第76話 フルオロレンゲドウ塩
『これが美味なのはいつものことだが……大仕事の後の食事は、やはり格別なものがあるな』
『それな〜』
筋斗雲での移動中、俺が2匹にビーストチップスを渡すと……2匹とも、心なしかいつもより勢いよく平らげていった。
……そろそろ、到着か。
俺は赤い湖──いつも月に行くのに土台として利用していた湖──を視界の端に捉え、そう思った。
ここが今回の目的地。
この湖の液体こそが、フルオロレンゲドウ酸有効利用の鍵になるのではないかと、俺は思っているのだ。
この湖の液体は、強アルカリ性を示す。
もちろんいくら強いとは言っても、1対1でフルオロレンゲドウ酸を中和できるほどではないが……湖の液体はフルオロレンゲドウ酸に比べれば膨大にあることだし、上手く混合比を調整してやれば中性にしてやることができるはずだ。
この湖はもともと生物が住めるような環境ではないので、アルカリの中和による生態系破壊などは気にする必要が無い。
というかそもそも、そんな環境だからこそ俺は、この湖を凍らせて土台として使用していたんだしな。
そういった意味でも、この湖は利用するのに都合が良いというものだ。
『ベルゼブブ。今から俺は、この湖の液体とフルオロレンゲドウ酸を中和させようと思うのだが……混合液の液性の測定を、手伝ってもらえないか?』
湖の上空に到達したところで、筋斗雲を減速させながらベルゼブブにそう頼む。
すると……
『お安い御用。ンなモン、見てりゃ簡単に分かるぜ』
どうやらベルゼブブにとっては、この頼みは朝飯前な内容だったようだ。
『んじゃあ、始めるか。コーカサス、こんな結界張ってもらえるか?』
収納魔法から筆記用具を取り出し、三角フラスコと漏斗を描きながらそう頼む。
するとコーカサスが空中に巨大な結界製三角フラスコと漏斗を出現させてくれたので、俺は三角フラスコの容積の半分くらいを湖の液体で満たした。
そして漏斗を三角フラスコに重ね、漏斗の上にドラゴンの死体を置く。
神通力を最大出力で流し、ルナメタル製の剣で破れかけているところを突いてやると、そこからフルオロレンゲドウ酸が流れ出した。
10秒ほどすると、フルオロレンゲドウ酸に直接触れる漏斗型の結界の方が破れそうになったので、一旦ドラゴンの死体を収納魔法に戻し、コーカサスに新しい漏斗型結界を張ってもらう。
そんなことを何回か繰り返していると、ベルゼブブが『そこまで』と合図してきたので……俺はそこで中和作業を中断することにした。
『pHなんぼくらいだ?』
『ん〜、1.5くらい』
かなり大雑把な中和のさせ方なので、ちょうど中性にはなってないだろうと思ってそう聞いてみたが……やはり、かなり酸性に偏っているな。
まあフルオロレンゲドウ酸を中和に用いてpH1以上になってる時点で、かなり上出来と言えるのだが。
あとはここに湖の液体を追加していくことで、pHが7に近づくよう調整しよう。
そうして、微調整作業を続けること約10分。
俺たちはついに、pH7の液体──暫定的に、フルオロレンゲドウ塩とでも呼ぶか──を得ることができた。
その一部を瓶に取り分け、残りを収納魔法にしまう。
そしてコーカサスに『もう結界解除して大丈夫だ』と伝えたのち……ベルゼブブに瓶を渡し、こう聞いてみた。
『この液体、何か薬品を作るのに使えそうか?』
すると……ベルゼブブは、『うーん』と唸りだした。
『アイディアは無くはねえんだけどよお……ちょっと理論構築ガチるからちょっと待っててくれ……』
……アイディア、あるのか。
フルオロレンゲドウ塩なんて前代未聞の薬品なわけだし、俺にはその扱いなどさっぱり分からないといったところだったのだが……やはりベルゼブブは一味違うな。
ここに来て正解だったというものだ。
今日は特に他にやることがあるわけでもないし、ベルゼブブの考えがまとまるまでのんびり待つか。
そう思い、俺は筋斗雲の上に移動すると、収納魔法から学食を取り出して遅めの朝食をとることにした。
食べ終わると、朱雀を討伐するまでダンジョン内で忙しくしていた日々を思い出しつつ、筋斗雲の上に寝転がる。
空を見上げつつ、久々の暇な時間を堪能していると……ベルゼブブが『これ、いけるぜ!』と、興奮気味に念話で伝えてきた。
『何ができそうなんだ?』
『それなんだけどさー。ちょっと……あのすんげー伸びる棒、貸してくんね?』
あのすんげー伸びる棒……如意棒のことか。
俺は収納魔法から如意棒を取り出し、ベルゼブブに渡した。
すると……ベルゼブブは、如意棒にフルオロレンゲドウ塩を塗り始めた。
どうやら、ムラがないように丁寧に薄く塗り伸ばしていっている様子。
しばらくして、如意棒全体に塗り終えると……ベルゼブブは如意棒に向かって、変わった波長の魔力を放った。
それにより、如意棒が怪しく光る。
如意棒の発光が収まると、ベルゼブブは再び如意棒にフルオロレンゲドウ塩を塗り始めた。
そうして、そんな作業を繰り返すこと数回。
『できたぜ』
一見なんの変化もしていない如意棒を、ベルゼブブは返してきた。
『これ……何が変化したんだ?』
『伸び縮みするスピードがちょっと上がってるぜ』
『ちょっとって、具体的にどれくらいだ?』
『ま、ザッと8倍くらいかな』
8倍……ん、待てよ?
それって……月までの往復を1日でできるようになったってことか?