第2話 妖豚を退治した
収納魔法から
……よくよく考えたら、俺がこの中で最も戦力にならないと思われるのも仕方ないよな。
テイマーは最強の職業だが、それは従魔ありきでの話。
8歳の今の俺には、テイムした魔物は一体もいない。
従魔がいないならば、当然そこから得られる成長値の分け前も無いから、その時点でのテイマーは確かに最弱なのだ。
「テイマーには従魔がいる」というのがあまりにも当然すぎる前提だったので、つい思考から抜けてしまっていたな。
うん、そうに決まってる。
領主の息子は、「(従魔も持たぬ8歳の)テイマーなど役立たず」ってニュアンスで言ったに違いない。
一般的に、テイマーに価値がないという意味で言ったなんて……ないない。
そう合点がいったところで、俺は如意棒を構えた。
いずれにしても、俺には如意棒があるのでやはりここでは最高戦力だし、ちょっとでも他の人に戦闘を任せたら死人が出かねない状況なのだ。
普段なら子どもとはいえ貴族の言い分を無視するのは良くないことだが、背に腹はかえられないので戦わせてもらうぞ。
──そう、思った矢先。
「……やばい!」
猪八戒が何もない空間から一冊の本を取り出したのを見て、俺は如意棒の先端を咄嗟に地面に突き立てた。
そして如意棒にしがみつき、思いっきり伸びるよう念じて、俺は一気に上空まで移動した。
直後、猪八戒が持っていた本は禍々しい光を発し、全方位に気味の悪いオーラを放った。
猪八戒が得意とする威嚇技、『恐怖の経典』だ。
『恐怖の経典』は威嚇以上の効果を持たず、直接的なダメージこそ0である代わりに発動までの時間がとんでもなく短い。
だから、先に倒してしまうことは叶わず、一旦上空への避難を余儀なくされたのだ。
かなりの高度に達していて、効果範囲からはかなり外れているというのに、背筋が凍るように感じてしまう。
あれをまともに受けていたら……恐怖のあまり全身が硬直してしまい、如意棒を振るうこともできないまま餌食にされてしまっただろうな。
収納魔法から筋斗雲を出して、飛び乗った。
今の俺の身体強度でこの高さから落下したら、骨折は免れられないからな。
それに、猪八戒を狙い撃ちするのだって上空からの方がやりやすい。
一旦如意棒を元の長さに戻し、猪八戒を観察した。
猪八戒はといえば『恐怖の経典』を受けて倒れ伏した者たちには目もくれず、まっすぐこちらだけを見据えて来ている。
そしてその目には、「獲物は一人たりとも逃がさない」とでも訴えているかのような目力があった。
俺は猪八戒に如意棒の先端を向け、その頭部に狙いを定めた。
猪八戒は現在、呪文を唱えつつ、掌の上に魔力を集めている。
まさか如意棒の伸縮がこちらの攻撃手段だとは露ほども思っていないからか、防御は考えず攻撃態勢にのみ集中しているようだ。
(──伸びろ)
俺はそう念じた。
次の瞬間──超高速の如意棒が持つ運動エネルギーをもろに受けた猪八戒の頭部は、潰れたトマトのように跡形もなくなった。
同時に、中途半端に集められていた魔力の塊は明後日の方向に飛んでいく。
魔力や身体能力が大幅に強化された感じがあったのも、猪八戒を倒し損ねてはいない証拠と言えるだろう。
こういう成長は、討伐成功して初めて起こるものだからな。
とりあえず一安心だ。
そう思い、俺は地上に降りた。
……さて、これからどうしたものか。
『恐怖の経典』を受けた者は、全員泡を吹いて気絶してしまっている。
当分、動けそうにはないな。
全員運んで帰るというのは非現実的だし、かと言って助けを呼びにこの場を離れるわけにもいかない。
助けを呼びに言っている間に別の魔物が来て、この子たちが襲われてしまっては本末転倒だからな。
そう悩んでいたところだったが、運良く一人の男がこちらに向かって来てくれていた。
「大丈夫か? なんかこっちの方から嫌な予感が伝わって来たので、様子を見に来たんだが」
……なるほど。タイミングがバッチリだと思ったら、そういうことか。
『恐怖の経典』の余波を感じ取って、駆けつけてくれたってわけだな。
「僕はなんとか。ただ……他のみんなが恐怖で気絶してしまったので、安全なところまで運ぶのを手伝っては頂けないでしょうか?」
「勿論だ。しかし、一体何が起こったら、こんな事態になるんだ?」
男はそう言いながら、猪八戒の方に目を向けた。
そしてその直後、男は手に持っていた荷物袋を落とした。
「オーク……いや違うよな。となると、まさか猪八戒?」
「そうだと思います。現に、『恐怖の経典』を使用してきたので」
「まさか、そんな奴が出現していたとは……」
男はそう言って、ため息をついた。
その後、数秒間の沈黙。その沈黙を破ったのは、男のこんな質問だった。
「……ん? ちょっと待てよ。君、まさかコイツを倒したのか?」
猪八戒と俺を交互に見ながら、男は信じられないと言った表情を見せる。
「ええと、その……ちょうど、猪八戒を倒せる武器が手元にあったので」
俺は若干、お茶を濁した。
如意棒は本来、子どもが持つ武器としては飛び道具が過ぎるのだ。
今回は護身具として役に立ったが、子どもが如意棒を所持することをよく思わない人が多いってのも事実。
それを踏まえると、具体的な武器の名は伏せておいた方が良いに違いない。
……うん、話題を変えよう。
なんにせよ、猪八戒の討伐方法について語っている場合ではないからな。
「ここに倒れている者の中には、領主様の息子のプリンゼルさんもいます。ですので、一旦は全員、領主様の屋敷へと運んで行くべきかと」
俺はそう提案した。
領主様の屋敷はここから最も近くにある建物でもあるので、筋の通った判断ではあるはずだ。
「そうだな。手分けして運ぶとするか」
男はすぐに賛同してくれた。
……助かった。
猪八戒討伐方法の話は、追及されなくて済みそうだ。
プリンゼル一行は俺を含め4人、つまり『恐怖の経典』の犠牲者は3人。
そのうち男がプリンゼル含め2人を担ぎ、俺は残りの1人に肩を貸して歩き出した。
筋斗雲に乗せていければ早いんだが……あれは孫悟空を討伐した従魔とその主以外が乗ろうとするとすり抜けてしまう仕様だからな。
ないものねだりをしてもしょうがないって話だ。
そのまま10分ほど歩くと、領主様の屋敷が見えてくる。
……あと少しだ。
そう思った矢先だった。
「コホン、ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
突然、隣からしゃくり上げるような息が聞こえてきた。
振り向くと、その息の主はプリンゼルで、手や耳たぶが若干青みががっている。
これはまずいな……
そう思っていると、プリンゼルを抱えている男はどういうわけか歩くスピードを上げ始めた。
「待ってください! ……一旦、プリンゼルさんを降ろしましょう」
俺はそう提案した。
だが、それに対する男の返答は、信じられないものだった。
「何を言うんだ。プリンゼルさんはもう長くない。一刻も早く領主様のもとへ行かないと、最後に親の顔を見せてやることもできなくなるぞ?」
俺は男の正気を疑った。
……こいつ、プリンゼルが死ぬ前提で考えているというのか?
「『もう長くない』? そっちこそ何を言っているんですか。死を見届けさせるより、まずは一命を取り止めさせる努力の方が優先でしょう!」
そう反論すると……男は数秒黙り、そして静かにこう言った。
「お前は、この状態になったプリンゼルさんを助けられるというのか? 全くもって、ガキのワガママな理想論としか思えんな」
これは説得が長引きそうか。
そう思ったが、男は続けてこう言った。
「……と言いたいところだが、お前は既に猪八戒を単独撃破するという奇跡を起こしているからな。一回だけ、信じてみよう」