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84.残酷な最後の一欠けら

 四年の最終学年の後半にはアリシアはやっと落ち着いた学園生活を送ることができ、卒業制作も満足のいくものができた。


 アリシアは十八歳になり、学園を優秀な成績で卒業した。


 だが、卒業した今は、本格的に領主としての仕事をしなければならない。


 トマス達がいた頃の使用人たちは全員解雇して、屋敷を維持するだけの最少人数を雇った。


 トマスにデボラ、マリアベルの持ち物は、エドワードとバーバラが捨てたり、金に換えたりして処分してくれた。


 祖父母の話しによると、アリシアの部屋は荒らされ、ジェシカの持ち物も何一つ残っていなかったとのこと。


 あと手付かずなのは、屋根裏部屋だけだ。


 アリシアは四階の北側にある、階段室のドアを開け上にあがる。


 突き当りにある木の扉をきしませて開き、屋根裏部屋へ入った。


 明り取りの窓から午後の日がさしているが、それでも少し薄暗い。あたりは蜘蛛の巣と埃ばかり。


 アリシアは子供の頃、一度だけこの屋根裏部屋を訪れたことがあった。


 ジェシカが亡くなった後、ジェシカの肖像画と祖父母の肖像画が取り外されたのを見たからだ。


 それらはこの屋根裏部屋に無造作に投げ込まれていた記憶がある。


 そして十年以上たった今、すべて埃をかぶり黴臭い。


「こんなに狭かったかしら? 子供の頃来た時には、もっと広い気がしたけど」


「探し物をする前に、まず掃除をした方がいいんじゃないのか?」

「一人で大丈夫って言ったのに。なんでサミュエルがついてくるの?」

 アリシアが不満げに問う。


「何言っているんだよ。寮に入ったきり、屋敷に一度も戻らなかったくせに」

「ついてきてくれたのは心強いけれど……。怒ったり泣いたり、情緒不安定な私の姿をサミュエルにみせたくないの」


「君は、そんな大発見がこの屋根裏部屋にあると思っているのか?」

「そうじゃないけれど、祖父母の顔は覚えていたのに。母の顔はなぜかぼやけていて、思い出せないの」

 アリシアがそう言っている間にも、サミュエルは蜘蛛の巣を払いずんずん遠くへ進む。


「おっ、アリシアもう見つかったぞ。でもこれ酷い状態だな」

 埃をかぶった祖父母の肖像画だ。

 中央の階段に飾ってあったもので、かなり大きい。


「ひどいわね」

 アリシアの胸にふつふつと怒りが湧いてくる。


「アリシア、この下にも絵があるぞ」


「お母様の肖像画かしら?」

 サミュエルが、祖父母の大きな肖像画を軽々と持ち上げ、近くの壁に立てかける。

 その下から、母と思しき女性の肖像画が出て来た。


 しかし、肖像画は大きく斜めに切りつけられている。

「うわ。ひどいな」

 サミュエルがそう言いながらも丁寧に埃をとり、何とかジェシカの顔が見えるようにしてくれる。


「へえ、アリシアに似て美人だ。しかし、瞳の色が……保存状態が悪くて変色したかな?」


 ジェシカの瞳の色はヘーゼルに見えた。そしてトマスの瞳の色は茶色。


「お母様は肖像画の裏に何か隠していたのかしら。それで絵を破られたとか。そう言えば、お父……いえ、トマスは母に書かされた契約書を燃やしたと話していたわ。実際は偽物だったけれど。これはトマスが契約書を必死に探した跡ね」 

 アリシアは悲しい気持ちで傷のついた額縁に手を触れる。


 その瞬間、魔力を感じた。


 かちりと音が鳴り、右側の額縁の一部がポロリと外れ、中から巻紙が落ちてきた。


 サミュエルがハッとした顔をする。


「額縁が魔法道具になっていたんだ。アリシアが触れると開く仕組みとか……。それ君のご母堂からの手紙じゃないか?」


 アリシアは震える手で巻紙をとる。


 するすると紐を解くと、契約書と同じ文字でアリシアへと書かれていた。


 後半へ進むほど文字はみだれていく。


 ◇◇◇


 アリシア、あなたがこの手紙を見つけて開くころ、私はもう死んでいることでしょう。


 最近では、意識がもうろうとして幻覚を見ることが増えた。


 私はもうすぐ正気を失う。時間がないので手短に書きます。


 アリシア、あなたの本当の父親は平民出身の魔法師団の魔法師で名はエリオット。出会ってすぐに恋落ち、彼は一年後の魔物討伐で命を落としました。


 私は魔法学園の卒業間際で、あなたがお腹に宿っていることに気づきました。 


 悲しくて将来が不安で、学園の時計塔にある魔法の鏡を満月の午前二時に友人のトマスに付き添ってもらって見に行きました。


 すると下町の薄汚い救護院で、乳飲み子のあなたを残し死んでいく私の姿が見えました。


 魔法の鏡の前で泣き崩れる私を、トマスは必死に慰めてくれた。


 そして、お腹の子の父親になると言ってくれた。


 ――嬉しかった。子を産み落としてすぐに一人で逝かなくてすむ。


 それにトマスはまがりなりにも男爵家の次男だった。


 不安でたまらなくて、誰かに、何かに縋りつきたくて、私はトマスとの結婚を選んだ。


 しかし、式の前日に彼はある条件を私に突き付けた。


 自分にウェルストン家の家督を継がせろと……。

 でなければ結婚は延期したいと言われた。私のお腹は大きくなっていく。


 延期なんてありえない。書くしかなかった。

 トマスは心の弱った私をずっと支えてくれた。慰め優しくしてくれた。

 

 入学時から、心許せる大切な友人だ。

 

 だからお父様とお母様の猛反対を押し切って結婚を強行した。

 

 でも、本当に私の判断は正しかったのかと迷いが生じる。


 だから、彼に私の「実子が有利になる条件を記した」誓約書を書かせ、自作の魔道具箱にしまってお父様とお母様に託した。


 トマスはアリシアが生まれるまで、とても献身的に私を支えてくれた。


 家督を継がせろと迫った彼とは別人のように元の優しい友人に戻った。


 アリシアが生まれた時はとても幸せだった。


 でも私は産後のひだちが悪く、あなたを抱くことがほとんどできなかった。


 じょじょにトマスは私の部屋に来なくなった。


 やがて別に女の影を感じるようになる。


 その頃から、トマスは来るたびに結婚式の前に書いた「実子が有利になる条件を記した」契約書はどこへやったのかとしつこく聞いてきた。


 トマスに対する不信感が強まった私は、机の引き出しの二重底の下に複製した偽物の契約書を隠した。


 するとある日を境にトマスは契約書のことに関して何も言わなくなった。


 脱毛と嘔吐でもうほとんど動けなくなった私は、必死で机の引き出しの二重底をまさぐった。二重底は破壊され、偽の契約書は消えていた。


 それから数年後、トマスは私の意識が朦朧としていて、完全に正気を失ったと思ったのか、ある日この部屋に女を連れてきた。


「毒の効き目が悪いみたいだ。もう少し待ってくれないか?」

 女に囁く、トマスの声が聞こえた。


 お父様、お母様、大切に育ててくださったのに親不孝をお許しください。


 エリオットを愛したことに後悔はありません。


 アリシア、愛しいエリオットの子。どうかあなたは幸せに。



 ◇◇◇


 アリシアは、涙が止まらなかった。


 自分が悲しんでいるのか、苦しんでいるのか、トマスを憎んでいるのか、母を気の毒に思っているのか、感情がぐちゃぐちゃになってわからない。


「家族なんて最初からなかった。皆、偽物だった……」


 サミュエルはそんなアリシアに寄り添い、静かに見守ってくれている。


 現在、トマスは十年ほど監獄に入ることに決まっていた。

 

 アリシアは迷わず、殺人の証拠としてこの母の手記を役所に提出することを決めた。



 恐らく毒物検出のために、母の墓は掘り起こされることになるだろう。


 十数年の時を経て、すべてが白日のもとに晒される。






次回最終回です

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