幕間 少女の見た夢・下
それからは、間違いなくわたしの人生で最も騒がしい日々だった。
「ヒナタちゃん! 放課後だし、公園行かない?」
「…………」
「ヒナタちゃん! 昼休みだね、給食はおいしかった?」
「………まあ」
「ヒナタちゃん! 中休みだよ、遊びに行こう!」
「……はあ」
「ヒナタちゃん! 五分休みだけど、お話しよう!」
「…仕方ないですね」
「ヒナタちゃん、ヒナタちゃん!」
「はいはい、どうしたんですか?」
───間違いなく、一生色褪せない宝物になる日々だった。
毎日毎日、飽きもせずに彼は三つ下の学年の教室にやってきた。
小学生なんて単純なもので、わたしの心はとっくに陥落していた。
途中からは嫌そうなふりをしていただけだ。
最初の頃の嫌悪感なんてどこへやら、毎日学校に通うのが待ち遠しくて楽しみで仕方なくなっていた。
やがて一ヶ月が過ぎ、嫌々なフリすらも取り繕えないようになった頃。
わたしの周りは『トモダチ』でいっぱいになっていた。
小学生なんて単純なもの。
それはわたしだけじゃない。
人気者である彼が毎日毎日わたしのために通い詰めるものだから、周りのみんなはすっかりわたしまで人気者であるかのように扱った。
ひねた癖してやっぱり子供だったわたしはすっかり舞い上がっていたように思う。
ある日の帰り道で、彼にこう言ったのだ。
「もう学年で友達じゃない子なんて一人だけです! その子以外、みーんな友達なんですから!」
「そっか、じゃあ──」
そうして返す彼の言葉で、
「──いま『トモダチ』じゃない一人とだけ、本当の『友達』になるといいよ」
「……え?」
固まってしまった。
その内容もそうだし、その声音があまりにも優しく、大人びたものだったから。
「周りの装飾品がどうだなんて気にしない、本当の君だけを見てくれるその子と『友達』になりたくない?」
今にして振り返っても、どう考えても小学6年生の台詞じゃない。
その時のわたしも、その本当の意味までは分からなかった。
──けれど。
「…………」
この人は、わたしよりもわたしのためを思ってくれているんだ、と。
それが分かったから、わたしは彼の言葉にゆっくりと頷いた。
♦︎♢♦︎♢♦︎
「──と、ともだちに、なってくれませんか……?」
あの人にトモダチ沢山!と自慢げにしていたのはなんだったのだろう。
二年間、ろくに友達作りなんてしていなかったわたしは情けなくも及び腰だった。
そんな態度が原因か知らないが、相手の女の子は冷たくわたしを見遣った。
「くだらない」
その子はいつも独りでいる子だった。
でも、わたしと違っていじめられているわけじゃない。
むしろ恐ろしく魅力的な容姿で学校中から一目置かれていた。
独りぼっちなのではなく、一匹狼。
彼女は選んでその立場にいる子だった。
「オトモダチを作って、スタンプラリーでもしてるつもり?」
彼女はわたしの言葉をバッサリと斬り捨てた。
でも、あの人と約束したから。
「本当の友達を……っ」
「────」
「本当の友達を作るといいって、言われたの……」
「……なにそれ。人に言われたの」
恥ずかしくて下を向きそうになる。
でも、わたしにはお兄さんの言葉の意味が分からないから、せめて相手には正直に伝えたかった。
しばしの沈黙の後、
「……いいわ」
何が琴線に触れたのか、彼女は振り向いた。
「なりましょうか、『友達』」
あの時、彼女が何を考えてそう言ったのか、わたしは今でも分からない。
でも、それからずっと、彼女はわたしの
♦︎♢♦︎♢♦︎
約一年の時が流れ、六年生だった彼の卒業が近づいてきた頃。
わたしはずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「お兄さんの
「そうだよ。正直あんまし使えないけどね……」
「おや。わたしへの嫌味です?」
「いやいやいやいや、全然全くこれっぽっちも!」
「ふふ、冗談ですよ。それでですね、
あまり褒められたことではないけど、好奇心に負けたわたしは聞いてみることにした。
「んー……ごめん。恥ずかしいから、内緒」
「む。まあ、仕方ないですね」
一年も一緒にいるのに教えてもらえないのは少しだけさみしいと思ったが、無理強いはできない。
気になったという以上の理由もないし、わたしは大人しく身を引いた。
「それじゃあ、代わりに一つ。お兄さん、今年でいなくなっちゃうじゃないですか」
「うん……──やっぱ留年したくなってきたな、三年くらい」
「何言ってるんですか」
嬉しい……じゃなくて。
こほん、と咳払いひとつ。
彼のおかげでいじめはなくなっていたけど、卒業してしまえば少しずつ元に戻っていくだろう。
それでも、わたしの隣に親友がいてくれる限り、わたしは笑って学校生活を送れる。
だからこそ、今の状況を作ってくれたお兄さんに聞いてみたい。
「もしあの時、わたしに本当の『友達』ができなかったとしたら、卒業した後お兄さんはどうしたんですか?」
自惚れじゃないと思う。
この人は、きっとわたしのために何かしてくれる。
……いや、わたしだけじゃないかも。
困っている人なら助けてしまう、しょうがない人なのだ。
卒業した後でもこの人ならなんとかしてくれるんじゃないか、なんて思ってしまう。
そんな無茶苦茶な期待に対する彼の返答は、予想とは異なるものだった。
「ヒナタちゃん、いま九歳だよね」
「? はい」
「来年になったら十歳だね。だから大丈夫!」
「……はい?」
そのあと問い詰めても、お兄さんはそれ以上答えなかった。
そして彼が卒業し、そろそろ虐めでも始まるかな、と思っていた頃。
信じられないことが起きる。
来たる四月の誕生日。わたしは
遅れて
しばらくはテレビの取材とか研究所のどうたらとかで、ひどく目まぐるしい日々を過ごした。
そんな中でも、わたしの頭の中を占めるのは、あの人のことだった。
知っていたわけがない。
そう分かっているのに、大丈夫と笑う彼の顔が忘れられない。
まるで、そこにいるだけで安心してしまう、ヒーローのように。
七歳のあの日まで、自分を助けてくれた
だけど十歳のわたしには、もう一人の憧れができた。
──あんな風に、誰かを助けたいと思った。
だから、理由はちょっと変わったけれど。
それでもわたしは、再び夢を追いかけ始めた。
♦︎♢♦︎♢♦︎
以前は安堵の対象だった三歳という年の差は、いつからか天の川のごとく思えるようになっていた。
せめてあと一歳上なら、あと一ヶ月早く生まれてきたなら。
彼と一緒の制服で学校に通えたかもしれないのに。
そんな風にまで思っていながら、わたしの気持ちはあくまで「憧れ」だった。
そう、絶対に「恋」なんかじゃない。
だって、彼には隣に立つ人がいたから。
今のわたしにとっても彼女──クシナちゃんは本当の姉妹のように大切な人だ。
お兄さんとクシナちゃんって、ほら。
この人たちもう付き合ってるでしょ、とか、もう結婚すればいいのに、みたいなこと平然とやるし。
そもそも、なんか知らないけど、ほぼ同棲してるし。
……わたしの感覚がおかしいんじゃないよね?
ともあれ、憧れの人と大切な姉がこのまま幸せになればいいなー、なんて。
最近のわたしは二人の後ろで腕を組んでうんうん頷いている。気持ち的に。
──だから、クシナちゃん譲りのこのお洒落に深い意味なんてない。
──あんなに浮き立っていた心だって、ショッピングなんだから普通でしょ?
──それを台無しにされて……。
「……別に怒っていませんけど」
わたしは、天秤と翼が象られた腕章を腕につける。
それは、非番の隊員が有事の際に、隊服なしに
裏表、向きまで確認してから、ゆっくりと顔を上げる。
「人の楽しみを壊した責任、取ってもらいますよ」