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04


家なんて、もう捨てた気になっていた。

戦争が長引いて、父がこちらに来ることが出来ないのはわかるけど。

王都の別邸の様子を見に行っても、騒ぎは欠片もなかった。


周囲の噂すらないのだから。

私が死んだかどうかも、どうでもいい状態なのだろう。

人をやって様子伺いすらしていないってことだ。


だったらこっちから捨ててやる!

そう思っていたのに、なんでこいつらに名乗ることになってんだよ!




けれどライル殿下の続く言葉に、肝が冷えた。

「辺境伯家の令嬢と同じ名だが、別人だ。彼女は特徴的な頬のほくろがあった。分家か何かの娘だろう、貴族と警戒する相手じゃない」


は? と私の口から声が漏れた。

特徴的な頬のほくろ。

義母の連れ子、義姉リシェルを思い出す。

私より少し誕生日が早かったので、義姉と言われた。


彼女は私と瞳の色が同じだった。

髪は私の蜂蜜色とは違い、銀髪。だが、染めればどうにかなる。

まさか、と嫌な感覚に体の奥が冷える。




低音で「は?」とこぼした私に、言い争っていた二人の視線がこちらを向く。

いかん。少し威圧的な「は?」になっていたらしい。


だが、仕方がないだろう。そんな声もそりゃあ出るよ。

連れ子は辺境伯家令嬢にはならないんだ。あくまでも義理の娘なんだ。

なのに「辺境伯家令嬢」として、義姉の特徴が出たのは、おかしな話だ。




アルトさんがこちらに向き直り、言葉に魔力を乗せる。

「今ここにいる理由の真実を言ってもらおう」


その気になれば、この魔力に抵抗することはできた。

来るとわかっている魔法に対して、高魔力をぶつけて抵抗することは出来る。

でもしなかった。


そして私は語った。

辺境伯領が戦争で危険になるから、義母と義姉、そして私は王都の別宅に避難させられたこと。

義母が別宅の主要な使用人を、戦争で領地が大変だからと、辺境伯領へ送り返したこと。


辺境の人間がほぼいなくなったところで、辺境伯の女主人の証を欲しがり、私を折檻し、治療せず食事を与えず、物置に閉じ込めた義母の所業。

殿下が口にした特徴は、母の連れ子であるリシェルの容姿だと。


あのとき、そのまま死を待つつもりのなかった私は、屋敷を出て冒険者として生活をしていること。




語る内に、二人の表情が険しくなる。

私に対してではない。情報の重さにだ。


国にとって重要な地域の、後継者の成り代わりは、大問題だ。

貴族家の内部事情では済まない話だ。

しかも当主は、国同士の戦争でずっと国境に詰めている。

そのために発覚していない。

これは国家間の戦争に対応できていない、国の問題でもある。


語り終わって、つい勢いで私は言った。

「ここで質問です。なぜ父は、辺境伯家の主な者たちは、別邸にまったく人をやれない状況に追い込まれているのでしょうか」




そう、市井の噂でも耳にしている。

この戦争に対して、王城で政治的に色々あり、辺境への支援が追いついていないのだと。


きちんと支援して、戦争が早期に終わっていれば、父は気づいてくれたはずなのに!

私の中のアリスティナちゃんが悲鳴を上げている。

少女のアリスティナちゃんは、ずっと泣いている。

なぜこんなにも長期間、自分がいないことが問題にならないのかと。

知ることすらできない状況だと思いたい裏で、見捨てられてしまったのではと、泣いている。


だから私は、あんな家はこちらから捨ててやれと、言い聞かせるのだ。

期待するだけ苦しいのだと。


あんな強引に名乗らされれば、嫌でもその問題に向き合うことになる。

アリスティナちゃんの悲鳴が高く、悲壮に私の中で響くのだ。

だから、なんてことをしてくれたんだと、責めたくなる。


ただの冒険者として、一緒に冒険を楽しんでくれるようになっていたのに。




しばらく黙り込んだ二人のうち、口を開いたのは殿下だった。

「君は、何をどこまで耳にしている?」

「街の噂程度です。今はただの冒険者ですから」

そうかと、低く小さく殿下は呟いた。


そして思いもしなかったことに、殿下は私に頭を下げた。

「許せとは言えない。国の落ち度が高いことは事実だ。まずは謝罪したい」

「謝罪よりも、知る権利はありますか?」

説明してくれるんだろうな、ああん?

それを丁寧に言ってみた。




彼の語った内容は、現王妃の実家である公爵家の事情。

現騎士隊長で将軍職を目指している弟が、手柄を立てたいあまりに、別部隊の派兵編成を大いに邪魔していたらしい。

じゃあその公爵家の弟を戦場に送り込めばいいじゃないかと思うところだが。

公爵家兄が、弟を戦場にやるまいと頑張っていたらしい。

なんじゃそら。


大規模兵団を出兵させるのは、議会の承認やら人選やら物資確認やらで、通常三ヶ月ほどかかるそうだ。

そんな中、まず公爵家弟がマウント取ろうとしてまごついて、半年ほどかかった。

そして半年後にいざ動き出そうとしての、公爵家兄の妨害。


そこから、せめて小規模派兵に切り替えて支援しようとなったものの。

小規模なので焼け石に水状態。

さらに大規模編成をもう一度しようとしたが、議会から兄が邪魔をし、軍側で弟が頑張り。

大規模兵団の派兵に結果、一年かかったという。




よく持ったな辺境伯家!

そんな状況だが、辺境伯領の人たちは強いから持ちこたえられたのだろう。

加えて近隣侯爵の二家を主に、他領地から戦争開始直後に援軍が出ていた。

侯爵家のご当主方は、アリスティナちゃんも挨拶をしたことがある。


おひとりは、世紀末覇者もかくやという縦にも横にもごつい、頑健な筋肉そのものなお方。

貴族の子供には漏れなく泣き叫ばれるという。

ラングレード辺境伯領の北東にある侯爵家のご当主、ジオス・ドラクール侯爵だ。


アリスティナちゃんは、平気でご挨拶いたしました。

なぜなら父の側近たちに、そのタイプはよくいたからだ。

遊んでくれる気のいいおっさんたちだった。

見た目の怖いドラクール侯爵だが、泣かずに懐いた私に、とても優しかった。


もうおひとりは、ぽっちゃりしている気のよさそうなお方。

だが父や側近たちの話では、世紀末覇者侯爵様よりも、とってもとっても怖い方らしい。

怒ると一番怖いタイプだと言っていたのを聞いた。

ラングレード辺境伯領の北西にある侯爵家のご当主、オルド・サーディス侯爵だ。



その侯爵お二方の領地とは、魔獣の氾濫時期などに協力体制をとっている。

彼らが辺境伯領の危機に対し、すぐに駆けつけてくれたのは、容易に想像がつく。


だが基本的に、辺境伯領も両侯爵領も、魔獣被害にもそなえた上での戦力投入だ。

戦争に全力投球はできなかったはず。

現に、本来なら国の南部を取り仕切る公爵家が、すぐに協力体制をとるはずだが、魔獣被害がひどく支援がない。


対してあちらは、国家を挙げての大軍投入だった。

攻め入られたこちらは、民衆を守りながらの限られた兵力。


本当によく持ったな、辺境伯領!




「今はもう大規模派兵も完了している。支援も大規模に動いている」

戦争は必ず終結に向かわせるという。


でもそこで、彼は少し困った顔をした。

何ぞ?




ライル殿下はひとつ息を吐き、改めて私に向き直った。

「ただ、辺境伯が半年ほど前から、辺境の戦場で行方不明との情報がある」

「は?」


また低音で聞き返してしまったが、今度は殿下も頷いただけ。

慣れてくれたのか。




「もし領主が死亡であれば、辺境伯の後継者は令嬢ただ一人になる」

それはまあ、そのとおりだ。

父に兄弟はおらず、子供も私ひとりだけ。


「その後継者の確認で、夫人が令嬢を伴い登城した」

その登城した令嬢が、特徴的な頬のほくろのある娘。


つまり当主が行方不明で、辺境の者たちも口を出せない間に、成り代わりを進めているということか。


「辺境伯家令嬢の幼い頃を知る者が、記憶と顔立ちが違うことに首を傾げていたが」

「ああ、化粧で女は印象が変わると夫人が言っていたな。あと、ほくろなどは後から出ることがあると」


なるほど、辺境伯領の者にも、それで通すつもりか。

成長著しい時期に数年会わないのだから、いけると考えたのか。




「これらの話は陛下に必ず進言し、速やかに問題解決に当たろうと思う」

本日知った成り代わりの件について、ライル殿下はそう約束して下さった。


それはそうだろう。国の重要地域の、後嗣の成り代わりなのだから。


「出来れば私のことは内密にして欲しいのですが」

殿下の真摯な話に水を差すと、彼は苦笑で許してくれた。

「陛下と宰相には話すことになるが、あなたに事情があることもわかっている」

二人以外には明かさないと約束された。


「今あなたのことを公にしても、逆にあなたの危険につながる」

陛下も宰相も、理解してくれる人たちだという。

うん、なら仕方がない。



「ひとつ、確認してもいいかな」

殿下から質問が来る。

「君は正当な後継者として、辺境伯家に帰るつもりはあるのかな?」


微妙な質問しやがってと思いながら、私は答える。

「今帰っても命を狙われるだけです」

「では、彼女たちの悪事が暴かれた後は?」

「…もし父が亡くなっていたなら、血は途絶えたこととして頂ければ」


殿下は眉根を寄せたが、何も言わなかった。

だって今の私は、アリスティナちゃんの心を守るのが第一優先になるのだから。

戻ってもアリスティナちゃんが苦しむだけなら、戻るべきではないと思う。




ふと思い立って、アルトさんを見据えた。

「私はライル殿下の命を救った恩人で、その恩人からあなたは、魔法で強引に情報を引き出した」


アルトさんの口元がひくつく。殿下は隣で苦笑している。


「もちろん、ただの冒険者では知り得なかったことを知り、あの人たちの悪事を防げるかも知れないことは感謝します」

そう。成り代わりとか、知らなかったし!

「だから、確実に彼女たちの悪事を暴いて下さい。アルトさんのその魔法なら、出来ますよね」

にっこり笑ってやったら、天を見上げられた。なんでだ。


「悪事を暴くことは承知した。私も真実を知って、そのままにするつもりはない」

しばし天を見たあと、アルトさんは生真面目な顔で、頷いてくれた。

よくわからない反応だと思いながら、了承に感謝の頷きを返した。




改めて落ち着いたところで、アルトさんがまだ食べ物があるかと聞く。足りないらしい。

ハンバーガーとスープを出してやった。ライル殿下も食べた。なぜだ。


それらを完食してから、ライル殿下がぽつりと。

「贈り人というのは、どれほどの絶望と死の淵にいたら発現するのだろうな」

意味ありげに私を見た。




まあ、そらそうですわな。

虐待に耐えるだけだったご令嬢が、痛めつけられるだけ痛めつけられた状態からの「そうだ、冒険者になろう」だもんな。

痛めつけられ始めた時点で、とっとと冒険者に転換しとけって思うわな。


「感覚はわかりませんが、記憶はありますねえ」

そう返すと、アルトさんが目を見開いた。

なんだ、君は気づいていなかったわけか。


「折檻をされて体中が痛くて、お腹も減って喉も渇いて、石の床に転がされていても、誰も来ない」

同情するように頷かれる。

「閉じ込められてるから排泄も部屋の中で臭いし」

ぎょっとされた。

さすがに予想外だったらしい。


「牢屋の囚人の方がマシな扱いって、それ、ご令嬢は絶望するでしょう」

しばらく静まり返る。

森の中、鳥の声と木の葉のざわめき。


「仕返しは考えなかったのか?」

「どんな仕返しですか? 父親が帰ってきて、アリスティナの死亡届けを出す準備をすれば、義母のやったことは発覚すると思っていました」




そう。成り代わりがなければ、発覚するはずだった。

貴族家の当主や後継者の死亡届けは、公的な死亡の確認が必要なのだ。

つまりご遺体の魔力と、生まれたときに登録された魔力を照合した上で、死亡届が受理される。

骨になったとしても、遺体が必要なのだ。


あと死亡届は基本的に当主でなければ出来ない。

当主不在でその後継者の死亡届が必要なら、城から確認の人手が来る。

つまり義母が「あなたが戦争で不在だったので、あの子の死亡処理をしました」とは、出来ないのだ。


確認が出来なければ、行方不明扱い。捜索が必要になる。

そして捜索したならば、屋敷の元使用人などから、証言は出るだろう。




まあ、だから死亡ではなく、成り代わりでどうにかしようと画策したのか。

あるいは最初から成り代わり目的でアリスティナを殺そうとしたのかは知らんが。


「だからこそ、ちゃんと成り代わりを、公的に証明して下さいね」

にっこり笑ってアルトさんに念押しをしたら、なぜかビビられた。なぜだ。



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