81.休息
ロスナー家は王宮のほど近くにある大邸宅だった。
四頭立ての馬車で瀟洒な鉄製の門扉を抜けて立派な庭園を通り、サミュエルに手を取られてポーチで馬車を降りた。
「すごいお宅ね」
思わず見上げてしまう。
アリシアの屋敷よりも大きく庭園の手入れも行き届いている。
「ははは、正面だけね。横にまわると壁に穴が開いているよ。今修理の途中だけれど」
「壁に穴って、何かあったの?」
カーティスとアダムが殺し合いをして、サミュエルが家督を奪ったという話は聞いている。
だが、それ以上のことは知らなかった。
「ちょっと実験した。危うく、相続の書類や権利書の類まで巻き込むところだったよ。まあ、無事だったけど」
アリシアはあえて彼の兄と父については触れないでいた。彼はきっと話したくはないのだろう。
サミュエルに手を取られたままエントランスに入るとすぐに違和感に気づいた。
閑散として人がいない。
床は磨き上げられているが、上の方は所々、埃をかぶっていて掃除が行き届いていない。
アリシアは不安げにサミュエルを見上げた。
「これって、どうかしたの? 使用人が出て行ってしまったとか? まさか、財政難?」
サミュエルは苦笑する。
「出て行ってもらった、が正解かな。上級使用人は兄の息のかかった者ばかりだったからね」
「たいへん、だったのね……」
それ以外に言葉がでない。
本当は彼のために何かしてあげたかったのに……。
アリシアは唇をかみしめる。
「なかなか不便な生活だけれど、俺はこの方が気楽だ」
サミュエルに案内されてサロンに入ると、そこは綺麗に掃除がされていて手入れも行き届いているようだ。
大きな窓から明るい日差しが入り、美しい庭園が眺められる。
「庭師や下男には残ってもらったんだ。彼らは関係なかったからね」
「それでお庭が綺麗なのね」
「あとは兄が首にした使用人を数名再雇用した。皆不正に手を染めるのを嫌がった者たちだったからね」
アリシアは目からうろこが落ちた気分だった。
「なるほど、そういう雇用の方法もあるのね」
「ただねえ。料理人がなかなか見つからない」
「え! じゃあ、食事はどうしているの? 美味しいもの食べるんじゃなかったの?」
目を丸くするアリシアを見て、サミュエルは笑った。
「やっぱり料理を期待していたんだ。アリシアはそうじゃなくてはね!」
「で、どうするの?」
アリシアはまだ温度を失っていない紅茶に口を付けた。
「屋台飯でもどうかと思って」
ふと、とても不便で最高に楽しかった旅の風景を思い出す。
「そういえば、旅の途中で食べたわね。それまでは野宿で魚や、ほとんど塩を振っていない肉や、キノコばかり食べていたから、町にでて屋台で食事をしたときは感動するほどおいしかったわ。塩味や甘味って体に染みるのよね」
「そう、俺たちの原点に戻ろう」
いたずらっぽく言うサミュエルに、アリシアの頬は思わず緩んでしまう。
「原点って……。でも狩りはこりごり」
「何だよ。ずっとこの生活でもいいかもしれないとか言っていたくせに」
「あの時はあなたが、魔物を狩って、私が魔獣から取れた魔石でアミュレットを作って、宿もだんだん良くなっていっていたじゃない。火山地帯の温泉にも行けたし!」
サミュエルが腹を抱えて笑う。
「火山地帯の温泉では、うっかり有毒ガスを吸い込みそうになったけどね。君って本当に面白い! じゃあ、今日は下町に行くか」
二人は安物のフード付きの外套を纏い下町に繰り出した。
アリシアはウェルストン家であったすべての不幸を忘れたかのように、露店をひやかし楽しい夜を過ごした。
旅の楽しかった思い出をなぞるように――。