9.三話 魔法の鏡③
これはアリシアを試す罠かも知れない。
自分はすごく馬鹿なことをしようとしていると思う。
だが、迷ったのは一瞬で、アリシアはノックに応じた。
扉の前にはランプを持ち、うっすらとほの暗い笑みを浮かべるフランが立っていた。
アリシアは目立たないように黒っぽいマントを羽織り、フランと共に寮の裏口から抜けだした。
フランは用意周到でどういうわけか裏口のカギを持っていたのだ。
シンとした夜中の庭園を通り、時計塔に向かう。
やがて、二人は古びて蔦の絡まる古びた時計塔の入り口の前に立った。
「時計塔の扉に鍵はかかっていないの?」
「ええ、ここはいつでも開いているわ。昼間は恋人たちの逢引きの場所になっているの」
「そう」
自然とフランには敬語を使わなくなっていた。
アリシアはフランに対して取り繕う必要がないと感じていた。同じ秘密を共有する者同士として。
フランが時計塔の鉄扉を開く。
普段ならば、不気味で震えあがるところだが、今日はなぜか感情がマヒして恐怖心を感じない。
まるで夢の中の出来事のようだ。それはフランも同じなのだろう。
フランは何のためらいもなく塔に入り、アリシアを導くように前を歩く。
続いてアリシアも中に入ると、壁沿いに延々と階段が続いていた。
彼女たちは真っ暗で光源のない塔の階段を、足元をランプで照らして慎重にのぼる。木製の階段は夜のしじまにギシギシと不気味な音を響かせた。
「鏡は四階の踊り場ともいえないような狭い通路にあるの。数年前に塔から落ちて亡くなった方もいると言うから気を付けて。手すりはあるけれど、慎重にね」
アリシアは鏡をのぞくことより、そちらの方がよほど怖いと思った。
四階への階段へ差し掛かった時、フランが緊張した面持ちで言う。
「なんだか、どきどきしてきたわ」
その真剣な横顔を見た時、アリシアはフランが本気で婚約者を疑っているのだと確信した。
そして、藁をもすがる気持ちでここまで来たのだと……。
「フラン様は一人で怖かったから、私を誘ったの?」
フランは情けなさそうな笑みを浮かべて頷いた。
「すっごく怖い。自分の将来がもし……」
フランがそこまで言いかけた時、四階についた。
そこだけ階段でなく通路になっていて、フランの言っていた通り踊り場のような役割を果たしているようだ。
不思議な作りだとアリシアは思った。
フランが、ランプを掲げると、きらりと鏡に反射した。
鏡のふちには装飾が施してあり、ひし形とも楕円形ともつかない形をしている。
アリシアの目に映ったのは一瞬だったが、美しくて奇妙だと感じた。
(そういえば、なんだか妙な気配がする……これは、魔力?)
「ねえ、私が先にのぞいていい?」
「どうぞ」
いまだ半信半疑だったので、フランに譲った。そして何も映らなかったときフランを慰められればいいと思う。
「実は数年前も三人で来た女生徒たちがいるの、一人が悲鳴を上げたせいで、バレてしまったって。だから、もし私が悲鳴を上げるようなことがあったら、口を押えてちょうだい」
ここまで気丈にふるまっていたフランが、今にも泣きそうな顔で言う。
「わかった。約束する」
アリシアは頷いた。
壁に取り付けられた古ぼけた楕円形の鏡にフランがゆっくりと近づいていく。
アリシアは夢を見ているような気分で見守った。
(こんな遅い時間に私は何をしているんだろう。きっと明日は寝不足でぼろぼろね……)
そんな思いに耽っているとフランに変化があった。
彼女が両手で口を押えて、ポロリと涙を流し嗚咽する。
アリシアは慌ててフランのもとに駆け寄った。
「どうなさったの? 大丈夫?」
フランはアリシアに抱きつくと声を押し殺して泣いていた。
アリシアは仕方なしに彼女の背中を撫でる。
「フラン様?」
「よかった。私……幸せになれる。彼はあの女と別れて私を選んだ。その後、男の子が生まれるの」
そういって、フランは泣き笑いの表情を浮かべた。
アリシアはフランの様子に痛みを感じた。
たとえ婚約者が浮気をしていたとしても、フランは自分を選んでほしいのだ。
鏡のみせた幻覚だとしても……。
(未来が見えるかはさておき、あの鏡には不思議な空気を纏っているわ。まるでいきているような……)
「どうか末永くお幸せに」
「でも、その前にひと騒動あるの。私たちの挙式でね」
フランは熱に浮かされたように、その様子を事細かにアリシアに話した。
「パトリックと私の挙式に、あの女が、シャルロットが乗り込んでくるの。でも大丈夫、私がそうはさせないから。だって私は未来を知っているもの」
アリシアは魔法の鏡よりもフランの精神状態が気になった。
とてもまともとは思えない。
よほど婚約者のことで思いつめていたのだろう。
(早く部屋に連れ戻って落ち着かせた方がいいわね)
アリシアはふと視線を感じ、目を上げると鏡に映る青白い顔をした自分の姿を見た。
しかし、その彼女は今のアリシアより数年分年を取っていて……。
流れ込んでくる未知の映像にアリシアは混乱した。
これでもかと言うほどの不幸の連続で、最後はマリアベル毒殺未遂の犯人として無実の罪で処刑されてしまう。
断頭台の上で、ギロチンの鋭い刃が首筋に落ちてくる気配を感じ、アリシアは悲鳴も上げる暇もなく気絶した。
◇
窓から斜めに差し込む午後の陽ざしで目を覚ます。
アリシアは部屋にいた。寮ではなく、ウェルストン家の懐かしくもない自分の部屋である。
「夢? どうして……」
「お義姉様! ご無事でよかった」
マリアベルが抱きついてきた。
「君は、高熱で三日三晩うなされていたんだ」
声の主に視線を向けると、ジョシュアが立っていた。
「殿下、どうして……こちらに?」
「婚約者が、謎の高熱に倒れたのだ。見舞いに来るだろう」
まるで心配などしていないように、いつもの平坦な口調で彼は言う。
一方でマリアベルはアリシアの無事を喜んで泣いている。
(先ほどのアレは夢だったのだろうか?)
アリシアはまだ頭はぼうっとしていているものの、慎重に口を開く。
「私は寮にいたと思うのですが、どなたが知らせてくれたのですか?」
「寮長のムーア嬢だ。彼女も君が心配だといっている」
アリシアは目を見開いた。
「フラン様はどちらに?」
アリシアのいつにない反応に、マリアベルもジョシュアもあっけにとられたような顔をする。