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第3話 生活魔法で驚かれた

男は丁寧にプリンゼルを地面に降ろした。


俺はプリンゼルの首元に指を当てる。

……脈はない、か。

予想通りのことが起きているみたいだな。


とにかく、一刻を争う事態だ。

プリンゼルのしゃくり上げるような呼吸──死戦期呼吸(しせんきこきゅう)とも言う──はだんだんと酷くなっているし、耳たぶや指先の青みも酷くなってきている。


症例は、心不全だと断定していいだろう。

恐怖が原因での心不全など、滅多に起こるものではないが……ぬるま湯のような人生を送ってきた者が初めて味わう恐怖が『恐怖の経典』ともなれば、そのレベルでの神経伝達物質の暴走が起きても不思議ではない。


まずは、心臓マッサージ……といきたいところだが、あいにく訓練をしていない8歳児の体重と腕力では、心不全に有効な圧迫を与えることはできない。


ちょっとイレギュラーな手順になるが、最初からあの魔法でいくか。

そう決めて、俺は詠唱を開始した。


「我が魔力より生まれしクーロン力よ……汝の心の臓の細動を正さん!」


そう唱え、俺は両手をプリンゼルの左胸に押し当てた。

直後、プリンゼルの胸囲に高い電圧がかかり、プリンゼルはビクンと跳ね上がった。


俺が使ったのは、「心拍再始動魔法」。

除細動と、心臓マッサージと同様の効果を持つ周期的な電気信号を流す工程が1セットになった、医療用の生活魔法である。


あくまでも治癒魔法ではなく生活魔法なので、8歳児のテイマーにも難なく発動できたのだ。


「ハッ…………フー、フー」


プリンゼルも死戦期呼吸は落ち着いたようで、今は静かに息を立てている。

1回で十分に効かなかったら、こちらが先に魔力切れになる心配もあったが……杞憂だったみたいだな。


ともあれ、これで彼も快方へ向かうだろう。


「これで大丈夫みたいです。引き続き、領主様の屋敷に向かいましょう」


俺は男にそう言った。

が……返事はない。


不思議に思って男の方を振り向くと、男は目を丸くして突っ立っていた。


「て、て、て、テイマーが治癒魔法を使った──!?」


男は恐る恐るプリンゼルに近づいて、その安らかな表情をまじまじと見つめだした。


「いや、今のは治癒魔法ではありませんよ。れっきとした医療用の生活魔法です」


「死にゆく者を助ける生活魔法なんて、聞いたことないんだが……」

男は尚も困惑した表情を浮かべた。


おかしいな。

除細動魔法なんて、子ども安全教室で習う程度の内容のはずなんだが。


……いや待てよ?

そう言えば、転生後の記憶には子ども安全教室に通った記憶が無いぞ?


最初は、この男に義務教育が敗北したのかと思ったが……もしかしたら、教育が相当行き届いてない地域に転生してしまったのかもしれないな。


「しかしお前、何だあれは、詠唱魔法か? 誰も知らない生活魔法を知っている割には、随分と遅れた魔法行使の方法を取るんだな……」


「威力がでか過ぎると却って悪影響を及ぼすような魔法は、威力が魔法操作の熟達度に拠らない詠唱魔法の方が向いていると思いますが」


「……なるほど! そんな考え方もあるのか。その歳でその発想力……天才どころの話じゃないな」


男はそう言って、しきりに頷いた。


……この常識すらも浸透してないのか。

「歴戦の大英雄が子どもの手当てをしようとしたら、まかり間違って五臓六腑全部焼いてしまいました」では話にならないことくらい、すぐ思いつきそうなもんなのだが。


「……とりあえず、領主様の元へ急ごう。お前の様子を見てると、次々と領主様に話したいことが増えていってしまうからな」

男はそう急かしてきた。


とりあえず一大事は解決したとはいえ、『恐怖の経典』で弱った者たちを早く休ませる必要があるのに変わりはない。

男が再び2人を抱えて歩き出したのを見て、俺ももう1人に肩を貸し、歩き始めた。




領主の屋敷に着くと、男が領主様に事情を話し、3人を屋敷の一室へと運んだ。


その後、俺、男、領主様の3人で、応接間で話をすることになった。


「今回はウチの息子を救ってくれて、本当にありがとう。キミが猪八戒を討伐したってのは本当かい?」


領主様はそう聞いてきた。


領主・カルメル様は、息子・プリンゼルとは違い性格も温厚で、テイマーを差別したりはしない聡明なお方だ。


「はい、カルメル様。猪八戒と言っても幼体だったため、僕でも対処できました」


「幼体と言っても相手は猪八戒、理由になってない気もするが……とにかく、助かったよ。それとあと、キミは聞いたこともない魔術でウチの息子を蘇生してくれたんだって? 一体それは、どんな魔術なんだい?」


「蘇生ではないですよ。ただ、心臓の痙攣(けいれん)を正常化するだけの生活魔法です」


「本人はこう、何でもないことみたいに言ってますが……ヴァリウス君の才能は正直、精鋭学院首席合格レベルだと思います。カルメル様はどう思います?」


俺とカルメル様の会話に、男はそう言って入ってきた。

精鋭学院……なんかすげえ仰々しい名前が出てきたな。


「私もそう思うよ……。アルケス君がテイマーでさえなければ、確実に推薦状を書くところなんだがね。……いや、それともこの子を機にテイマーの地位向上を図るか?」


領主様は頭を悩ませ始めた。


……あれ、妙だな。

なんか、テイマーだと学院への入学が難しい、みたいな話になってないか?

プリンゼルならともかく、領主のカルメル様はそんな事言わない方だと思っていたんだが。


ちょっと聞いてみるか。


「テイマーだと、何か問題があるのでしょうか?」


「私はそうは思わないんだがね……世の中の風潮は、違うんだよ。はっきり言って、テイマーは不遇だ。もしキミを推薦したら、私までもが嘲笑の対象になるくらいにはね」


「そうなんですか?」


……どうやら、今俺がいる世の中は想定の数倍おかしなことになってるみたいだな。

そう思っていると、今度は冒険者の男がこんなことを言い出した。


「そう言えばお前、猪八戒を倒せる武器が手元にあるとか言ってたな。その話、詳しく聞かせてもらえないか?」


俺は、心の中で舌打ちをした。

……その話題、掘り返すのかよ。


「それもそうだな。私もその話は聞きたいところだ」


カルメル様まで話題に加わっては、誤魔化すのも得策ではなくなってきたか。

そう思った俺は、仕方なく正直に話すことにした。


「……如意棒を使って倒しました」


「「……如意棒?」」


「はい。……期待していただいていたところ、ただ単に強力な武器を使ったって話ですみません」


一応、そう謝ってみた。

だが、2人から帰ってきた反応は想像とはちょっと違っていた。


「ほら、聞いたことない武器ですよね」


「そうだな。猪八戒を倒したという実績がなければ、武器だとも気づかないような名前……ますます訳が分からなくなってきたな」


……この反応も、やっぱり変だな。

そんなに知名度の低い武器ではないはずなんだが。


「あ、でもこれ、普段から使っている訳ではないですよ? あくまで護身用として持っているだけで……」


一応、そう繕ってみる。

親が甘やかすタイプと思われてはアレだからな。まあ俺の場合は実力で(前世の自分が)手に入れたのだが、そんなこと領主様たちが知る由もないし。


「……何故だ? そんな強力な武器なら、どんどん使ってどんどん強い魔物を倒して行けばいいじゃないか。……まあ、まかり間違って命を落としては本末転倒だが」


「カルメル様の言う通りだ。せっかく、テイマーでも他の職業に遅れを取らないくらい戦える武器を持っているんだろう? 安全には配慮するにしても、どんどん使うべきだ」


「……そういうもんなんですか? まあ、遠慮なく使っていいならどんどん使いますけど……」


杞憂だった。

依然として、テイマーの扱いには釈然としない部分があるが……ドロップ品を遠慮なく使っていいってのは、ありがたい話だな。


……この調子なら、筋斗雲も常用して大丈夫な気もしてきたぞ。


「それじゃあ、今休ませている3人はお任せして、僕はここでおいとましてもよろしいでしょうか?」


これ以上長居する理由も特にないので、俺はここらへんで家に帰ることに決めた。


「ああ、そうだな。もうちょっと話を聞きたい気もするが、キミも疲れてるだろう。今日はお帰り」


そう言われ、屋敷の外に出ると、2人も見送りに出てきてくれた。


「ではまた!」


俺は収納魔法から筋斗雲を取り出し、乗って空を飛び始めた。




◇ ◇ ◇[side:領主たち]




「……は? 空を飛んで帰った?」


「見たこともない魔道具……いや、魔道具かどうかさえ分からない代物に乗って行きましたね。あんなの、伝説でさえ聞いたことがありません」


「また1つ、ヴァリウス君の謎な一面を見てしまったな」


「そうですね」


「これは……職業適性にとらわれず、彼を精鋭学院に推薦することを本気で検討した方がいいかもしれないな」

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