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床に叩きつけた精霊神殿の経典が、日本語表記だった件について。
慌てて床から経典の写しを拾い上げ、さっきの文字を見る。
やはり日本語だ。
飾り枠の中に、ふざけたその文言だけが、装飾文字風に書かれている。
ページをめくると、その理由が記載してあった。
この内容を言語学者が研究して、説き明かそうとする日が来るだろう。
だが冒頭に意味ありげにふざけたことを書いてあれば、混乱させることが出来るはずだと。
いや、だからってふざけ過ぎだろうがよ。
さらにページをめくると、こんな記述があった。
『氷の精霊は、魔力を込めた声で、デズニーな氷の女王なお姉さんの歌で、呼び出せた』
『いくつかの冬を連想する歌でも呼び出せたよ』
『火の精霊を強くイメージしながら、動く城の主題歌を歌ったら、炎の精霊が出た。歌詞じゃなくイメージが大事らしい』
『海を連想しながら力強く魚の子な曲を歌ったら、水の精霊が来た』
強くイメージをしながら感情を込めて、声に魔力を乗せて歌うのがコツだという。
言語学者を混乱させるためと書いていたが、本文までふざけているのだから、元からふざけた人らしい。
これが書かれたのは、バストールが国家を作った二百年ほど前のはずだ。
マスクルやエルランデはもっと古くからあった国家だが、バストールは比較的新しい国だった。
バストール建国から五十年ほどで、三つ巴の危機からの今の国家誕生になった。
恐らくだが、精霊が呼び出せたこの人物が亡くなったことで、神殿とうまく行かなくなったと思われる。
二百年前の経典。
だが内容は日本の現代語で、どう見ても似た時代の日本人だ。
異世界の時間軸ってどうなってんの?
その人が贈り人だったにしても、異世界転生って、時間軸が元の世界と一致していないのだろうか。
まあ、わからんな。なんせ異世界だしな。
しばらく考え込んでから、ライル殿下に顔を向ける。
「これの写しを頂いてもよろしいでしょうか」
すると、殿下の顔が固まっていることに気づいた。
私も動きを止めてから、あー、と思った。
今、私の後ろには、私の専属侍女のマイラがいる。
そして室内には、アルトさん以外にもライル殿下の側近の方々。
ライル殿下は、贈り人関連だと察しておられるのだろう。
やらかしたなと思うが、仕方がない。
私としては、贈り人であることを何がなんでも隠したいわけではない。
お父様たち辺境の人たちを傷つけるネタにされるのは許せないが、それだけだ。
なので背後の侍女を振り返り、話が聞こえない距離に行って欲しいと伝えた。
だが拒否された。
男性ばかりの執務室で、私から離れるわけにはいかないと。
また私は考える。
マイラは、辺境で選ばれて、私の専属侍女になった。
これから長い付き合いになる。
ついでに以前の私とは接点がなかったので、贈り人ショックは薄いだろう。
彼女にも、私が贈り人だと知ってもらうべきかも知れない。
「では、ここにいてもいいわ。でもお父様たちには報告しないでね」
「…理由を、お聞かせ頂けますでしょうか」
「私はあの戦争のときに、義母からの虐待の結果、贈り人を発現させたの。それを知れば、お父様たちは傷つくでしょう」
マイラが呼吸を止め、目を見開いた。
殿下の側近の方々からも、動揺の空気が感じられる。
そしてロイド様の魔力が揺れている。
まあね。主家として最初に謝罪から入られた方だからね。ごめんね。
でも主家の人として、知っておいてもらうべきかなとも思ったのよ。
「その…アリスティナ嬢」
ロイド様が動かれた。なんだか痛ましそうな目をしている。
うん。そこまで深刻に受け取られても、今となっては困るのですよ。
「あの当時は、というお話です。お父様に再会したとき、アリスティナとしての感情の塊などは、贈り人としての私に溶け込みました」
「溶け込んだ?」
ライル殿下の不思議そうな顔。
殿下が持つ贈り人の資料には、そういったことは書かれていなかったようだ。
「ええ。贈り人発現のきっかけになったわだかまりが解消したら、ふたつの人格が溶け合ったのです」
以前は、贈り人の三十代女性の人格が主体で、アリスティナちゃんは私の中でずっと泣いていた。
それを励ましたり、これからを考えて前向きになるように促してきたのが、贈り人の私という立ち位置だった。
でも今は、混ざり合っている。
そういったことを説明すると、殿下はその話をメモに取り出した。
どうやら贈り人の資料に追加されるらしい。いいけど。
「当時はアリスティナちゃんがすごく可哀想だった、という感覚が贈り人の私にありました。私が行動していても、私の中で彼女がずっと泣いている感じで」
あのときは、私の中のアリスティナちゃんに痛ましいという感情は、ふさわしいものだった。
「でも今は溶けてひとつになって、アリスティナとしての私が、色々と楽しく行動しています」
言葉にするのは難しい。
けれど以前はアリスティナちゃんとして、分けて考えていたものが、今はすべて私になっている。
だからアリスティナちゃん自身も、今の生活は楽しんでくれているのだ。
それらを説明すると、ほっとした空気が流れた。
「それでここに書かれている文字ですが、贈り人である人格が知っている、異世界の文字です」
ライル殿下まで、目を見開かれた。
「文字、なのか。それは」
「文字ですね。ただ私の世界でも、『日本語』は世界一難しい言語と言われておりました」
日本語と、こちらの言語に馴染んだ口には違和感がある響き。
贈り人として目覚めてすぐは、日本人女性の感覚が強く、日本語を口にしても違和感はなかった。
今はアリスティナちゃんと混ざっているので、そのための違和感かも知れない。
「言語として解析されないようにと、最初のページにはふざけたことが書かれておりました」
内容を言う気はないよとにっこりしてみせれば、察したのか殿下は頷いてくれた。
「不思議なことに、贈り人だった元の人格の、同じ国の似た世代の人が書いた内容のようです。少なくとも二百年前ではありません」
「そうなのか。まあ、異なる世界というのなら、そういう事象も起きるのかも知れないな」
私と似たようなことをライル殿下も考えたようだ。
「それで、経典の内容はどのようなものだ?」
少し考えて、精霊を呼び出す方法のようだと報告した。
また殿下やみんなの目が丸くなる。
「ただ、これは口にしない方がいい気がしています。悪用されないように」
「そのとおりだな。申し訳ないが、父と宰相には報告することになる」
「かしこまりました」
そこからは、少し空気が緩んで、異世界の話になった。
中でも今まで接点がなかった、ゼネス・トルディ様が、魔法のない科学や機械の文明に対して、ぐいぐい質問をして来た。
聞けば彼は、子供の頃は魔道具職人になりたかったらしい。
だが家族に反対され、その夢を叶えることは出来なかったそうだ。
心残りではあるが、今は割り切っているという。
けれど、やはりそういったことに興味があり、異世界の機械と聞いて深く知りたく思うらしい。
なので魔力ではないエネルギーが作り出されていたことなどを話した。
ポーションはないが、技術や知識として医療が発達していたことなども話した。
そういえば以前、雑談の中で殿下から、次の夏のお祭りで、民衆サービス的な企画を任されていると耳にしていた。
斬新な企画を求めるなら、大型魔道具などと紐付けての、物理法則を利用した仕掛けはどうだろう。
ピタっゴラっスイッチ! という音が私の中に浮かぶ。
ボールの動きを誘導したり、滑車などの装置を作り、それで次々と事象がつながっていく仕掛け。
あれなら、ゼネス様のやりたいことと繋がって、いい企画が生まれないかと。
魔石をボールのように磨いてしまい、魔道具による花火や幻影なども結びつければ、観客を沸かせる仕掛けも出来るだろう。
そんな提案をすれば、ゼネス様がまた、仕掛けの内容にぐいぐい来た。
この世界にも滑車や歯車の原理はある。
ドミノ倒しはないが、口で説明すれば理解してもらえた。
ひととおり私の説明できる範囲で伝えると、彼は猛然と自分の席に行き、企画書をガリガリと書き始めた。
少し冷めた空気の人だと思っていたので、初めて見る姿にポカンとしたが、どうやら皆様も同じだったらしい。
まあ、お役に立てたなら、何よりです。
そんなこんなで、皆様には贈り人のことは内密に、特に辺境の人たちにはなるべく知られたくないとお願いをした。
マイラも理解して、この話は報告しないと約束してくれた。
フレスリオさんが、フリーディアちゃんたちにも内緒なのかと訊いてきたので、機会があれば話してもいいと思っていることを伝えた。
けれどわざわざ話すことでもないとも言えば、そうだなと頷かれた。
「そういえば、あの昼食会や夕食で出して頂いた変わった料理は、もしかして贈り人の知識なのかな? 変わっていたけれど、とてもおいしかった」
フレスリオさんの言葉に、私は満面の笑みで頷く。
前世で馴染んだ料理の数々が、こちらでも受け入れられたことが、とても嬉しい。
「やはりそうか。イリはうちの領地でもごく一部しか知られていないんだ。しかもあの調理方法は、見たことがなかった」
イリとは、米のことだ。
私が王都で見つけたときも、店で細々と扱われていた品のようだったので、流通量が少ないだろうとは思っていた。
「イリは『日本』での主食だったのです」
「そうか。我が家でもあのあと話題になったよ。あの料理も、是非ともうちの料理人にレシピを教えて頂きたい」
「構いませんわ。お父様にも伝えておきます」
そこでライル殿下から、昼食会とは何かと質問された。
私はプレ夜会の騒動からの、お友達同士とその保護者の交流会だったと話をした。
フレスリオさんは、あのときの昼食がいかに変わっていたか、でもとてもおいしかったと話す。
アルトさんからも初めて会ったときの具入りパンについて、熱く語られた。
私がフリーディアちゃんたちと、みんなでSクラスになったことを話し。
フレスリオさんが、五人でとても仲良しだという話をして。
記録水晶の中のキャッキャウフフ映像が、女の子同士の会話で可愛かったとか。
私がフリーディアちゃんの婚約解消に向けて、とても協力的だとか。
なぜか殿下が、次第に無口になっていった。
そしてフレスリオさんが語り終えると、表情を消し去った顔で、私に向かって言ったのだ。
「すまないが、アリスティナ。別の部屋で少し話がしたいがいいかな?」
いつにない無表情に若干怯んだが、笑顔でうなずいておいた。
アルトさんとマイラを互いに伴い、別室で席に着き、お茶を出されて。
しばらく殿下は無言だった。
そしてひとつ深い息を吐いてから、言った。
「アリスティナは、その…女性が好きなのか?」
「は?」
いきなり何をと返すと、一度目を閉じ、開いてからまっすぐにこちらを見る。
「恋愛対象が女性かと聞いている」
何かを決意した目で言われ、目玉が飛び出そうになった。
そこから発言の真意を聞くと、以前のおっさん暴露が原因らしい。
王城で世話をされ慣れている殿下には、おっさんが入ったおひとり様女子の生態は、響かなかったらしい。
帰宅してすぐにビールを開けるのは、夜会でウェルカムドリンクも出るし、特におかしなことではないと。
居酒屋へ行くことも、冒険者たちの食事は酒場が多いと聞いていると返された。
部屋を散らかしたまま出かける、干した洗濯物を畳まないというのは、そもそも使用人がやることだという。
外食が多いのも、惣菜を買って帰るのも、料理人がいる生活ではピンと来ない。
むしろ独居だった生活暴露には、以前の人生でお相手がいなかったことを察して、嬉しかったという。
彼にとって問題だったのは、フリーディアちゃんの可愛さを私が語り尽くしていたことだった。
萌えという概念がわからない状態で、フリーディアちゃんをべた褒めし、かまい倒したいという私の発言。
おっさんが入っているとの主張に、あれ、女性が好きなの? と。
成長が著しくなり、男性的に育ってきている殿下にとっては、大問題だった。
もしや好かれるためには女装をするべきなのか。
そんな悩みを抱いていたらしい。
おっさんという言葉も、アリスティナ語録変換で「下町の男性」なるものに変わってしまった。
つまり女性だったが、男性的性質が潜んでいるという発言。
まあ、そう取られても無理はないかと遠い目になる。
そこで殿下は、挫け続けているわけにもいかないと、贈り物作戦に出たそうだ。
喜びそうなものを考えると、武器や調味料、食材など、色気がないものになりそうなので。
あの夜会のドレスを贈ることにしたらしい。
しかし辺境で作った記録水晶を女友達だけにプレゼントしたと聞いた。
自分にはくれなかったのにと拗ねた。
しかもさっき、フリーディアちゃんたちとよく集まりお茶をしている話が出た。
先日の昼食会は、家族ぐるみでのお付き合いだった。
自分も食べたことのない、私が発案した料理を、フレスリオさんまで食べていた。
婚約者の自分よりも、フリーディアちゃんたちの扱いの方が重いのは、どうかと言い出した。
そうは言われましてもと思う。
婚約者うんぬんとは別に、同性の友達は大切なのだ。
ライル殿下もアルトさんといつも一緒だろうに。
なので、女性が恋愛対象ではないと、力強く否定した。
自分も記録水晶が欲しいと言われ、そこは少しためらった。
だってなんか、父と同じことになりそうな気がしたんだもの。
記録水晶を渡したら、その場で私を撮影しそうな予感がしたんだもの。
渡せるかっ!
そう思っていたが、以前の毒騒動などで、記録水晶があればバストール公爵家をもっと早く排除できたはずだと言われた。
殿下にそっと、記録水晶をいくつか渡した。
「ところで、王子妃教育は面白いのですが、このままでよろしいのでしょうか」
せっかくの機会なので、辺境で考えていたことを、殿下に伝えた。
やはり血筋がいないので、私は王家に嫁入りをすることは出来ない。
もし私に対する殿下の気持ちが本気なら、殿下は知性の人として、私の結婚相手の条件に合う。
婿入りをしてくれるなら、考えてもいいと。
辺境の皆から、跡取りとしての私に期待する気持ちを、ヒシヒシと感じるのだ。
そして私も、辺境のみんなが好きだ。あそこにいたい。
何より辺境なら冒険者を続けられるが、王妃で冒険者は無理だ。
「殿下が婿入りを受け入れて下さるのなら、婚約続行も、私としてはよろしいのですが」
そう伝えると、殿下も考え込まれた。
そもそも第二王子がいなければ、殿下には何がなんでも王になりたいという、こだわりはないらしい。
国の施策は、辺境伯でも提案くらいは出来る。助力もできる。
ただ、あの第二王子はダメだ。
もし今殿下が王太子から降りれば、その座は第二王子に転がる可能性が出る。
第二王子が王位継承権を剥奪されたなら、その案も実現可能かも知れない。
なので、もし第二王子が継承権を剥奪された前提で、誰か次の王太子になれる候補はいるのかと聞く。
「それこそ王家の傍流として、王弟殿下やそのお子は、いかがでしょうか」
「ああ。君たちと同じ、新入生に王弟の息子がいる。彼は人柄も良いし、考え方もしっかりとしている」
第二王子が継承権を剥奪されれば、彼を王にという話はアリになる。
「なるほど。ではこの記録水晶は、あの弟の継承権剥奪を決定付けるための、証拠作りに活用させてもらうよ」
殿下が満足そうに笑った。
そして、笑みを深めながら続ける。
「だから私の婚約者候補は、続行してもらうよ」
つまり私の新たな伴侶捜しは、阻止するということらしい。
まあ、婿に来てくれるなら、こちらは問題ない。
殿下のことが嫌なわけではないし。
ただ、こんなふうに念押しをされると、執着という言葉が思い浮かんだ。
拒否したり逃げたりすると怖い気がしたので、頷いておいた。
ところで殿下。
私が提案しておいて、なんなんだが。
うちへの入り婿が決定したら、散々苦労をさせられた戦闘民族の領域に、自ら飛び込んで来られることになりますけれども。
そこのところ、どうなんですかね。
次回から新章です