25 兄の心配
※他者(フレスリオお兄ちゃん)視点です
フリーディアの悪評が広まり続けている。
学園から広がりを見せたその噂は、今や大人の世界にも広まっている。
特に第二王子やその側近、第二王子派の貴族から広められているという。
自分たちの都合のため、妹を第二王子の婚約者に据えたくせに!
困ったことに、民間にも噂が広まっているらしい。
流行の舞台演目とも連鎖し、民衆に受けているそうだ。
貴族社会だけなら、第二王子派がやらかしていると、わかる人にはわかるのに。
真正面から尋ねられたなら、記録水晶で残された証拠があることを示せる。
だが今は、噂だけが広がっており、弁明の機会はない。
「このまま結婚なんて、絶対に無理!」
以前から妹は、第二王子の婚約者をやめたいと、再三言っていた。
それこそ第二王子に会わねばならない前日、謎の発疹を起こしたこともあるほど、嫌っている。
なのになぜ奴は「婚約者が嫉妬のあまり」とか言えるのか。
頭が沸いているとしか思えない。
フリーディアがお前に向ける感情は、元から嫉妬どころか嫌悪だ!
幸いアリスティナ嬢が、記録水晶に残る決定的な冤罪の場面を、一部の学生たちに公開してくれたと聞いている。
だが噂はもう、そんな範囲で片付かないのだ。
今日はいつもの四人が学園の帰りに来て、お茶会をしているが、これから噂対策をどうするかという話ばかりだ。
私は彼女たちが本日来ると聞き、殿下の執務室で休ませて頂いた。
「もしエルランデ公爵家が、バストールと事を構える場合、我が家とドラクール・サーディス両侯爵家、さらに主家のマスクル公爵家も、エルランデ公爵につくことを、了承頂いております」
待って、アリスティナ嬢。
荒事ありきのマスクル視点で物事を判断しないで!
「では私も、お父様にその旨を伝えて、了承を頂くようにいたしますわ!」
ナナリー嬢もやめて!
モルト侯爵もそっち側な気がするから、やめて!
「私の両親からは社交界で、冤罪である証拠が記録水晶としてあることを、広めて頂いておりますわ」
「私の父も、商人たちにその話をするようにしております」
やっとまともな意見が出た気がする。ありがとう、ミリアナ嬢とメリル嬢。
「あと王都の冒険者ギルドで、窓口業務をされているマリアさんに、お話をいたしました」
冒険者という言葉に、みんなで首を傾げた。
「もしバストールがこれ以上の理不尽をエルランデに行った場合、マスクルがバストールを攻撃する可能性もあるので、その際には冒険者たちに避難して下さるようにと」
だから待って! そこまで過激に行かないで!
「これらの勢力があると、話が流れた上で、バストールに圧力はかけられるでしょうか、フレスリオ様」
アリスティナ嬢の言葉が自分に向けられ、フレスリオは真顔になった。
つまり、彼女の過激な発言は、それだけの勢力が我が家についてくれていることを示し、交渉ができないかということ。
よかった。穏やかな方向での話だった。
「バストール公爵家は元々、あまり圧力に反応しない方々なんだよね」
そう伝えると、アリスティナ嬢がぎゅっと口元をすぼめた。
ちょっと可愛いけど、ご令嬢としてその表情はどうかと思う。
「やはり彼らには、最終手段しかないのでしょうか」
いや、待って。
最終手段というのは、結局は武力って言うことじゃないかな? 待って。
「市井の噂に対しては、それを打ち消す噂を流さないといけないのだけどね」
「それは、どうかと思います」
冤罪だという噂を流してもらう案を口にしたが、アリスティナ嬢から反対の声が上がった。
聞けば、以前冒険者から、第二王子の噂話を聞いたときのことを話してくれた。
悪い噂が広まった後、それを否定する噂が広がれば、その前の悪い噂の信憑性が増すと。
背筋が冷えた。冗談ではない。
本当のことを広めるだけで、噂の火消しだと受け取られる可能性があるだなんて。
広まった噂の火消しを、被害者がすることで、その前の噂をみんながますます信じてしまうだなんて。
「もし別の噂を広めるなら、この人ならきちんと真実を知った上で公開しているのだろうと、思われる方からの発信が必要です」
そう言われても、該当する人物が思い当たらない。
困惑していると重ねて言われた。
「フレスリオ様ご自身でなくても、公爵家のツテで、劇作家に接触をはかって頂けないでしょうか」
「劇作家?」
自分だけでなく、フリーディアたちも首を傾げる。
「もしかして、王子と薄紅の花の、脚本家のことでいらっしゃいます?」
「その方です」
フレスリオは戸惑った。
「それは、噂の元凶じゃないのか」
「元凶と言うよりは、今回の状況はあの劇の評判を、他の方が利用していらっしゃる状況です」
「…なぜそう思うのか、聞いてもいいかな」
私としては、共犯の可能性もあると考えていた。
だがアリスティナ嬢は、そうではない確信を得ているような話しぶりだ。
そして彼女が語ったのは、初対面のときの魔力の動きだった。
魅了魔法ではないかという話に、禁術の特殊魔法かと頭が痛くなった。
しかしそれとは別に、納得できないことがある。
「あの殿下に、魅了魔法をかけて付き合おうとするような女性がいたのか」
それが何よりの驚きだった。
その場の全員から、同意の頷きが返された。使用人たちにまで。
アリスティナ嬢の主張としては。
先にあの評判になった舞台の筋書きがあり。
魅了魔法を使ってヒロインの座に納まり。
強引な冤罪作成により、あの舞台と同じ状況を、わざと作り上げている。
つまり、劇作家は今回の件に関係ないだろうと。
言われてみれば、確かにそうだ。
劇作家がこの状況を広めたのではなく、最初に流行の舞台があって、それを利用された感じだ。
あの話が悪いわけではなく、あの話を利用した奴らが悪いと彼女は語る。
「聞いたところによりますと、歴史に真実を追い求め、物語にすることに情熱を燃やす作家だそうですわ」
民衆の噂として、彼女は使用人や冒険者から、情報を集めてくれたらしい。
「何より事実を重んじる方だと聞きます。であれば、あの劇を利用して事実を曲げている方を、どう思われるか」
なるほどと、考え込んだ。
その脚本家に連絡をとり、今回の事態の相談をする。
取れる手段がどのようになるかはわからないが、アリスティナ嬢には何か考えがあるようだ。
「接触が出来れば、その方にこれを見せて頂きたいのです」
手渡された記録水晶は、噂が爆発的に広まった、池に突き落とされたという冤罪の証拠。
そして事前準備をしていたのか、今回の経緯のメモ書きを渡された。
「これは絶対に必要になるものなので、紛失はなさらないようにお願いします」
しばらく考えて、フレスリオはそっとそれらをアリスティナの方へ押しやった。
「なくしてはいけないものなら、君が持っていた方がいい」
あるかどうかはわからないが、もしこの記録水晶が狙われたなら。
彼女の魔法空間に収納されていた方が、安全だろう。
そう伝えると、彼女は頷いてくれた。
さて、脚本家と会った上での、アリスティナ嬢の狙いは何だろうか。
「その脚本家と会うときは、一緒に来てくれるかな」
狙いがあるなら一緒に来てもらい、その場で話してもらった方がいいと提案すると、彼女は頷いてくれる。
「できれば事前に、何をしようとしているのか、教えてくれた方がいいのだけれど…話してもらえるだろうか」
伝えると、ああと頷かれた。
「今回の出来事を、その方にそのまま脚本化して頂き、舞台で公開して頂きたいと思いまして」
「え?」
何を言っているのか、よくわからなかった。
彼女は首を小さくかしげてから、言い直す。
「温厚なエルランデ公爵家に、無理強いで婚約の申し入れがあったところから、第二王子殿下のフリーディア様への扱いですとか」
言いながら、それまで優美な手つきだったはずの扇を握る手に、力が入るのが見えた。
「何度も婚約解消を申し入れて、挙げ句にプレ夜会のあんな騒動で決定的な証拠もあったのに、解消を受け入れなかったことですとか」
また優美な手つきに戻り、扇を広げ、口元を隠す。
「次回何かがあれば、必ず解消という約束のあとの、今回の冤罪事件。それらの、すべてを」
最後の言葉で、扇の上から覗く目に、本気の怒りがにじんでいた。
「あちらが流行の舞台を利用するのなら、こちらはそのままの事実を、舞台化して頂いたらよろしいのです」
脚本家との交渉の際には、プレ夜会の記録水晶もお持ち下さいと言われ、頷いた。
この場では口にできないが、彼女が味方で良かったと思う。
今の発想は、贈り人ならではの、柔軟な視点ではないだろうか。
身分差がない世界だったという。
そんな世界で生きた大人の女性の記憶を持つ、贈り人。
既にあるお話を利用しようとするのではなく、新たに舞台化してしまえというのは、発想になかった。
でも言われてみれば、確かに良い案かも知れない。
あの理不尽を、民衆に広く知ってもらいたいとも思う。
もちろん両親に相談することは必要だが。
フリーディアが戸惑って視線を揺らしているが、恐らく両親は賛成するだろう。
今回の悪評は、本当に許せる限度を超えている。
武力解決よりも、よほどマシだと思って欲しい。
マスクルの主要な家が、ほぼ全面協力を伝えてくれている。
下手をすれば、我が家をすっとばして、マスクルが直接バストールを攻撃する可能性さえ、見えてきているのだ。
よほどマシだと、思って欲しい。
解決策が見えて、気が緩んだ。
大きな息を長く吐き出してから、目が熱くなってきた。
本当に本当に、キツい。
こんなにもいい子で可愛い妹が、なぜこんな理不尽に遭わなければいけないのか。
ご令嬢方の前だというのに、じわりと浮かぶ涙を止められない。
そのままホロホロと涙がこぼれたが、自宅であいにくハンカチを持っていない。
使用人に声をかけようとしたところで、アリスティナ嬢がそっと、ハンカチを差し出してくれた。
「お使い下さい」
「いや、いい」
今借りてしまうと、鼻水をつけてしまいそうなので断ったのだが、彼女は再度差し出してくれる。
「遠慮なくお使い下さい。こちらは捨てて頂いてよろしいのです」
本当にいい子だなあと、鼻水を啜りながら受け取る。
「ありがとうございます、では捨てて下さいね」
なぜか、アリスティナ嬢からお礼の言葉が出た。
受け取る手を止めると、にっこりと笑顔を向けられた。
「いつまでも父が持ち続けるので、困っていたのです」
手を止めたまま瞬くと、そっと受け取るように、手を押しやられる。
「私が初めて刺した、この何を刺繍しているかすらわからないハンカチを、ずっと持ち続けるのです」
ちょっと低い声になった。
て、え? は? 初めて刺繍したハンカチ?
「家の中で捨てようとしても、またお父様が持っていて、学園で捨てたらマイラに回収されていて」
アリスティナ嬢が遠い目で語る。
「こんな、何がモチーフかすらわからないハンカチは、消し去りたいのに」
そしてアリスティナ嬢の後ろ、侍女からの圧力がこちらに向く。
「なので、証拠隠滅にご協力下さい」
それダメなやつーっ!
受け取ったらダメなやつだ!
ちょっ、無理だからホントやめて、押しつけてこないで!
押しやられていたハンカチを、すかさずアリスティナ嬢へと返し、使用人から布巾を借りた。
アリスティナ嬢から、ちょっと恨めしげな顔で見られた。
彼女の侍女からの圧力は、消え去った。
ちょっと、私を巻き込もうとしないでくれないかな、アリスティナ嬢!
さすがに涙は引っ込んだ。