エピローグ
学園を卒業して、あっという間に二年が過ぎ去った。
卒業後にも年に数回、ミランダやブライアン、サミュエルと四人で予定を合わせて集まって、遊びに行ったり、ブライアンの実家を訪れたりと楽しい時を過ごすこともある。
そんな満ち足りて平穏な日々を送っていても、アリシアの心の痛みはまだ癒えないままでいた。
(きっと私の心からは、血が流れ続けるのね……)
ふとした拍子に深く落ち込みそうになる。
しかし、当主としての仕事に終わりはなく、忙しい日々に気を紛らわしていた。
最近ではエドワードやバーバラの手を借りてどうにか仕事をこなせるようになってきている。
そんなおり、サミュエルが訪ねてきた。
彼はいつも先ぶれなしで来る。それが楽しみでもあるが、その一方で今日は来ないのかと彼の訪れを待ってしまう。
一度『なんで先ぶれを出さないの?』と聞いてみたら、『抜き打ち検査。アリシアがちゃんと食事をしているか、休んでいるか確認しないとね』と言っていた。
アリシアがエントランスに下りていくと彼は大きなバラの花束を持ってきた。バラの周りはレースフラワーで彩られていちだんと華やかだ。
いつも彼は花とお菓子を持ってやってくるが、今日は赤いバラだった。
サミュエルのそんな姿が素敵に見えてアリシアがつい見惚れていると、彼は呆れたように言った。
「まだ使用人、これしかいないの? 屋敷の仕事、手は足りているのか」
アリシアはふと現実に引き戻される。それと同時に照れくささを感じだ。
「うん、使わない部屋は閉鎖しているわ」
「アリシア、顔色が悪い。働き過ぎだ。ほら、一息つこうよ。これお土産」
にっこり微笑んで、彼が差し出したのは花束と、アリシアの好物のタルトだった。
「焼き立てのいい匂いがするわ」
メイドに渡すとお茶の準備を言いつけて、サミュエルと一緒にサロンへ向かう。
二人で近況報告をしあって、お茶を飲み美味しいタルトを食べると、疲れが取れる気がした。
「なんかこうしていると学園に通っていた頃を思い出すわね」
「ああ、魔法の鏡をのぞきにいったこととか?」
「そう言われると、ろくな思い出がない気がするわ」
「そうかな。おれは結構楽しかったけれど」
最近の二人はすっかり茶飲み友達になっていた。
「ねえ。サミュエルは忙しいの? 時々うちに来てくれるけど」
「君が来ないから、俺が訪ねてきているんだよ。たまにはおいで」
「うん、そうね」
アリシアも本当はサミュエルのところに行きたいし、出来ればサミュエルとずっと一緒にいたいと思っている。
でも同時にそれが怖いのだ。
「おおい、なんで美味しいタルト食べた後にそんな暗い顔をするんだよ」
「今のあなたとの関係が心地よいなと思って」
「は? 俺、アリシアに告白してないけど、ふられてる?」
アリシアは真っ赤になる。
「違うわ。サミュエル、私、そんなに自信過剰じゃないし、あなたがモテるって知ってる」
「違うと言われても、友達宣言にしか聞こえないんだが?」
サミュエルが疑わしそうに、眉根を寄せる。
「そうじゃないの! サミュエルに会うとすごく嬉しい、ワクワクするし、楽しいし、どきどきする。でもそれが恋だったらどうしようって思っちゃうの」
サミュエルはあっけにとられた顔をして、次の瞬間頬を緩ませた。
「アリシアって、俺のこと結構好きだよね」
「だって、しょうがないじゃない! 嫌いになる要素ないんだから。でもそれが怖いの」
アリシアは自分が子供っぽいことを言っている気がしてますます恥ずかしくなり、混乱してきた。
「何が怖いの?」
「あなたも一緒に読んだでしょ? 母の手記というか手紙を。ふられるのが恐いとか、そういうことではなくて、人を愛することが恐いの。トマスもそう、始めからうちの財産と権力が目的なら、デボラは必要なかったはず。それなのに皆恋をして過ちを犯す」
アリシアが震えるように己の肩を抱くと、サミュエルが隣に来てやさしくアリシアの肩を抱いた。
アリシアの大好きな彼の匂いがふわりと香る。
それと同時に彼の体温と息遣いが伝わり、心臓がとくとくと音を立てた。期待と不安と恐ろしさ……。
「サミュエル、愛は人を壊すと思わない? 私の母もジョシュア殿下も……たくさんの狂気を見た気がする。だから怖い。すごく怖いの」
サミュエルの逞しい腕に力がこもる。抱きしめられたのがわかった。
でもアリシアは彼を振り払うことはできなかった。身をゆだねるのは甘美で心地よい。
「アリシア、俺の父も母が転落死した時、すでに壊れていた。俺の母は、父の最愛だった。俺はそんなどうしようもない父親の子で、アリシアを失うようなことがあれば俺も壊れる。君に一緒に逃げてくれと言われたときは天にも昇るような気がした」
アリシアは驚いて顔を上げた。
彼がほんの少し腕の力を緩めアリシアを見つめる。
はちみつ色の瞳がほんのりと金色の光を放つ。
「サミュエル……」
サミュエルがアリシアの額にこつんと自分の額を合わせる。
アリシアのこわばっていた体も心も熱を持つ。
「アリシアは、俺の初恋だ。今から二度目のプロポーズをするけど、今度は受けてくれるかな?」
アリシアの気持ちはフワフワして混乱した。
嬉しいのに疑問が湧いてくる。
「二度目って? 一度目は? 私、あなたにプロポーズされた覚えがないわよ? 誰かと間違えていない!」
突如としてアリシアの中で激しい怒りが湧いてきた。
「せっかくいい雰囲気作っているのに、君は雰囲気を壊す天才か?」
「そんなこと言って、ごまかしてる!」
プロポーズも愛の告白もされていないのに、アリシアはすでにやきもちを焼いている自分に気づくが、止められない想いに……。
「六歳の時にジョシュアの婚約者が王宮の庭園に来るって聞いていたから、見に行ったんだ。ちょうど俺もブライアンの実家から王都に来ていて、父に連れられて王宮にいたんだよ。そうしたらとってもかわいい女の子がちょこんと座っていて、迷子になったみたいに心細そうだったからプロポーズしてみたんだ」
アリシアはそこまで聞いてハッとした。
「あ! いたわ、不思議な男の子! はちみつ色の瞳。あなただったの?」
「覚えていてくれて嬉しいよ。その頃よりちょっと髪の色は濃くなったけれどね。俺、学園のカフェテリアでアリシアに再会した時すぐにわかったよ。君、俺の顔見て青ざめていたから、あまり話しかけなかったけれど」
そう言って彼は苦笑する。
「あなたって自在に瞳の色が変えられるものね」
「君の前だけだよ、この色は。はちみつ色って表現されたのは初めてだけどね。アリシアってそういうところがかわいいんだよね」
アリシアは「かわいい」と言われて真っ赤になって俯いてしまう。
最近でははっきりとものが言えるようになったし、精神的に逞しくなった気でいたが、大切な場面で内気さが出てしまう。
『嬉しい』とか『ありがとう』とかいろいろ言葉あるのに、一言もしゃべれなくなる。
サミュエルが優しくアリシアの髪を撫でる。
「俺と結婚したら、きっと楽しいよ。だから結婚しよう」
彼のダイレクトな言葉が心に響く。
「あ、あの……」
「アリシア、まだ怖いの?」
「サミュエルのことは怖くない!」
アリシアは顔を上げた。思ったよりもサミュエルの顔が近くにあって、アリシアは焦ってしまう。
「一緒に野宿した仲じゃないか? お互いに当主になったからってかしこまる必要もないだろう」
サミュエルがアリシアのおでこにキスを落とす。
それだけでアリシアの心臓はうるさく音を立てる。
「サミュエルは、私でいいの? 家族が捕まって評判悪いけど」
「ははは、俺の家族も牢屋に繋がれているよ。悲惨な事件のあった家同士で手を組んで、一緒にこの国で一大勢力を築いてみるっていうのは、どうかな?」
明るくさらりと語るサミュエルの言葉にアリシアの頬は緩む。
「ふふふ、それ面白いかも。あなたにそんな野心があったなんて知らなかった」
「じゃあ、決まり! 結婚は三か月後」
「え? まだ私何も言っていないのに」
アリシアが慌て出す。
喜んでいいのか、勝手に決めないでと怒っていいのかわからない。
気持ちが今までにないほど浮き立って落ち着かない。
「アリシアの返事を待っていたら俺が年寄りになっちゃうよ」
はちみつの色の瞳がアリシアを見つめて離さない。
(そうか……、私はもう戻れないくらい、サミュエルが大好きなんだ)
助けてと言ったとき、彼は迷わず修道院からアリシアを連れて逃げてくれた。
じんわりと胸が温かくなる。
「サミュエル、私、あなたのこととっても好きみたい」
サミュエルが破顔する。
「今更だけど、よく言えました」
サミュエルの左腕が腰に回され、右手が彼女の頬をするりとなでる。
二人の唇が重なった。
どきどきと胸の高鳴りだけが聞こえ、時間が止まったような気がした。
唇が離れた時はほんの少しの寂しさを覚えた。すると彼が再び唇を重ねる。
どれほど時間が経ったかわからない。彼の唇が離れた。
綺麗なはちみつ色の瞳がまっすぐにアリシアを見る。
「アリシア、いつまでこの家にいるつもりだ。俺のところに来いよ、今夜から。新居を準備したんだ。一緒に楽しい思い出を作っていこう」
「サミュエル、大好き」
「俺も、アリシアを愛しているよ。永遠に」
二人は時も忘れて抱き合った。
fin
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
星ください(っ˶'ω')⊃ =͟͟͞͞☆