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第10話 私怨と紫煙


 目の前で腕を振るったままのルイの目が見開かれる。

 その視線は完全にイブキのものと交わっていた。

 しばしの沈黙の後、ルイの表情が───嫌悪感に染まった。


「……へえ。その顔(・・・)で散々、女の子をたぶらかしてきた、と」

「は……?」


 明らかに先ほどまでより怒気を増す天使に、イブキは困惑する。

 そんな困惑顔を無視してルイは言葉を続け、


「──ヒナまで」

「してない!」


 流石のイブキも、この(いわ)れなき中傷には黙っていられない。


「一切! してない!」

「黙りなさい、犯罪者」

「…………」


 流石のイブキも、この(いわ)れしかない犯罪者呼びには黙るしかない。


「どうせ普段からその顔で女を泣かせてきたんでしょう」

「いや、なんの話してるの!?」

「ワタシのヒナに抱きついて逃げ延びようとしたのが、そのいい証拠じゃない」

「いや、あれは事故で──」

「黙りなさい、犯罪者」

「…………」

「ともかく」


 彼女は今一度、腕を振り上げた。

 イブキは慌ててその場を飛び退き、フードを被り直す。

 少し前まで立っていた場所に四振りの長剣が交差した。


「あっぶな……!」

「チッ、殺し損ねた」

「わあ物騒」

「どちらにせよアナタは確実に吊し上げ散らかすわ」

「わあ痛そう」

「…………」


 こちらの軽口を無視しヒリついた空気を発し続ける天使に、イブキの緊張も高まっていく。

 緊張の糸が限界を迎え、再び戦闘の火蓋が切られようかという、まさにその時。


「──っ!? はやすぎる……っ」


 ルイが驚愕の表情とともに片耳に手をやった。

 尋常ならざる様子に、イヤーカフ型通信機を通して緊急の連絡が入ったのだと察する。


 このタイミングでそれが入ったならば、その内容は……。


「……絶対に、殺すから」


 こちらに捨て台詞を吐いて、ルイは外へと飛び出した。

 やはり通信内容は外の戦況か。


「助かった……。いや、俺もはやく行かないと……っ」




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




 ルイを追って飛び出すと、真っ先に目に入ったのは何人もの天翼の守護者(エクスシア)だった。


 自分が戦っている間にこんなに援軍が来たのかと焦るイブキの目に、天高く飛び上がったまま地上の一点を警戒するルイの姿が映る。


 彼女が見据えるは包囲の中央。

 当然そこには、あの場にひとり残された幼馴染がいるはずで。


「クシナ……っ。──……?」


 幸いにも彼女は未だ無傷で佇んでいた。

 しかし、すぐに疑問符を浮かべる。


 周りを取り囲む天翼の守護者(エクスシア)には見えないだろうが、クシナの表情を認識できるイブキにははっきりと見えていた。

 彼女の……なんというか、すごーくイヤそうな顔が。


 そして、気付く。

 幼馴染の安否に気を取られすぎて見えていなかった、その隣に並ぶ妙齢の女の存在に。


 まず目につくのは、肩に羽織った美しい朱色の着物。

 そこには金の糸で狐の刺繍が施されていた。

 赤い着物がよく映える黄金(こがね)色の長髪は、頭の後ろで雑に一括りにされている。


「あの人は……」


 よくよく見れば、立ち並ぶ天翼の守護者(エクスシア)たちは皆、クシナよりも彼女に警戒を向けていた。

 その一挙手一投足を見逃すまいという気概が、はっきりと感じ取れる。


「ふぅ……──あのさァ」


 そんな緊迫した戦場で、着物の女は呑気に煙管(キセル)を吹かしてから口火を切った。


「──〈刹那(セツナ)〉テメェ、急に車停めんじゃねぇよ。舌噛みそうになったじゃねェか!」

「は? 噛み切らなかったの? それは失敗だったわ」

「あァ? 喧嘩売ってんのかテメェ」


 いきなり煽り合いを始める二人。


 そのやりとりだけでイブキはクシナの表情の意味を悟った。

 そういえば昨日も嫌そうな顔していたな、と。


 相性が悪そうな二人の喧騒に触発されたのか、状況が動き出す。


「───ッ」


 息を殺していた天翼の守護者(エクスシア)の中で、宙空のルイが誰よりも早く行動した。


 腕を振るい、長剣のうち一振りが着物の女性を襲撃する。

 そのまま、朱色の和服姿が刺し貫かれる──ことはなく。


 まるで雲霞を殴ったかのように、長剣は彼女の身体を通り抜けた。

 瞬きの間もなく、クシナの近くに立っていたはずの女性の姿が掻き消える。


「──おいおい、喧嘩っ早い女は嫌われるぜ? ふわふわちゃん」


 いつのまにか、彼女は護送車の上で胡座をかいて座っていた。

 ルイが片目を眇める。


「《幻影》の天稟(ルクス)……幹部〈紫煙(シエン)〉、噂に違わず厄介ね」

「どうも」


 幹部〈紫煙(シエン)〉は戯けたように肩を竦めた。


 ──その時、少し離れて立っていたクシナが僅かに顔をこちらへ向ける。


 ローブ越しに目があった彼女は、すっと瞼を閉じた。

 その行為の理由は分からない。

 けれどイブキは、クシナに習って瞑目した。




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




「包囲を崩すな! ヤツを逃さぬことを第一に考えろ!」


 その指示に従って、天空を駆ける天使、雨剣(うつるぎ)ルイも意識を向ける。

 この時にはルイの頭から、イブキのことはほとんどが抜け落ちていた。


 あの男に対する私怨(しえん)は当然消えていない。

 しかし、それ以上に。

 新たに戦場に加わった──解き放たれてしまった女に対する警戒が勝った。


 彼女の厄介さは、以前から散々聞かされている。

 【救世の契り(ネガ・メサイア)】幹部【六使徒】、第四席〈紫煙(シエン)〉。

 本名、化野(あだしの)ミオン。


 実に三度もの捕縛によって、幹部の中でも珍しく彼女の実名は知られていた。

 三度の捕縛、そして──三度の脱獄によって。


 幾度となく天使をおちょくってきた天稟(ルクス)の正体が《幻影》だと判明してなお、彼女の厄介さは変わらない。

 むしろその情報すらもブラフにする言動によって、その厄介さは増したと言っていい。


 言わずもがな、その場の誰もが〈紫煙(シエン)〉への警戒の視線を切らさなかった。


「────」


 そんな中で、上空にいたルイだからこそ、いち早く気付けた。

 いつの間にか、膝丈までの高さの白霧が辺りに立ち込めていることに。


「足元……! 霧が───」


 急いで仲間に警告を促す──が、それは遅すぎた。


「うわっ」

「きゃっ」


 地面を這っていた白霧は一気に辺りを覆い、たちまち周囲に濃霧が立ち込める。


「くっ、見えない……っ」

「慌てるなっ、あくまで幻影だ!」


 そう、幻影だ。

 だが、幻影だろうと見えないものは見えないのである。


 天使達は仲間を攻撃しないよう手を出せず、対象を逃さぬために足を出すこともできずに焦燥だけを募らせていく。


「やられたわ……」


 仲間と同じように濃霧に視界を遮られながらも、独り空にいるルイは平静を失わずに済んでいる。

 しかし、その脳裏には『任務失敗』の四文字がありありと浮かんでいた。




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




 ──そうして右往左往する天使達を、イブキははっきりと(・・・・・)目にしていた。


 その瞳には濃霧など一握も写っていない。


「目を閉じたから……?」


 直前の動作から考えるなら、それしか考えられないが……。


 思考に沈みそうになったところで、ルイの操る長剣がごんっと相変わらずの鈍い音を立てて地に落ちた。

 視認できず意識から完全に外れたため、コントロールできなくなったのであろう。


 顔を上げれば、崩れた包囲網の中から、二人の幹部が肩を並べて悠々と歩いてくる。

 彼女らにとって周りの天翼の守護者(エクスシア)は気を割くに値しないらしい。

 それを見るイブキは、


(オレ)は売られた喧嘩は買うって決めてんだよなァ?」

「私は恩を売っているのよ、どこぞの捕まっていた間抜けにね。助けてもらったらお礼をするって知らないのかしら? 社会不適合者」

「お礼参りならしてやるよォ……!」


(この人たち、本当に幹部で大丈夫なんだろうか……)


 どうにも全幅の信頼を置けずに微妙な気持ちになった。



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