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翌朝、上級生がいきなり教室に訪ねてきた。
その中には、私の見覚えのある方がいた。
「セレイア・サーディスと申します」
あのぽっちゃり侯爵のご令嬢と、そのお友達だった。
私を介してフリーディアちゃんと話をしたいというので、紹介をした。
「父から話を聞きました。裏を取りもせず、噂を信じ切っていたこと、大変申し訳ございませんでした!」
セレイアお姉様が、フリーディアちゃんに頭を下げた。
成り行きがわからないフリーディアちゃんが、目を丸くしている。
私は、休日明けの翌朝、いきなりこう来るとは思っていなかった。
なので両侯爵へ記録水晶を見せたことを、まだ情報共有できていなかった。
他の方々は半信半疑といったところなのだろう。
放課後、Sクラスのサロンで例の記録水晶をお見せすることを約束した。
教室内でのことなので、クラスメイトも聞き耳を立てていた。
彼らも、噂を信じてはいないが、経緯を知りたがっていた。
放課後の、入水映像上映会は、彼女たちとクラスの全員に見せることになった。
私は授業の合間に、両侯爵にあの映像を見せたこと、万一のときにはうちと両侯爵はエルランデ公爵家の味方だと伝えた。
フリーディアちゃんは、もし事を構えるならという話に、オロオロとしていた。
そして放課後上映会後。
セレイアお姉様の友人たちが、いっせいにフリーディアちゃんへ頭を下げて、謝罪をした。
お友達はお姉様と似た気質なのかも知れない。
それから口々に怒りだした。
冤罪なのに、今も多くの人たちが信じ込んでいることに。
「わたくしたち、同級生の方々にお話し致しますわ。見たいという方には、記録水晶を見せて頂けますか?」
もちろんだと私は応じた。
帰り際に、お姉様が私にそっと言った。
「私もマスクル一族ですわ。やられっぱなしは性に合いませんの。ご意見番のサーディスとして、学園内の噂は、お任せくださいな」
そしてふと、令嬢らしからぬニヤリとした笑みを浮かべた。
「それにしてもあの第二王子とそのお相手の方、うちの父を怒らせるとは、怖い物知らずですわね」
最後はおしとやかに、ふふっと笑って去って行く。
私は少し、その言葉が理解できていなかった。
サーディス侯爵家は、マスクルのご意見番だという話は聞いていた。
魔法特化な、脳筋ではない知性派だからと思っていたのだが、違うのだろうか。
いちばん穏やかそうなサーディス侯爵が、いちばん怖いというお話は、何か特別な理由があるのだろうか。
それからは毎日のように、記録水晶を見に来る上級生たちが現れた。
中には新入生もいた。
ある日そうした方々の中に、学生会長の姿があった。
ロイド様のお兄様で、マスクル公爵家の嫡男、レオルド・マスクル様だ。
彼がロイド様とともに、私たちのクラスに訪ねて来られた。
「私も噂を鵜呑みにしてしまったひとりです。目撃した者が多数いたと聞き、信じてしまいました」
彼もまた映像を見た後は、丁寧にフリーディアちゃんへ頭を下げた。
「被害者とされた方の証言だけが信じられ、学園中に広まってしまったことを、謝罪いたします」
彼は学生会長という立場で、冤罪の噂が広範囲に広まっていることに、責任を感じておられた。
あー、ねー。
第二王子が面倒を起こす前提で、マスクル公爵家嫡男の彼が学生会長を押しつけられたらしいからねー。
王子絡みでやはりこんなことが起きて、困るよねー。
「なるべく噂の払拭に、力になりたいと存じます。つきましては」
彼の提案は、馬車との往復などSクラス校舎外での行動に、学生会の方々がご一緒して下さるというもの。
フリーディアちゃんとその友達が、学生会メンバーと一緒にいることで、ありえない事件のでっち上げを防ぐという案だった。
幸いなことに、私たちはSクラスで、別校舎だ。
学生会メンバーはSクラスの上級生なので、階段を降りてすぐに一年Sクラスに来ることができる。
他の校舎の学生と接触する前に、Sクラスだけの集団で囲んでしまえる。
「窮屈な思いをさせてしまいますが、ご理解をお願いいたします」
「あの、私は別行動をさせて頂きたいのですが」
申し出の中、私は別行動の理由を説明する。
ステルス魔法で撮影した、数々の冤罪記録だ。
自分でノートを焼却炉に入れて焼き、騒ぐ彼女。
自分でノートを破り、騒ぐ彼女。
靴を泥だらけにして、嘆いてみせる彼女。
階段を自らジャンプして着地し、へたりこんで騒ぐ彼女。
それらを映写して見せた。
ついでに彼女と殿下の、ツッコミ所満載な映像もセットだ。
Sクラスのサロンで、本日の上映会に参加されていた他の方々が、ドン引きだ。
ロイド様とレオルド様も、もちろんドン引きだ。
しばらくざわついていた上映会の会場だったが、レオルド様が改めてフリーディアちゃんを向いた。
「あのような殿下のご婚約者であったとは、冤罪のこと以外にも、ずいぶん大変な思いをされたでしょうね」
フリーディアちゃんが目を見張った。
「奴らには本当に常識が通じない。あちらからの無理な申入れによる婚約で、理不尽があっても婚約解消を受け入れられないなど、あなたもご家族も、さぞかしお辛かったでしょう」
マスクルらしい、飾りのない、まっすぐな労いの言葉。
「今回の冤罪でも、心を痛めておられたのでしょう。早く状況に気づけて、お力になれれば良かったのですが」
学生会長としての責任か、ひとりの令嬢への心配りか。
「そもそもあなたのような可憐な女性は、守るものだ。守り通して隣で幸せに笑ってくださることこそ、男としての幸せです」
あ、マスクル節だった。
マスクルの男はそういう傾向にある。庇護欲も強く、一途だ。
「今からでも、何かお力になれそうなことがあれば、是非お知らせください」
高位貴族は、あまりまっすぐな物言いをしないものだ。
だから、こんなふうに率直に労われることは、なかったのだろう。
今までずっと張り詰めていたものが、ほどけたように。
フリーディアちゃんの目からほろりと涙がこぼれた。
慌てて指で押さえるも、すぐには止まらない。
やがて鼻を真っ赤にしながらも、嗚咽はけして漏らさないように、こぼれる涙。
キュンと来た!
そして向き合うレオルド様も、キュンと来たのではなかろうか。
耳のあたりが赤く染まっている。
まず、ご令嬢が泣いているという状況に気がつき、手をアワアワしてからハンカチを差し出し。
受け取ってもらえてから、どうしたものかとまたアワアワ動かす。
なんだか父の頭脳派側近、ジルドさんを思い出した。
マスクル本家は魔法特化型が多く、戦闘民族らしく好戦的で一途なところはあるが、脳筋ではない。
脳筋は反射的に抱きしめたり抱き上げたり、やらかしてしまいそうだが、何をしたものかアワアワするのは、考えているからだ。
ちゃんと考えてご令嬢に接しようとすることに、好感が持てる。
脳筋系の接し方は直接的で、フリーディアちゃんには向かない。
そちらも経験がない接し方だろうが、やったらアウトな奴だ。
受け取ったハンカチで涙を押さえ、しばらくしてから落ち着いたのか息を吐き。
まだ目が赤いながらも、懸命に浮かべた控えめな微笑みを、レオルド様に向けるフリーディアちゃん。
対するレオルド様は、またキュンとしたのか頬も赤らんでいた。
「お優しいのですね、レオルド様は」
フリーディアちゃんも、少し頬が赤くなっている。
あれ、もしかして、もしかしちゃう?
フリーディアちゃんが私たちの主家、マスクル公爵家の奥方様になっちゃったり、しちゃう?
レオルド様がどんなお方か、ロイド様からの聴取が必要だが、悪い噂は聞かない。
むしろ優秀で将来有望と聞いている。
父も好意的に語っていたはずだ。
マスクルとエルランデは、相性がいい。
穏やかで誠実なエルランデは、マスクルにとって庇護欲を向けやすい相手だ。
エルランデ側も、好戦的な面はあれど自分たちに向けられるものではなく、絶対的に守ろうとする一途で誠実なマスクルに、信頼を置きやすい。
国の建国より以前から、マスクルとエルランデには親戚関係も多かったのだ。
婚約解消後の嫁ぎ先として、アリじゃなーい?
むしろ全面的に応援しちゃう!
夜会などの最初の立ち位置は、三公爵家の系列ごとに集まる。
フリーディアちゃんがマスクル本家のヨメになるなら、お近くになる。
マスクルだけの新年の宴席などでも、ご一緒できる。
いい。すごくいい!
とはいえ、話を戻さなければと、レオルド様に私も改めて向き合った。
「先ほどの話ですが、これらの記録を、引き続き撮影する必要がございます」
すかさず同意された。
何より冤罪が作り続けられているのだから、証拠の確保は必要なのだ。
話が逸れまくっていたことが気まずいのか、咳払いのあと、レオルド様は続ける。
「ですが、おひとりの行動では、あなたの行動記録が残せない」
「ではロイド様、同行お願いいたします」
やっぱりかと、ロイド様が口元を引きつらせた。
しょうがないでしょうが。
学生会長で、主家の嫡男を引っ張り回すわけにはいかんでしょうよ。
「つきましてはロイド様にも、魔力を漏らさない、気配を消す技術を、身につけて頂く必要がございます」
私の宣言に、ロイド様の口元がさらに引きつる。
レオルド様は頷かれた。
「それはいずれ、ロイドも身につけなければならないことだ。むしろアリスティナ嬢、頼む」
はい、頼まれました。
そもそもマスクル公爵家の人間がね。
魔力を安易に揺らして漏らすなんて、魔力操作が甘いのですよ。
魔獣討伐の場でそんなことをしてしまったら、魔獣が他に行くだけですよ。
きちんと魔力を抑えて、魔獣を逃がさず討伐することが必要なのですよ。
だから、ロイド様も身につけなければいけない技術なのです。
どうやらロイド様は、私が感じたとおり魔力操作が苦手らしい。
大規模魔術はぶっ放せるが、討伐でなかなか活躍できないという。
そのため中央の文官を目指しており、殿下の側近になった経緯がある。
ひとしきり話を終えた後、部屋の隅でレオルド様から私にも謝罪があった。
フリーディアちゃんの件について、ロイド様からは、何度もありえない冤罪だと言われていたらしい。
だがレオルド様は、信じなかった。
そもそも彼女の友人である私に対して、レオルド様は懐疑的だった。
確かにマスクルがきちんと援助できなかった辺境のことでの、犠牲者ではある。
でもなぜかいつの間にやら王太子の婚約者候補におさまり。
第二王子の婚約者の友達になっていた、怪しい娘。
レオルド様やロイド様の母、マスクルの現当主の奥方様は、ライル殿下のお母様の従妹だった。
当主になる前、陛下の外遊に付き添われた際に、奥方様に惚れ込んだという。
元々は陛下と隣国の姫の婚約だけを、まとめるはずだったのに、ふたつの婚約がまとまってしまった。
奥方様は、ご当主の熱意にほだされたのと、ライル殿下のお母様と親しかったことから、同じ国に嫁ぐ決意をされたという。
母親同士がそんな間柄なので、レオルド様とロイド様は、ライル殿下とも顔を合わせて話す機会があった。
聡明で人柄も良く、次代の王にふさわしいと感じていたそうだ。
それなのに、あの一件のあと、他に後継者のいない辺境伯家の娘との婚約話は、解消される気配がない。
そもそもの出会いは濁されており、怪しいと感じていたとのこと。
何をして、ライル殿下にそれほど気に入られたのか。
行方不明の間のことだと思われるが、だからこそ怪しい。
記録水晶の証拠があるという話を聞いたときも、先入観で思ったそうだ。
そもそもいくら優秀であっても、稀少魔道具である記録水晶を、そう簡単に作れるようになるはずがない。
自分たちに有利な噂を撒いたなど、何か裏があるのではないかと。
辺境伯家のひとり娘は信用がならないと、ご当主にまで告げていたらしい。
ご当主は、辺境伯家がひとり娘の婚約に猛反発していることはご存じなため、レオルド様を諫めたが、納得しなかった。
そこでロイド様がつい先日、とうとう怒って私の贈り人発現を、ご当主とレオルド様にバラした。
ロイド様は、私とライル殿下の出会いも、本格的に側近となる際に聞いていた。
王妃との関係理解のために必要な話だったそうだ。
私が冒険者としてライル殿下と出会い、殿下とは知らないまま助けたこと。
私がそのとき希望したのは、辺境伯家の後嗣成り代わりの阻止だけであったこと。
殿下が熱望して、婚約者候補の立場が続いていること。
そして第二王子の継承権が剥奪されたら、王太子を降りて辺境に婿入り予定らしいということも、あのあとライル殿下は話したらしい。
殿下、辺境への婿入り予定の話を、側近の皆様に言ってしまわれているのね。
まあいきなり言われても困るだろうから、その心づもりがあると言っておくのは、必要だろうけどね。
まだ第二王子の継承権はそのままなのに、言ってしまって良かったのですかね。
そんなこんなで状況を理解した彼は、私に謝罪した。
思い込みで、信用ならない令嬢と判断してしまっていたことを、申し訳ないと。
死の淵を体験するまでの扱いをさせてしまったこと、主家として申し訳ないと。
私としては、今回の件に全面協力を引き出せた方が、嬉しいので。
もしエルランデとバストール、両公爵家が対立する状況になったなら。
ラングレードとドラクールとサーディスは、エルランデにつく心づもりであり、当主からも許可を得たと聞いている。
マスクル本家にもお願いしたいと、お伝えした。
ご当主にしかと伝えると、お約束頂いた。
翌日、王城へ寄る日の馬車の中で、レオルド様のことをどう思われたのか、フリーディアちゃんに聞いてみた。
泣いてしまったことで恥ずかしそうにしながらも、フリーディアちゃんは語る。
今まで家族や身内からは、優しい言葉をかけられていたが。
第二王子の婚約者という身であるためか、あまり貴族男性から親しい声はかけられなかった。
ましてや第二王子からの被害について、思いやりのある言葉は、ほとんどかけられたことがなかったのだとか。
あのときに、まっすぐな言葉と態度で労られて。
涙を見せてしまったとき、オロオロしていたのが見えて、素敵な人だと思ったとのこと。
さすが私の主家のマスクル公爵家の嫡男だと。
オロオロしていたのが素敵というのが、よくわからないが。
マスクルの一族は、庇護意識が強い。
フリーディアちゃんのようなご令嬢には、一度守ってあげたいと思ったら、守り通すだろう。
そして一途だ。
よし来た、マスクル主家の奥方ルート!
記録水晶の上映会をするようになり。
私もマスクル系の方々に、上映会に参加して下さるよう声をかけるようになった。
そしてナナリーちゃんとミリアナちゃん、メリルちゃんたちもエルランデ系の方々に声をかけている。
もっともマスクル系は、セレイアお姉様がほぼ声をかけて網羅されていたが。
学生たちが次々と見に来てくれて、バストール公爵家領域の、元騎馬民族系だったお家の方々も、来てくれた。
バストールの領域は、実は元騎馬民族の爵位持ちもかなり多くいらっしゃる。
意外とその勢力も大きいのだ。
ある日、ふと思った。
あれ、今かなりの貴族家を網羅できているのではなかろうか。
少なくとも学生たちから話が伝わっていれば、かなりの貴族家が冤罪を認識しているのではないだろうか。
けれど民衆へのアピールが出来ていない。
舞台の物語とリンクして広まっているだけに、広く民衆に広まってしまった噂を、さてどうすればいいものか。