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幕間 少女の見た夢・上


 あれは、わたし──傍陽(そえひ)ヒナタが五歳の時のことだった。


 とある天稟(ルクス)事件に巻き込まれたわたしは、一人の天翼の守護者(エクスシア)によって命を救われた。


 ──よくがんばりましたね。


 鉄の仮面で(かお)の上半分を隠した彼女の微笑を、わたしは今でも忘れない。

 その日、わたしの夢は天翼の守護者(エクスシア)になった。


 熱心にそう語るわたしに、お母さんは複雑そうな表情を浮かべていたっけ。

 きっと娘のことが心配だったのだろう。

 それでも否定することなく応援してくれて、わたしはすっかり、そのつもりになっていた。


 ──けれど、七歳になった日。


 わたしに天稟(ルクス)は、与えられなかった。


 ほぼ全ての女性は、七歳の誕生日に天稟(ルクス)を授かる。

 天啓、というらしい。

 誕生日の正午になると頭の中に鐘の音が鳴り響き、その祝福とともに自分の天稟(ルクス)代償(アンブラ)を知るのだとか。


 クリスマス・イブの夜なんて目じゃないくらい楽しみにしていたわたしの心は、その日の日付変更線が過ぎてしまった瞬間、どん底に落とされた。


 ううん。どっちかというと、何が起こったか理解ができなかった。

 何も起きてなんていないのにね、なんて。


 ひょっとして今日は誕生日じゃないのかな、とか。

 神様が何かを間違えちゃったのかな、とか。


 そんなことを考えるわたしをおいて、正午を過ぎたあたりから両親の顔色がどんどんと悪くなっていったことを、今でも鮮明に思い出せる。


 天稟(ルクス)が与えられない女の子なんて、今の時代ではほとんどいない。

 一万人に一人とか、そういうレベルの話だ。


 夜が明けても、わたしは自分がそうだとは信じられなかった。

 夢を閉ざされたのだと、正しく認識したのは何日後のことだっただろう。


 部屋で独り、こっそりと泣いているお母さんを見てしまった時。

 わたしは自分の夢が、目指すよりも前に終わってしまったことを知った。


 そして、それと同じくらいわたしを苦しめたのは、周囲からの排斥だった。


 それまでの友達は一気にわたしから離れていった。

 知りもしない違うクラスの子に「あの子には関わるな」と広められていて悲しくなった。


 けれど、この周囲の反応も仕方のないものなのだ。

 天稟(ルクス)を授からなかったというのには、「単純に特別な力を貰えなかった」以上の意味があったから。


 かなり噛み砕いて説明すると、こんな感じだ。


 ──百年前に世界初の天稟(ルクス)が確認されるより、さらに数十年ほど前のこと。


 現在のトルコ共和国に位置する教会にて、一つの石碑が発見された。

 日本語で表すならば、その石碑にはこう書かれていたという。


瑕疵(かし)なき真人(しんじん)生まれ落つ(とき)()の者に人智(じんち)及ばぬ天稟(てんぴん)を授く】


 要するに「完璧な人間が生まれたら、その人には異能力が目覚める」という意味。


 それは神からの預言であるとされ、──事実、その数十年後に人類は天稟(ルクス)を手に入れることとなる。


 ゆえに現代では、天稟(ルクス)を持っていないということは「神様が“完璧でない”という烙印を押した」と同義だった。

 天稟(ルクス)に目覚めにくい男性の社会的立場が低いのも、これが大きく関係している。


 そういうわけで、女でありながら天稟(ルクス)を授けられなかったわたしは周囲の人から敬遠された。

 そんな状況が二年以上続き、日に日に暗くなっていくわたしを見かねたお母さんの提案で引っ越しと転校が決まった。


 そしてそこで──わたしは、あのひとに出会ったのだ。




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




「先日、お隣に引っ越してきた傍陽(そえひ)です。よろしくお願いします……って、あら?」


 ご近所さんに挨拶するからとお母さんについていった先。

 隣の日本家屋の玄関から出てきたのは、まだ幼い男の子だった。

 と言っても、わたしよりはいくつか上に見えたけど。


「あ、ご丁寧にありがとうございます。指宿(いぶすき)と申します」

「あらあら、男の子なのに立派なのねぇ……!」


 お母さんはまだ幼い少年が出てきたことに驚いていたが、彼の歳に似合わぬ大人びた物腰にさらに驚きを重ねたようだった。


「──ん? そえひ……傍えるに、陽……?」

「まあ! よく分かったわね。そうなの、珍しい名前でしょう?」

「え、ええ、そうですね」


 なにやらぎこちなく頷く彼の目が、お母さんの後ろからひょっこり顔を出すわたしに向けられた。


「──ゑっっっ!!??」

「……っ」


 急に叫び声を上げられて身をすくませる。

 そんなわたしを、お母さんは思い出したように前に押し出した。


「そうそう、娘のヒナタです。歳も近いと思うから、よろしくね?」

「はい……。えぇーっと、その、指宿イブキだよ、よろしく、お願いします?」


 彼の台詞がなぜか疑問系だったのは覚えているが、その後どうなったかは曖昧だ。


 ただ、家に帰ってもお母さんが「まだ小さいのにちゃんと受け答えできて偉かったわねえ」としきりに彼を褒めるので、なんだか面白くない気持ちになったのだけは覚えている。


 そして、それは学校に行ってからさらなる驚きに上書きされることになった。




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




「わ! ほら、イブキくんだよ!」

「あ、ほんとだ〜!」


 転校から一週間。

 クラスの子のこうした反応はすでに幾度となく耳にした。


 あの日、わたしの前で名乗った彼はどうやら学校の(特に女子からの)人気者だったらしい。


 その理由が、天稟(ルクス)

 男性がそれを授かる確率は、およそ一万人に一人。

 そう、女性でそれを授からない確率と同じだった。


 ──馬鹿にしているのかと思った。


 あの人に悪いことなんてない。

 そんなことは百も承知だ。

 ただもう、うんざりだったのだ。

 天稟(ルクス)がどうこうと周りで騒ぎ立てられるのは。


 最初に挨拶をしてからは、あの人とは一度も話していない。

 積極的に話したいと思ったことも一度もなかった。


 もともと家が隣同士というくらいしか接点なんてない関係だ。

 その上、学年はわたしが三年生で彼が六年生と離れていた。

 三歳差という遠い距離に安堵すらしていたように思う。


 だって、話したって惨めになるだけだ。


 片や、天稟(ルクス)を持っている男というだけで、人気者の彼。

 片や、天稟(ルクス)に恵まれない女というだけで、除け者のわたし


 分かりきっていたことだけど、転校なんてしてもわたしの立場が変わることはない。


 天稟(ルクス)が使えるかどうかなんて、左手の甲に印があるかどうかを見れば一目瞭然なんだから。

 転校から一週間も経つ頃には、


「はあ……」


 和気藹々(わきあいあい)としたクラスで独り、陰鬱に自分のロッカーと向かい合う。

 いよいよ本格化してきたな、とわたしは他人事のように達観していた。


 前の時間は体育の授業。

 不用意にも私服を置きっぱなしにしていたのが仇となり、わたしの私服は泥まみれにされていた。


 どうせ先生に言っても相手にされないだろう。

 この程度なら慣れているし、問題はない。


 ……ただ、家に帰ってお母さんを泣かせてしまうのだけが憂鬱だった。


 けれど、逆らえるだけの力なんて、わたしは“授かって”ない。

 だから黙ってそれを着て、放課後になれば粛々と下校し──、


「──ヒナタちゃん……?」


 あの人に、出くわしてしまった。

 通学路の途中にある公園の前で、ひょっこり出てきた彼とわたしは鉢合わせした。


「……どうも、お兄さん(・・・・)


 綺麗な服で、整った顔で、明るい性格で、人気者で、天稟(ルクス)があって、──わたしと真逆。


 そんな人が目の前にいて、気分は最悪。

 自己紹介はされたけど、名前なんて呼んでやるつもりはなかった。

 だからあえて「お兄さん」なんて他人行儀な呼び方をした。


 今にして思えば、なんとさもしい八つ当たりだろうか。

 2年も人と違った環境にいたわたしは、この頃ずいぶんと捻くれていた。


「ど、どうしたの? 転んじゃったの?」


 わたしの刺々しい態度に気づいていないのか、彼はこちらの格好だけに注目していた。

 あまりにも平和な発想に、鼻で笑ってしまいそうになる。


 こんなお花畑みたいな人に本当のことを話して下手な心配や慰めを受けたくない。

 そう思ったわたしは、


「そうなんですよ! ちょっとそこで転んじゃって〜」


 にこぉ〜っと笑って、嘘をついた。

 明るく振る舞っているうちに、とっとと何処かへ行ってしまえばいい。


 そんなわたしを、彼はじっと見つめる。

 そのあとで──わたしの手を握った。


「へ……え!? ちょっと、お、男の子が、そんな……!」

「いいからいいから」


 生まれてこの方、父親以外の男性に触れられたことのないわたしは頭の中が真っ白になる。

 そんなわたしに構わず、へらへらと笑う彼は公園の中にわたしを引っ張っていった。


 そして砂場の前まで来ると、わたしの手を離し──、


「おりゃああああ──!」



 彼は一人、地面の上で転がりまわった。



「は……?」


 土の上でじたばたとしたわけだから、それはもうひどい有様だ。

 呆然とするわたしに「ほら、家隣なんだし一緒に帰ろ」と言って、彼は再び手を引いた。


 なにがしたいのか、したかったのか、さっぱり分からない。


 もはや考えるのも馬鹿らしくなったわたしは、彼のなすがまま消極的に引っ張られていく。

 はっとした時には家に着いていて、彼は迷わずチャイムを押していた。


「あっ、ちょっ……」


 鍵あるのに、とか、まだ言い訳が、とか慌てるわたしをよそにドアが開く。

 顔を覗かせたお母さんは、泥だらけのわたしを見て驚いたようだった。


「…………っ」


 唇を噛むわたしの横で、彼は、



「──ごめんなさい!」



 お母さんに向けて、頭を下げた。


「ヒナタちゃんと遊んでて、泥だらけになっちゃいました!」

「──……っ」


 わたしは驚いて、ただただ目を(みは)る。


 ──泥で汚れているのは、わたしだけじゃなかった。


 わたし同様びっくりしていたお母さんは、すぐに満面の笑みになる。


「あらあら、いいのよ、それくらい……! 今お風呂沸かしてくるから、すこし待っててね」


 お母さんはそう言って上機嫌に彼を招き入れ、


「ほら、行こ、ヒナタちゃん」


 その人はまたしても、わたしの手を引いた。



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