼女はそこで一度言葉を切る。
曇ったままの表情に、良くない考えが頭を過ぎる。
……まさか〈
なにもヘマしてないし……でもあの後、やっぱりルイが教えた可能性も……。
けれど、続くヒナタちゃんの言葉は、
「今日は、申し訳ありませんでした。せっかくの一日だったのに……」
「い──いやいやいや」
予想外の台詞に、俺は慌てて否定する。
「ヒナタちゃんのせいじゃないでしょ?」
というか、だいたい俺のせいです。
「いえ……本当はお兄さんだけじゃありません。
「いや、だって──」
「でも──」
「──とりあえず上がっていったら? ヒナタ」
二人でワタワタしていると、背後から声が投げかけられた。
言うまでもなくクシナだ。
彼女の言葉で、玄関先で客人に対応している現状に思い至る。
「あ、ああ。そうだよヒナタちゃん。久しぶりに上がっていきなよ」
「夕飯もどう? おばさんにはあたしから言っておくけど」
「え? えーっと……そう、ですね。久しぶりに、一緒に食べたいです。お母さんにはわたしから言いますよ」
「そう。じゃ、いらっしゃい、ヒナタ」
あれよあれよという間に、ヒナタちゃんがうちで夕食をとる流れになる。
……おかしい、ここは俺の家のはずでは……?
いや、いいんだけどね?
推しとご飯とかいう、オタクにとってはご飯より美味しい状況だし?
「すごく、久しぶりです……」
ヒナタちゃんが変わった物のない玄関を物珍しそうに見回す。
「それに、匂いも変わってないです」
「ああ。人の家の匂いってなんか覚えてたりするよね。昔のこととかも思い出すし」
「プルースト効果ね。香りによって記憶が呼び起こされる現象。嗅覚って人の記憶と直結してるのよ」
「相変わらずクシナちゃんは博識です……」
「言うほどじゃないわ」
「言うほどだろ」
「……褒めたって夕食くらいしか出ないわよ」
「二人も相変わらずですね」
どこか影を残しながらも、朗らかに笑うヒナタちゃん。
その笑顔に、小さい頃のことを思い出す。
たった一年くらいだけど、こうして話した記憶は鮮明に、数えきれないほど残っていた。
「おじゃまします」
「いらっしゃい」
ヒナタちゃんは推しだけど、それだけじゃない。
クシナが幼馴染なら、彼女だって幼馴染だ。
──だからこそ、どうすれば良いのか分からないのかもしれない。
♦︎♢♦︎♢♦︎
夕食を一緒に摂るうちに、ヒナタちゃんはいつもの元気を──表面上は──取り戻しつつあった。
問題は、夕食後の歓談中に発生した。
「その『百年祭』って、いつやるの?」
先ほどから食卓を飛び交う「百年祭」という単語についての疑問だ。
それほど非常識な質問ではないはずだが、
「はあ?」
「ええ?」
彼女達からすれば、あり得ないものを見るような目を向けるほどに間抜けな質問だったらしい。
推しの怪訝そうな目つき助かる……。
そのジト目は俺から、横に座るクシナへと滑ってしまう。
残念……。
「……クシナちゃん」
「うっ」
「クシナちゃんが甘やかして、なんでも面倒見ちゃうからこうなるんですよ!」
「いや、あたしだってここまでとは……」
クシナが申し訳なさそうに縮こまる。
「今日も待ち合わせに、マスク一つせずに来たんですから」
「ご、ごめんなさい。ちゃんと躾けるから……」
「ペットかなんかの話してる?」
「「あなたの話よ(ですよ)」」
「にゃんだとぅ……」
解せぬ……。
ヒナタちゃんはひとしきり俺とクシナに口酸っぱく言った。
その後で、しょうがないですね、と言ってどこからともなく取り出した眼鏡をかけた。
「まず、百年、と聞いて思い出すものはなんですか?」
「いや、百年祭が何かは知って──」
「静かに、ですよ!」
「……はい」
どうやらヒナタちゃんは先生モードになってしまったらしい……。
かわいいからいいや。
「改めて。百年、と聞いて思い出すものはなんですか?」
「
「そう。要するに『人類
「ながい……」
「むっ」
「ごめんにゃさい……」
「よろしいです。それで、
問われて、なんか最近聞いたなぁ、と記憶を洗う。
「えーと、四月の後半、来週くらいって聞いたような」
「そう、来週ですよ」
「そっか、来週か──来週祭りやるの!?」
「本当に知らなかったんですね……」
「うん……」
推しからの視線が痛い……。
しかし、なるほど。
どうりで最近、街灯に『100』って書かれた旗が引っ付いていたわけだ。
80周年の時もやったのかもしれないが、その頃はまだ生まれてない。
90周年の時は”あの大事件”があったばかりで、祭りなんてムードじゃなかったからな……。
などと納得していると、ほら、これです、と言ってヒナタちゃんが見せてきたのは、スマホの画面。
多分、ホームページか何かを見せてくれたのだろうが、俺は、
「──うわあぁ!? 目が潰れるぅ!?」
「潰れませんよ!?」
ヒナタちゃんが呆れたように言う。
「お兄さんのスマホ嫌い、まだ続いてたんですね……」
「この歳でテレビもロクに見られないのよ」
「うわあ……」
呆れが“引き”に変わっている気がする。
……でも、その顔もかわいい。
「………。それで、その祭りの規模は?」
「一週間にわたって都全域で、としか言いようがありませんね」
「長いし広いなあ。でも、そうなると……」
脳裏に浮かぶは、今日の出来事。
こちらの
ヒナタちゃんは神妙に頷いた。
「そうですね。特定の区画を持たない支部含め全ての支部がフル稼働で厳戒態勢を敷くことになります」
「──でも、休みがないわけじゃないんでしょう?」
すっ、とクシナの声が割り込む。
「え? はい、そうですね。百年祭を楽しみたい隊員も多いですし、さすがに何日かは暇をもらえるはずですよ」
「そう。なら──二人で行ってくればいいじゃない。今日のリベンジ」
そう言われて、ヒナタちゃんはきょとんとした顔をする(かわいい)。
俺も似たような顔をしていることだろう(かわいくない)。
「なに鳩が豆鉄砲食らったような顔してるのよ、二人して」
「え、いや、でも……」
困ったように俺とクシナを見比べるヒナタちゃん。
俺も今までなら
そんな俺を見かねたように、クシナが俺にしか聞こえない程度の声量で囁く。
『貴方はヒナタを放っておいて平気なわけ?』
「────」
その言葉で、はっとする。
うちに来てから明るく振る舞っているヒナタちゃんだが、ふとした折に垣間見せる暗い表情には俺もクシナも気付いていた。
その影の原因が今日の事件であるのは想像にかたくない。
その上で、クシナは俺に問いかけているのだ。
──お前は落ち込んでいる妹分を放っておくのか、と。
まして、その悩みの大元はお前であるかもしれないのに。
……クシナの言うとおりだ。自分のことばかり考えている場合じゃない。
決意とともに笑顔で言う。
「──ヒナタちゃん、一緒に行こうか」
「ええっ!? く、クシナちゃんは行かないんですか……?」
「んー、あたしはそこらへん、ちょっと忙しくて」
「そう、ですか」
それは残念なお知らせだ。
本当ならヒナタちゃんと一緒になってクシナに理由を問いただしたいところだが、それが【
大人しく口を閉じておく。
が、大人しくしていられたのはそこまでだった。
「それじゃあ、二人で……いえ」
ヒナタちゃんは複雑そうな表情をして、
「今日のリベンジということですし、またルイちゃんも誘って──」
「──いや」
俺は反射的に口走っていた。
「──ヒナタちゃんと二人きりがいい」
「ふぇっ!?」
「二人きりで祭りを回りたいんだっ!」
「ふえぇっ!?!?」
だって───あの平然と人を殺そうとしてくるルイと一緒は流石に無理!
推しだけど!
命に関わるので無理です!
今度顔を合わせたらどんな目に合うか、想像するだに恐ろしい……。
「で、でもぉ……」
親友を除け者にするのは気がひけるのだろう。
友達想いの少女は頷きづらそうにしている。
俺は半ば必死になって身を乗り出し、
「ヒナタちゃん」
「ひゃ、はいぃ……!」
彼女の手を取った。
そして
「俺たちは長い付き合いだけど、離れていた時間も長かった。だからこそ、君と過ごせなかった時間を取り戻したいんだ」
「あ、ぅ……はいぃ……」
こくん、と赤らんだ顔で頷くヒナタちゃん。
──よしっ、これで死なずに済む!
思わず、満足げな笑顔が浮かんでしまう。
そんな俺の横で、
「コレ、どう収拾をつけるつもりなのかしら……?」
なぜか眉間に手をやったクシナが、ぼそりと呟いた。
シリアスくんの息の根が止まってる……。